東京大学史料編纂所

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長野県上田市史料調査

 江戸幕府国絵図の所在調査・研究の一環として、一九八一年八月十八日より二十二日まで、上田市立博物館(上田市二の丸三—三)と上田市立図書館(同市材木町一—二—四七)の二カ所を訪れ、国絵図の調査と同関係史料の調査・撮影を行なうと共に、大日本史料十二編の編纂に必要な史料若干の撮影を行なった。
 上田市立博物館 同館では、次の国絵図を調査した。  

(一)正保信濃国絵図
(二)元禄信濃国絵図
(三)元禄但馬国絵図                    整理番号 二八八
(四)出石御領分絵図                    同    二八九
(五)天保信濃国切絵図                   同    八

(一)が仙石家旧蔵図で、(二)〜(五)が上田松平家文書中の国絵図である(尚、上田松平家文書については、上田市立博物館収蔵史料目録第一号として『信濃国上田 松平家文書目録』が刊行されており、本報告に記してある整理番号はそれによっている。(一)は、〓紙書に所領高のいろは付けがあること、「正保四年丁亥三月十一日」とあること等によって、明らかに正保国絵図であるが、各所に附箋があって、そこには「郷村帳によって書付」といった記載がなされているので、正保図の下絵図ないしは控絵図の系統であろう。(二)は、掛軸仕立ての小型図であって、元禄図を観賞用にしたものである。(三)は、元禄図であるが、薄い紙質の紙に描かれた写図であって、おそらく控図の写しであると考えられる。(四)は、元禄図の一里六寸の縮尺よりもかなり大縮尺の絵図であり、記載内容から判断して、元禄図作成に際してつくられた下絵図としての領分絵図であると思われる。(五)は、薄紙に元禄信濃国絵図を等寸大に写し、十五本の短冊型に裁断した切絵図であって、それに懸紙して訂正が施されているもので、典型的な天保国絵図の控図である。
 尚、この調査の過程で、飯田市立図書館にも正保信濃国絵図が所蔵されていることがわかった。同図は、脇坂絵図といわれており、戦後購入したという。
 さて、国絵図調査のあとで、以下の史料を調査・撮影したので、その目録を左に記載する。  

一万覚(寛永十九年) 整二二一                      一冊
一万覚書(寛永二十一年) 整二二二                    一冊
一御日記写(寛永十九年同二十一年) 整二〇二               一冊

  この史料は、整二二一・同二二二の写しなので部分撮影にとどめた。また、御日記写(整二〇一)は、更にこの整二〇二の写しであるので撮影しなかった。   

一駿州田中御在城中覚書(自寛永十九年正保元年迄)整二二三         一冊
一万覚書(慶安元年) 整二三〇                      一冊
一丹波亀山御居城中覚書(自慶安元年寛文八年迄)整一九三          一冊
一御国絵図取調ニ付諸向江懸合案文并来状留(天保八年) 整一〇       一冊
一信濃国郡村名性名書 整一四                       一冊
一御料私領より指出候信濃国佐久・小県・諏訪郡変地帳(袋書) 整一二    八冊
一御国絵図取調ニ付諸向より来状(天保八) 整九             八六通

 以上が撮影分であるが、残された郷村高帳や国絵図などは、また機会を改めて撮影することにしたい。
 上田市立図書館 同館では、絵図類を中心に所蔵史料の調査を行なったが、江戸幕府国絵図は一点もないことなどを確認するにとどまった。
                            (黒田日出男・藤田覚)


『東京大学史料編纂所報』第17号p.56