大日本古文書  家わけ第二十一「蜷川家文書之二」

蜷川家文書は大むね年月日順に編集することに務め、前冊を承けた本冊では蜷川親元の晩年より子親孝時代にわたる文明後期から大永七年までを収載した。なかで、二四〇号は按文に記したごとく文明十二年より同十五年までに作成された文書と推定され、二四四号は明瞭に文明十八年の文書であって、ともに前冊に収めるべきものであった。また二四三号仁和寺御室御教書は「富山県史 史料編II中世」において、「筆致・文意等より室町時代中期と推定される」と接文に記されているが(六六八号、四七七頁)、従うべきであろう。越中阿奴庄中村につき文安五年十二月甘日越中守護畠山持国施行状が同書に収められているが(七一三号、五〇四貢)、或はこの辺に収めるべきものであったかも知れない。
四八九号分一方披露目録、四九〇号分一銭等進納目録に関しては、内閣文庫に「賦引付 三」(内題「大永六十二十八賦引付徳政分一方」架番号古一七函三〇四)及び「頭人御加判引付 ニ」(内題「大永六十二十一頭人御加判引付就徳政分一方 祠堂方御加判同前」架番号古一六函二九四)の二書があるので参照されたい。
蜷川家文書は室町幕府政所代蜷川家伝来文書であるから、政所関係の法令、訴訟制度資料、財政関係資料を多く含んでいる。前冊と共に本冊においても無年号文書の年代推定、欠損部分や難解文字の解読に、佐藤進一、池内義資両氏編「中世法制史料集 第二巻 室町幕府法」より多大の恩恵を受けたことを記し、感謝の意を表したい。
(例言四頁、目次二二頁、本文三三五頁、花押一覧三丁、挿入図版四葉)
担当者 百瀬今朝雄

『東京大学史料編纂所報』第19号 p.55*