西尾市立図書館岩瀬文庫所蔵柳原家旧蔵資料調査

今回の調査目的は岩瀬文庫所蔵柳原家旧蔵資料の全貌を把握することである。
 「続史愚抄」の著者として著名な紀光(一七四六—一八〇〇)を頂点として、(もとみつ)均光・隆光・光愛と江戸中期〜明治初年に至るまで数代にわたり多大の労力を費して集積された柳原家の諸資料は、(なおみつ)(たかみつ)(みつなる)現在その主要部分が宮内庁書陵部に収められている。本所では、明治末年から大正にかけて、未だ資料が柳原家にある段階でこれの複本を作成し、一五九冊の写本を現蔵している(「柳原家記録」架番号二〇〇一—一〇、「柳原家記録目録」四一〇一—二四)。
 柳原家資料にはこの他に明治三十四年京都帝国大学附属図書館に寄託された一〇〇九部二一六二冊があった。これが同四十三年七月に至り岩瀬弥助氏に譲られ、現在西尾市立図書館岩瀬文庫に架蔵される資料群である。岩瀬文庫所蔵柳原本には添付された「目録」があった。この目録は岩瀬氏への現品引渡の台帳とされたもので、近年岩瀬文庫所蔵の国文学関係書を調査された愛知県立大学の研究グループの手によって公刊されている(島津忠夫・長友千代治・森正人・矢野貫一・瓜生安代「岩瀬文庫本調査おぼえがき 付、柳原家旧蔵本目録」昭和55年、愛知県立大学文学部国文学研究室、なお、本所にも京大附属図書館本より写した「岩瀬文庫所蔵柳原家記録目録」二〇〇一—三二、岩瀬文庫本より写した「柳原家旧蔵本目録」四一〇〇—五〇がある)。
 ところで、柳原本を購入した岩瀬文庫では、資料を書架に収めるに際し柳原家旧蔵本として一括することをせず、別々の棚に分けて収めた。また、数点をまとめて「目録」とは別の書名で登録したものもあった。岩瀬文庫としてみれば当然とも言えるこのような処置は、しかしながら一方で柳原本の全貌を知りうる「目録」と現況とを対比するのを難しくしてしまった。今我々が「目録」によって知りえた資料を利用しようとすれば、書名を頼りに『岩瀬文庫図書目録』(昭和11年、同文庫)を捜すより他ない。しかし尋ね当らないことも一再ではないのである。
 その解決策として、今回は西尾市立図書館のご諒解をえて同館の図書原簿をコピーさせていただき、これを利用することになった。原簿は書名と架番号がいっしょである点、およびこれが資料の出納に直接利用できる点で大変便利である。我々はこの原簿によってまず目ぼしい資料の概要を把握することとし、昭和五十七年七月二十日より四日間、同図書館において七六点二六六冊の調査を行った。今回の作業は調書をとるにとどめ、写真撮影等は後日を期すことにした。本報告には調査済のもののみを掲出するよりは資料全点を示しておく方が後の利用に有用であると判断して、便宜付した一連番号・書名・冊数・架番号、および本所で既採訪のもの、今回調査したもの、を識別できるようにした。このような構成をとったため、調書の内容までは記しえないことをお断りしておきたい。
 末筆ながら、調査に多大のご便宜を与えられた西尾市立図書館神谷和正氏、原田進道氏および愛知教育大学新行紀一氏に深謝の意を表する。
    (注)図書原簿登録番号五七七四—六三七七が柳原家旧蔵本である。

『東京大学史料編纂所報』第18号