大日本近世史料「諸問屋再興調八」

本巻は旧幕引継書類のうち「諸問屋再興調」拾肆を収める。この「拾肆」は目録の第一件に「八品商売人再興調」とあるように、質屋をはじめ、古着屋・古着買・小道具屋・唐物屋・古道具屋・古鉄屋・古鉄買など八種の商売仲間再興に関する調査書類を一括したものである。江戸市中の八品商売人の人数はすこぶる多く、嘉永五年現在において、最も多数の古道具屋が三千六百七十二人、最も少数の唐物屋が六十六人であり、質屋も二千七十五人を数えた。江戸町年寄が、これら八品商売はすでに享保八年に名前帳を南町奉行に提出の上、組合の結成を命ぜられたものであるからとして、再興せしむべきであると答申したのは嘉永五年二月であった。
 第一件においては、まずこの町年寄答申書が掲げられたあと、古鉄買の無鑑札商売などを禁止する元文四年六月町触が挙げられ、ついで紛失物吟味を組合の責任を以て行わしめるため、八品商売人に組合を結成せしむるという享保八年四月町触が示される。この後、八品商売に対して申渡される規制には、質屋組合の新規加入を禁止した明和九年正月町触、紛失物改の弛緩を戒め、質物を取るさいは置主・証人の両判を要すると定めた安永元年十一月町触、および古鉄買に笊差札を下付することを申渡した寛政三年十一月町触があり、これらの基本法令が再興手続上の基準として、上述の町触につづいて示される。さらに天保改革における措置として、八品商売人の名前帳が消印に付され、差札も可能な限り回収されたことを上申する町年寄や名主の上申書もみえる。また嘉永五年二月の町年寄上申書によれば、今回の再興に当っては、多人数を擁した諸商売であるから、番組立ては名主番組に基づくべきだと答えていることがわかる。
 第二件には、従来の町触に対する触返しについての掛合書が収められ、これが目録の箇条名となっている。触返しとは、先に諸間屋停止のさい、定書に抵触する事態を避けるための町触が出されているので、今度これを撤回するについての町触を出すことを意味するものであり、ここには、その審議がなされた諸間屋の停止と再興の両時点における評定所一座上申書が収められる。このほか第二件には、江戸諸問屋銘書や、月行事・差札下付手続に関する勘定奉行・町奉行・町年寄の書類が収められ、さらに品川宿等四ケ宿古鉄買の江戸市中商売についての鑑札に関する寛政十一年・享和元年の文書も収められる。
 第三件は古鉄商売の一部である古銅仲買の名目復古に関するものである。古銅仲買は古銅吹方役所・別段古銅吹所の設置と共に名目を許可されたものであり、再興に当っての勘定奉行掛合書をめぐる文書を含み、なお寛政八年以来の古銅仲買請書・同名前書が挙げられる。
 第四件は諸問屋再興掛から提出された古手古着問屋旧記および古手問屋古書物写・古着問屋書上写・木綿古着買問屋組合書上写・地木綿古着買問屋組合書上・木綿古着買問屋組合書上を順次収める。
 第五件は目録に「八品商売人調之儀ニ付見合書類」とあるとおり、従来出された町触が引かれるが、すでに引かれた第一件の町触の外、宝永三年十月・寛政十年四月の質屋取締のもの、文政十一年五月の古鉄買・紙屑買・古着買取締のものなどが挙げられる。品川宿等古鉄買の江戸商売も追々問題となったらしく、取締の文言が、これら幕末にかけての町触に含まれはじめる。さらに前述の評定所一座の上申に基づいて出された天保十三年五月の町触も、ここに掲げられている。文書の通数からいえば、第五件が五十点を数え、全巻百十四点の過半近くを占めるほどで、内容も多岐にわたっている。これらは八品商売取締上の老中申渡書・勘定奉行問合書等ばかりでなく、大組合番附覚・小間物問屋商売品書上の類や菱垣船積合商売人数書上も収載されるが、これは古着屋・古着買・唐物屋・古道具屋に対する取締上の関連文書として示されたものである。こうした経過を踏んで八品商売人再興町触が嘉永六年三月に出されるにおよび、八品商売人惣代の請書が作成され、古鉄買の新規焼印札内訳帳等が提出された。
 第六件には、本郷菊坂町金兵衛等の質屋組合に大行事を立てたいという出願に対する措置についての町年寄伺書が挙げられるが、質屋惣代の存廃に関係ある元禄五年十一月町触と同十六年十二月町触も共に収められる。要するに、八品商売が江戸市中生活と密接な関係にある商売であるだけに、その仲間再興と共に取締を厳正に実施しようとする幕府の方針が、全巻を通じて認められる。
(目次九頁、本文三〇七頁)
担当者 伊東多三郎・阿部善雄・進士慶幹

『東京大学史料編纂所報』第2号 p.45*-46