大日本古文書「幕末外国関係文書之三十九」

本冊以降は、本所所蔵外務省引継書類中にある、老中あるいは外国奉行と、各国の駐日外交官との往復文書に限定して、史料を収載することにした。外務省引継書類には、老中あるいは外国奉行が各国の駐日外交官宛に発信した文書の草案、および彼等から受信した文書の訳文の草案が多く含まれている。これらの草案は、「通信全覧」「続通信全覧」には収められていないが、発信文書については、種々の検討を経ながら当面する問題についての幕府首脳部の最終方針が決まってゆく過程がわかり、受信文書については、正しい訳文が作られてゆく上での試行錯誤の過程を知ることができ、非常に重要な史料である。この草案類を、速かに学界の利用に供するために、冒頭に記したような形で編纂方針を改めたのである。この結果として、本史料集は、幕府首脳部の外交問題への対処の仕方をより集約的に知ることができるものとなり、同時に欧文史料の収載点数が、従来に比し著しく増した。
本冊には、万延元年閏三月朔日(一八六〇年四月二一日)から同年四月晦日(同年六月一八日)までの文書を収めた。以下、このニケ月間の主な記事を紹介する。
第一は、米・英・仏・蘭・魯の五ケ国に対する横浜居留地割渡の問題である。幕府が居留地割渡についての明確な方針をもっていなかったため、各国間および各国と幕府との間に、いくつかの紛争が生じた。フランス総領事ド・ベルクールは、仏国に居留地の五分の一を割渡すよう老中に要求し、居留地割渡には英国と亜国の公使の同意が必要と主張した神奈川奉行の態度は、仏国に対し非礼であるから、同奉行を叱責せよと述べた。この強い態度に押されて幕府は直ちにその要求を容れることにし、閏三月晦日、ド・ベルクールは、神奈川奉行から居留地割渡を受けたので、地代を決めてほしいと老中に発信している。イギリス特命全権公使オールコックは閏三月一四日、五国均等の割渡は交易の実状にあわない、仏国以外の地は各国商人の必要に応じ分配すべきだ、幕府の主張している各国商人の数の限定は無意味である、と老中宛の書状で主張し、さらに二六日には、米国神奈川領事が神奈川奉行と相談して、居留地の半分以上を分取ったと聞くが、これは暴挙である、そもそも居留地区分は大君政府の為すべき事ではないか、と抗議した。これに対し幕府は、四月一九日、米・英・仏の三国公使に、居留地の区分は各国公使の間の商議にまかすと申渡した。
第二は、米・英・仏の三国の公使に、幕府が警護のための武士を付けたことをめぐる問題である。幕府は、外国人襲撃から公使を守るために、警護の武士を付けることは当然であり、本国政府の要請がなければ止めるわけにはいかない、と述べる。一方、ハリス、オールコック、ド・ベルクールらは、このようなことは外交官の権限を侵す非礼な行為であり、国際的な慣習にも反する、警護人が必要かどうかは外交官の判断する事項である、と再三にわたって抗議し、警護の武士をつけないよう要求した。四月一〇日には、オールコックが、警護人の守るべき規則について、老中に提案している。
その他の問題については、簡単に触れる。閏三月二六日、幕府は米・英・仏の三国に対し、条約中に定めた銅とは銅類の全てをさすから、今後は棹銅だけでなく銅器の輸出も禁止すると告げた。三国は、銅器の輸出禁止は条約違反であると反論している。四月七日、幕府は同じく三国に、四月一〇日から新金貨を通用させることを申渡している。
ド・ベルクールは四月七日、総領事から代理公使に昇任したので、仏国皇帝の信任状を将軍へ奉呈する日時を連絡してくれるよう、老中へ書状を送った。本冊では、この日から肩書を変えている。
(例言一頁、邦文目次一五頁、同本文三一五頁、欧文目次五頁、同本文六〇頁)
担当者 小野正雄・多田実・稲垣敏子・横山伊徳

『東京大学史料編纂所報』第18号 p.71*