大日本史料第六編之三十九

本冊は南朝長慶天皇の文中二年=北朝後円融天皇の応安六年(一三七三)是歳および年末雑載の条と、三十六〜三十八の三冊に対する補遺とから成る。
是歳条の倭寇関係記事については、従来利用されてきた『東国通鑑』をけずり、『高麗史』志・伝の部と『高麗史節要』から新たに史料を採録した。『東国通鑑』の高麗時代の部分はもっぱら『高麗史』『同節要』に拠っているからである。
雑載の「社寺」の項では、金石文とりわけ板碑銘を多く採録した。しかし各県等による金石文の網羅的な調査は未完了であり、われわれの情報収集も充分ではない。したがって刊本等で目についたもののすべて(ただし板碑については種字・紀年銘以外に銘文のないものは省略した)を採るという恣意性を免かれていない。なお挿入図版として埼玉県児玉郡美里村宗清寺にある阿弥陀三尊図像板碑の拓本(埼玉県立歴史民俗資料館所蔵)のコロタイプ版を掲げた。挿入図版に拓本を使うのは異例であるが、この板碑は光明真言を漢字で刻んだ点が珍しく、三尊のレリーフも鑑賞に堪えるものと考える。「学芸」の項の大半は真言宗の聖教奥書で占められる。これも金石文と同様に網羅的調査はまだまだ不充分で、東寺観智院・醍醐寺三宝院など大所の調査も進行中である。本所で知りうるものは可能なかぎり採録したが、相当の洩れがあるのは確実である。金石文や経典奥書を雑載にのせる際の方法・範囲については、なお充分な検討を要する。「荘園・諸職」や「年貢」の項には、「東寺百合文書」中の新発見文書を多く収めている。また前冊の応安六年十一月二十三日条に関連する新発見文書は補遺に収めた(『所報』一五号、五六頁参照)。
雑載という性格上、さほど特筆すべき史料もないが、法隆寺が寺領民に出挙米を下行するに際して、借書を取る場合と取らない場合のあったことを示す算用帳(三一三〜五頁)は、貸借における券文の意味を考える手がかりとなろう。伊勢・河内など南北両党の勢力が拮抗する地域で、売券や奥書に両朝の年号を併記した例がみられる(一八二、二三八〜九頁)のも興味ぶかい。
補遺は、既述の「東寺百合文書」のほか、琉球国中山王の最初の対明入貢(一三七一年)に関する史料や、春日神木入京による朝廷の困惑を詳細に伝える「寺訴引付日記」、その他で構成した。
最後に、この場を借りて正誤表を掲げる。

『東京大学史料編纂所報』第18号 p.68*-69