大日本史料第八編之三十二

本冊には、後土御門天皇延徳元年雑載(諸家、生死・疾病、学芸・遊戯)の史料を収める。
諸家には、公家を中心に諸社寺参詣、月忌、年忌、往来、贈答、造営史料を収める。『雑事要録』は近衛家の詳細な算用記録で、摂関家の家政を伺う好史料である。死没には、伊勢貞宗母、姉小路基綱室、飛鳥井雅康室、柳原資綱室などの記事がある。松田頼亮室など数件の死没史料が大徳寺春浦宗熙の『春浦和尚金口説』にみえるが、岩瀬文庫、成簣堂文庫に善本を所蔵するのを訪ねて、本所架蔵本を底本にこれらを参照した。丹波瑞岩寺開山大通念為については、亀岡市の同寺に赴き、予期した以上の関係史料を得て之を収めた。相国寺雲頂院の集鶴都寺の示寂記事には、遺領相続をめぐって寺側と武家被官との間で長期にわたって相論が展開したことがみえる。寺中の裁量権をめぐる事例として興味深い。
疾病では、三条西実隆が、この年古今伝授をうけた宗祇や宗長から目薬を贈られたこと、甘露寺親長が孫敦長の腹痛に憂慮して、自分の命と引換えに孫の命を助けてほしいと因幡堂に祈願した記事などがみえる。
学芸では、長享二年に引続いて高野山関係の聖教類が多い。ほかに常陸六地蔵寺に所蔵する恵範書写の聖教類奥書を収める。恵範は各地で多数の書写をなした人で、その全国に及ぶ足跡を確認する作業が待たれる。印融もまたその道の人として名高いが、横浜宝生寺に赴いて関係史料を採訪することが出来た。年次関係の分を収録する。この年は引続いて公家の和漢にわたる学芸活動が活発で、大乱後の京都が漸やく安寧を得ようとしたことを知る。公家日記を中心に関係史料を収めた。連歌和歌関係では、正広の『松下集』を本所架蔵本によって、『兼載句艸』を山口県立文書館所蔵本によって、宗祇山口下向時の詠草『宗祇連歌』を陽明文庫本によって収める。
五山文学関係は前年に続いて比較的史料が多い。当時盛んであった少年僧の試筆に対する和韻の史料が割合まとまってみえる。寺内諸塔頭での日常的な詩会関係史料と共に、叢林における人的交流と詩作活動を伺う史料である。『鹿苑日録』にみる河原者又四郎と景徐周麟の応答は、中世における身分意識と造庭思想を語って興味深い。ほかに横川景三、彦龍周興、万里集九、景徐、月舟寿桂、桂庵玄樹など学芸詩壇の有力メンバーの詠作をその詩文集によって収めた。とくに万里が江戸を出て北陸路を経て美濃に帰る記事は僧の旅を伝え、彦龍の雪舟筆四景図賛は「大唐国裡に画師無し」と喝破した雪舟の根本史料として貴重である。
(目次一頁、本文五〇〇頁)
担当者 小泉宜右・今泉淑夫

『東京大学史料編纂所報』第18号 p.69*-70