東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

日本関係海外史料 オランダ商館長日記 訳文編之四(上)

 本冊は、『日本関係海外史料』オランダ商館長日記譯文編の第七回配本に当り、さきに『日本関係海外史料オランダ商館長日記』原文編之四として刊行された平戸オランダ商館長フランソワ・カロン(François Caron, ca. 1600-1673)在職中の公務日記(自一六三九年二月四日、至一六四一年二月十三日)の前半部分、一六三九年二月四日(寛永十六年正月二日)より同年十二月三十一日(同年閏十一月七日)に至る約十一ケ月間の記事を飜訳したもので、末尾に、前任商館長ニコラース・クーケバッケルが日本を去るに当って後任のカロンに与えた訓令書、「日本における会社の業務に関してニコラース・クーケバッケルよりフランソワ・カロンに宛てた覚書」一六三九年二月十一日附、並びにこれに附属する「平戸商館資産債権等引継目録」を附録として訳載したものである。
 記事は、カロンが商館長に就任したのち、前任者クーケバッケルがペッテン号に坐乗し僚船オッテル号と共に日本を去る(二月十三日、新暦、以下同じ)ところから始まる。ついで、三月一日に平戸の領主松浦鎮信は平戸を発して江戸に向かい、カロンも将軍家に献上するため鋳造された臼砲の完成を待って、三月二十四日、江戸参府の途につく。このあと一三頁から二六頁まで、上級商務員エルセラックの平戸留守日記(三月二十五日〜七月十三日)が挿入され、二七頁から一〇四頁までカロンの参府旅行中の記事(四月三日〜七月十三日)が続く。カロンは大小三門の臼砲を献上し、六月二日(日本暦五月朔日)拝礼のため登城したが、家光不例のため酒井忠勝が代ってこれを受けた。そして、六月二十七日に江戸を離れたが、その間、彼は五月二十日に大目附井上政重から、五月二十二日には酒井忠勝の主宰する幕閣会議に喚び出され、世界の情勢、とりわけ日本とポルトガルの交易が断絶された場合に予想される諸般の状況について、意見を聴取され、また六月二十一日には献上した臼砲の試射が麻布霊南坂で行われた。七月十三日平戸に帰著したカロンは、参府の成果を長崎奉行馬場利重に報告するため長崎に赴いたが(七月十五日〜十七日)、さらに、ポルトガル船渡航禁制伝達の上使、目附太田資宗への表敬のため、八月三十日から九月五日まで、また帰府する長崎奉行大河内政勝への表敬のため十月二十日から二十二日まで長崎に旅行する。
 この年のオランダ船貿易は、七月三十日にタイオワンからロッホ号が平戸へ入港したのを皮切りに、都合十一隻の蘭船が入港した。商品の取引は長崎より糸目利の平戸到着と生糸の鑑別・パンカド価格の決定を待って、十月二十日から本格的に開始された。そして、来航十一隻のうち八隻が年内に出帆し、残る三隻は平戸で越年する。なお、本冊の記事は、平戸に設けられた御用臼砲の鋳造所に雨を避けて迷い込み囚禁された日本人人足のためカロン以下商館の幹部職員等が松浦家筆頭奉行人松浦重門の許へ救解に赴く記述を以て終る。
 本冊に扱う時期は、島原の乱後、幕府が自己の軍事力と対外政策を根本的に再検討することを迫られた時期であり、ポルトガル船の来航禁止が決定的となり、これに関連して平戸に在って交易を行うオランダ人の境遇にも一大転機が齎らされる時期にあたる。幕府がポルトガル船の来航を禁止した場合、海外からの必需物資の供給はオランダ船に依存せねばならないから、幕府首脳部はこの問題を慎重に検討し、その結果、八月四日(寛永十六年七月五日)のポルトガル船の日本来航禁止令の発布に到るが、カロン日記の記事には、その間の幕府首脳部の政策決定の過程を窺わせるに足る興味ある記述が多く盛られている。その他、禁教政策の強化に関連して、五人組制度や宗門改に関するオランダ人の見聞、或いは、日本婦人と異国人との通婚禁止、出嶋におけるポルトガル人囚禁の模様などの記事、或いは、臼砲鋳造をめぐって、幕府首脳部の外来技術導入に対する態度や、鋳造の技術上の難点など、興味深い記述に富んでいる。巻末の附録は、離任するクーケバッケルが後任のカロンに与えた「訓令書」でもあり、カロンの在任中に解決すべき課題と懸案が要領よく整理されている。商館長としてのカロンの行動は当然この「訓令書」に規制されることから、この『覚書』は、いわばカロン日記の梗概を予め示したものであり、本冊における事件の展開を理解する上で便利な史料といえる。
 本冊の翻訳は加藤が行い、金井が校閲した。附録の翻訳には非常勤職員鳥井裕美子の協力を得た。また、永積洋子訳『平戸オランダ商館の日記』第四輯(岩波書店)一六八〜三一四頁を参照した。なお、本冊の編纂・校正は、右三名と非常勤職員武中明子・平尾優子が分担した。
(図版二頁、例言四頁、目次三頁、本文・附録二三〇頁)
担当者 加藤榮一・金井圓


『東京大学史料編纂所報』第18号p.74