大日本古文書「幕末外国関係文書之三十八」

本冊には、万延元年三月二十一日から同月晦日までの邦文文書一一九点、欧文文書九点を収めた。
 本冊で注目すべきものは、前冊と同じくイギリス・フランス両国への荷駄馬輸出に関する文書である。幕府が両国に約束していた一〇〇〇頭ずつの馬の売渡しを、すみやかに実行するように、両国から催促がはじまった。これに対し幕府は、頭数が多すぎるので、馬の全部を渡し終える期日を定めることは困難である、馬の受取りの順序をイギリス・フランスの両国で調整せよなどと述べ、売渡しの引きのばしを計っている。また、箱館のイギリス領事は箱館奉行に、長崎の同国領事は長崎奉行に、一〇〇〇頭の馬の一部を、それぞれの地で購入したい旨を強く要求した。両地から、この報告を受けた外国奉行は、馬の売渡しは神奈川だけでおこなうという合意が、幕府とイギリスとの間にできているので、その要求に応じるわけにはいかないという方針を明らかにした上で、箱館に限り馬三〇〇頭を売渡すことを認めた。
 もう一つの重要な問題は居留地貸渡規則についてである。老中は、イギリス特命全権公使オールコックに送った書状で、分与地面積の決定、土地貸渡手続、地代納入の仕方など、それまでの幕府とイギリスの折衝の結果をもりこんだ八ケ条の長崎居留地貸渡規則を示した。同書状で老中は、右の規則を神奈川ほか各開港場の定規とする積りであること、イギリスが同意するなら、同じものをアメリカ・フランスにも提示したい、と記している(三六号)。附収してある右書状の草案には、色々と加筆、添削があり、成文を得るまでの苦心の程がわかって興味深い。一〇一号は、居留地の場所と決まり、町民全員が退去を命じられた横浜町の町役人らが、引移り先の希望を書いて神奈川奉行所に差出した願書である。これは、外交史の表面にはあらわれることのない、住民と幕府の外交政策との一つのかかわりを示している。
(邦文目次一七頁、同本文三一二頁、欧文目次二頁、同本文一〇頁)
担当者 小野正雄・多田 実・稲垣敏子・高埜利彦

『東京大学史料編纂所報』第16号 p.19