大日本史料第十二編之五十一

本冊には、後水尾天皇元和八年(一六二二)の年末雑載の内、天文・暦・気象・災異、社寺(山城)、および元和八年の補遺を収めた。
 収載史料のなかから目につくもの若干を紹介すれば、天文などの条では、陽明文庫所蔵「元和八年具注暦」の全文を掲載した。この時期の暦注は本来のものから大きくくずれてしまっているが、既に定着している部分もあるので校注は最少限にとどめた。
 社寺(山城)の条では、「賀茂社家日記」とその裏文書を収載した。この「日記」の元和九年の奥には「右、元和八年・九年日記者、清茂以記文勘之、従五位上奈良祝氏求日記也、西池隼人祐ト云、後伊豆守ト云、故ニ土俗、伊豆ノ隼人ト云習せり、今兵庫助悦氏祖父也」と日記本文と同じ筆跡で記されている。これによれば、この記録は、西池氏求の日記を別人が「勘」じたものということになる。内容には、花見の喧嘩の処理など社家・神人集団のあり方がよく窺えて興味深いものがある。また、裏文書と合わせ読むと、近衛家・竹内門跡(曼殊院良恕親王・北野社別当)などへの出入関係がうかびあがってくる点でも興味深い。
 この他に目ぼしいものに、本願寺(浄土真宗本願寺派)関係の記録がある。この内で『本願寺史料集成』にないものに、性応寺了尊の「鄙ニテノ覚」がある。了尊は紀伊和歌浦性応寺の住職であるが、本願寺の一家衆でもあり、その記録は内容的に本願寺のものと合わせ読むべきであるので、本冊に収載した。
 補遺としては、四月の日光東照社祭儀関係の記録を収めた。とくに出納中原職忠の記録は、日光における行事を詳細に記している点で貴重である。
(目次一頁、本文四六七頁、補遺目次二頁、補遺本文七四頁、欧文目次一頁、欧文本文一頁)
担当者 高木昭作・黒田日出男・宮崎勝美

『東京大学史料編纂所報』第23号 p.43**-44