大日本近世史料「市中取締類集」十五

本冊には、旧幕府引継書類の一部である市中取締類集のうち、(一)門前囲込之部(上・下)、(二)町名橋銘之部、(三)在町家作之部(二冊之内一ノ上・下、ニノ上・中・下)を収めた。(一)は、「尾張殿屋敷内天徳寺下屋敷与相対替願」、(二)は、第一件「湯島聖堂掃除屋敷町名唱替ニ付調」から第七件「永久橋武家方組合之儀相願候ニ付調」、(三)は、第一件「町中并町並屋敷之内水茶屋其外家作之儀ニ付取調両名伺」から第一〇件「南品川寺社門前料理茶屋おゐて諸家小休等引受候儀ニ付家作等取調一件」である。
 (一)は、芝西久保の天徳寺が、境内が狭少となったため門前町屋の移転を願出て、同寺の麻布飯倉の下屋敷と四谷堀端の尾張家屋敷の一部を交換し、門前町屋を四谷に移転させるに至った一件史料である。文化八年から始まる一件で、徳川斉温室田安斉匡女琮樹院の廟所のある尾張家の強い申し入れと寺社奉行の支持により実現するが、門前町人の生活維持を求める主張に同調する町奉行・目付との意見対立があり、由緒を誇る寺の寺域拡大要求と町人の生活をめぐる幕府内の種々の意見との対立を知ることのできる興味深い史料である。
 (二)は、例えば、火除地となったため小石川富坂町から浅草堀田原に移転したが、町名は小石川富坂町代地と唱えることによる不都合から、浅草富坂町と改称を願出たものなどである。橋銘の件は、通行の便宜のため橋銘札を掲げることとし、橋銘を正式の名称とするか俗称とするか、その負担を町入用とするか等の評議が中心となっている。
 (三)は、天保改革の奢侈禁止令の一環として天保十四年四月に出された在町家作の取締令に関する一件書類である。町触に違反する料理茶屋・別荘等の家作について、業種、所有者、所在地を詳細に調べあげた屋敷改と町奉行所の報告が収められている。また、天保十三年五月に、江戸の町触に従うことを求められていた大坂・京都・山田の町奉行から、主に御用達町人の扱についての細かな照会もあり、十三年五月令の具体化がみられる。南品川寺社門前料理茶屋等で、往還の諸家の小休引受け等が、宿場助成の観点から道中奉行により問題とされ、料理茶屋の門・玄関等が家作制限令にも違反することもあり、営業を持続しようとする門前町人の歎願をめぐる道中奉行、町奉行のやりとりが収められている。
 なお、本文中の絵図は、前冊と同様に便宜巻末に収めた。
(例言一頁、目次一六頁、本文三五二頁、巻末図版一一頁)
担当者 村井益男・藤田覺・梅沢ふみ子

『東京大学史料編纂所報』第17号 p.43*