大日本史料第七編之二十三

本冊には、応永二十二年(一四一五)九月から同年是歳まで、及び同年雑載のうち災異、社寺、諸家、死歿、学芸の各項の史料を収めた。
応永二十二年には大嘗会がおこなわれているので、本冊には大嘗会(十一月二十一日条)をはじめ、御契行幸(十月二十九日条)、大嘗会国司除目(十一月七日)、大嘗会官司行幸(十一月十八日条)、大嘗会敍位(十一月二十日条)、悠紀節会(十一月二十二日条)、主基節会(十一月二十三日条)、大嘗会女敍位(十二月二十七日条)等々、これに関連した史料が多く収められている。
 また、前冊応永二十二年四月四日条には伊勢国司北畠満雅征討のため幕府が諸将に伊勢発向を命じたこと、八月十八日条には諸将帰還せることに関する史料が載せられているが、本冊十月十四日条には義持が満雅を赦免したことに関する史料を収めてある。
 なお、主基節会の日、久我通宣が挿頭花進献のことで将軍義持の不興を買って権大納言・右近衛大将を罷免せられ(十一月二十三日条)、西園寺実永が右近衛大将を兼任(十一月二十八日条)、権中納言三条公量が通宣のあと権大納言に任ぜられた(十二月十一日条)ことについての史料が収録されているが、これらは義持の政治の一側面をうかがわせる好史料といえよう。
 その他、天龍寺において催された高峰顕日の百年忌仏事の史料が十月十九日条に掲載されており、十二月五日条の春日社法華八講、同月十二日条の興福寺維摩会、雑載(社寺)に収めてはあるが、聖快の聖円・聖通に対する伝法灌頂に関する史料は詳細で注目さるべきものであろう。
(目次九頁、本文四三一頁)
担当者 新田英治・山口隼正

『東京大学史料編纂所報』第17号 p.40*