長崎市立博物館所蔵史料の調査・撮影

一九八三年十二月十五日より同二十日まで、長崎市立博物館(長崎市出島町九—二二)において同館所蔵史料の調査と撮影を行なった。
 今回の調査は、一九八〇年二月に行った予備調査と同年十月の第一次調査以来、毎年継続して行なわれた長崎関係史料の体系的採訪調査の第四次調査にあたり、今回の調査によって、長崎市立博物館所蔵史料については、一応、所期の目的を達成することが出来た。今回の調査では、前回に引続いて長崎聖堂文庫の史料を調査し、これまでの調査で撮影未了となっていた分の殆ど全部を撮影した。
 長崎聖堂文庫および長崎聖堂については、所報一六号(一九八一年)に紹介したが、今回撮影した史料で、内容および数量の点で主体をなすものは、分類番号三七〇(教育)・九一〇(手紙・文学)・九三〇(中国文学)に属する史料で、—(  )内は長崎市立博物館資料目録の分類区分—三七〇番台のものは、書物改役向井氏の本務に関する史料であり、九一〇・九三〇番台のものは向井氏に宛てた書状を主体として、詩文の草稿・雑抄等々を交えたかなり多量の史料群であるが、聖堂を中心とする近世後半の長崎における知識人相互の交流や動静を知るうえで興味深い史料である。ただし、これらの史料のうちには、紙魚の害を蒙るものも尠からず、また断簡零墨の類もあるが、撮影にあたっては、つとめてその全体を網羅するよう心掛けた。
 なお、今回の調査をもって長崎市立博物館における史料採訪は一応終了するが、一九八〇年二月の予備調査以来今回の調査まで、長崎市役所と同博物館の館員の皆様から多くの御援助と御協力を賜わった。とくに、この調査計画が行われた全期間、長崎市立博物館は新庁舎建設と移転に備えて出島資料館に仮住いの状態にあり、閲覧業務は停止していたが、本所の採訪事業のため、博物館ではその都度特別の便宜を講ぜられた。この点については、前館長越中哲也氏と現館長杉村邦夫氏の御尽力ならびに長崎市教育委員会の御好意に感謝するとともに、毎度の調査撮影にさいして、絶えず我々の仕事を援助して下さった学芸員原田博二氏と館員の皆様に心からなる感謝の意を捧げる。
 撮影史料目録
  この目録には、前回(一九八二年十一月〜十二月)撮影した長崎聖堂文庫の史料(分類区分二八〇・三二〇・三四〇に属するもの)の目録を、今回撮影した分の目録ならびに今回の調査で補充撮影した一般蒐書に属する史料の目録に加えた。撮影史料は原則として、同館発行の『資料目録』(一九六八年五月)の分類番号順に排列したが、一部分、撮影のさいの排列に依ったところもある。史料名も原則として『資料目録』に従ったが一部変更したものもある。〔 〕内の漢数字は『資料目録』の分類区分、史料名に頭書した算用数字は右の分類区分内の整理番号である。なお同一の整理番号を附せられたものの中、数点の個別の史料を含む場合もあるが、そのような場合には、必要に応じて行を改めた。
一、長崎聖堂文庫

『東京大学史料編纂所報』第19号