大日本史料第九編之十八

本冊には後柏原天皇大永二年の年末雑載の内、仏寺(前冊のつづき)、禁中、幕府、諸家、疾病・生死、学芸・遊戯、所領、年貢・諸役、寄進、相伝・譲与、貸借、売買、訴訟、雑、の諸項、および大永二年の補遺を収めた。
 大日本史料は歴史上の事件を年月日順に掲げ、これに関連の史料を排列した体裁をとる史料集であるが、起伏に乏しく事件として一項目にまとめえない史料は雑載と称して年末に一括掲載している。史料利用の便を考えて右のような項目に分けてはいるものの、それ程厳密なものではない。利用に際してはなるべく広く検索されることを希望したい。
 近年の地方史編纂事業の盛行などに支えられて、特に雑載などでは、収載しなければならない史料が著しく増大した。かつて本所において史料調査を実施した個所にあっても新出史料が後を絶たない状況である。大日本史料は本所の責任で行なった史料調査の成果に基づき編纂するのが原則であるが、以上の次第で調査が間に合わず、既成の史料集に依らざるをえないところがあった。書名の下に旧国名もしくは所蔵者を示したものは史料調査時点での採訪地もしくは採訪場所を示し、おおむね本所に副本を蔵する。また「○○本」としたものは写本で伝来した史料についての依拠した写本を示し、「○○所収」としたものは依拠した史料集を示す。大部な史料にあっては適宜冊次、内題などを示して検索および利用に便ならしめるよう努めた。
 所収史料の中から目につくものの若干を紹介すれば、諸家に収めた二水記(一二七頁)では民俗学でも注目される坂迎えの実例が示されるし、学芸・遊戯の項では古事記や先代旧事本紀、日本三代実録などの古典が書写されていたことが見える(二〇三頁以下)。年貢・諸役に収めた経尋記(三七三頁以下)には、荘園領主である興福寺が年貢滞納を続ける国人に対して「名字を籠める」という一種の呪詛をちらつかせて対抗していることが見えるし、雑(五三五頁以下)では女敵は盗人の准拠とか、寺内検断の事例とかが集められている。
 補遺では第九編之十五から十七に収載すべきもので脱漏したものを収めた。このうち御湯殿上日記は、大永二年分の原本は伝わらず、儀式の先例を知るために作られた部類記の中に書き抜きが伝存するに過ぎない。是沢恭三氏は京都御所東山御文庫および高松宮家などに伝来の諸本を精査され、逸文を蒐集されると共に、年次推定を試みられた(研究は『日本学士院紀要』、本文は『続群書類従』補遺三、所収)。今次の補遺は是沢氏の成果に負うところが多い。
(目次四頁、本文五五八頁)
 担当者 桑山浩然・永村眞

『東京大学史料編纂所報』第22号 p.34*