水府明徳会彰考館及び土浦市立図書館における調査・撮彰

一九八二年三月二十七日・二十八日、『大日本史料』第一編之二十三及び同第二編の編纂のための史料を水府明徳会彰考館において調査・撮影し、帰途、土浦市立図書館において色川文庫本を調査・撮影した。
○水府明徳会彰考館(水戸市見川町一二一五)
 左記の二点を調査・撮影した。
一、円融院御受戒記(〇五四九五)
 『彰考館図書目録』には見えないが、蔵書票に寅参拾とある。袋綴、一冊。外題「円融院御受戒記写」。内題「太上法皇御受戒記」。本文二十一丁。本奥書は東大寺図書館所蔵薬師院本と同じ。その後に、「右円融院御受戒記一冊以東大寺尊勝院文庫之本写之畢」(本文と同筆)、「今考記末此書源為憲所作也」、「延宝辛酉(九年、一六八一)夏六月承命抵南京寓善性院謄并讐校了」と書写奥書あり。
二、諸寺供養類記(戌拾五、〇九一六九〜〇九一七一)
 袋綴、三冊。本所所蔵本(二〇一四—一九〇)は明治十八年に託写したもので、原本との校合が必要であり、従来も採録に際して原本との校合を行なってきた。
 第一冊
 外題「諸寺供養類記一」。表紙に、
  無量寿院寛仁四年三月
  法成寺金堂治安元〔二〕年七月権記 左経 不知記
  同薬師堂万寿元年六月資平
  東北院(法成寺)長元三年八月小右 土右
奥書に、「右堂供養記壱冊元禄癸酉(六年、一六九三)夏佐々宗淳於京師以油小路殿家蔵本写之今合為諸寺供養類記」とあり。
 第二冊
 外題「諸寺供養類記 二 共三」。表紙に、
  法勝寺承暦元年十二月大記通後通言時範
本書中に、「右山槐記壱冊元禄癸酉夏佐々宗淳於京師以油小路殿家蔵本写之今合為諸寺供養類記」、「右通言記壱冊元禄癸酉夏佐々宗淳於京師以油小路殿家蔵本写之今合為諸寺供養類記」とあり。
 第三冊
 外題「諸寺供養類記 三 共三」。表紙に、
  東寺塔供養記応徳三年伊房
  尊勝寺康和四年七月長秋
本書中に、「右東寺塔供養記元禄乙亥(八年、一六九五)季夏大串善於京師写之」、「右康和四年記壱冊元禄酉夏佐々宗淳於京師以油小路殿家蔵本写之今合為諸寺養類記」とあり。
○土浦市立図書館(土浦市文京町)
 色川三中蔵書については、本所は明治十八年(一八八五)の関東六県採訪において、新治郡役所において調査し、多数の文庫・典籍を借入れて写本を作成したことが、『史料蒐集目録一』(明治十八年 茨城県。〇一七〇—四—一)により知られる。三中の学問・生活・思想・蒐書については湯本武比古『色川三中翁略伝』、『国学者伝記集成』『土浦市史』、鈴木暎一「国学者色川三中の生活と思想」(『地方史研究』七五)、水野柳太郎「色川三中管見」(『茨城県史研究』四二)、中井信彦「色川三中の黒船一件記録について」(『史学』五〇、五一—一・二、三)、石井英雄「色川三中日記について」(『ぐんしょ』三)等がある。蔵書の大部分は静嘉堂文庫に色川本として架蔵されており、著述稿本類を中心としたものが土浦市立図書館所蔵の七十四部(目録では一三五冊・三枚)である。他に、近年自筆稿本・書入本が数点相次いで間に出廻り、若干は水野氏・中井氏の所蔵に帰した。
 本所所蔵『色川三中蔵書目録』(四一〇〇—九九。明治十八年、新治郡役所より送致)の坤と『色川蔵書目録』(四一〇〇—九八。明治十七年写)には「色川三中随筆目録」を収め、そこには八一部の書が掲出されている。しかし現在、土浦市立図書館に入架されているのはそのうちの二六部である。石井論文にも色川文庫の目録が掲載されているが、今回は土浦市教育委員会・土浦市立図書館『郷土関係資料目録』所収の目録の掲載順に撮影した。自筆稿本には○を付した。

『東京大学史料編纂所報』第17号