日本関係海外史料「イギリス商館長日記」譯文編付録(上)

本冊は『日本関係海外史料』第二の収載史料であるイギリス商館長日記の訳文編四分冊の内、附録二分冊の第一冊で「譯文編附録(上)自元和五年正月至元和九年十一月」として、「原文編之下」に附録として収載した三種の文書の翻訳(一〜一一九頁)を本体とし、これに「イギリス国所在平戸イギリス商館関係日本語文書、自慶長十八(一六一四)年至元和九(一六二四)年」(一二一〜一八〇頁)を附載したものである。
 本体をなす附録の一は「リチャード・コックスの遺言状、一六一一年四月十一日(慶長十六年三月十九日)作成、一六二七年五月二十九日(寛永四年五月二十五日)執行、登記」英国官公記録局所蔵遺言検認登記簿二−一五一号所収)で、コックスが東洋への旅に出る以前に作成され、その死後執行登記されたもので、これによりその生地がスタフォード州のストールブロックであること、日記本文中に見える親類縁者の記主との続柄などが判明する。なお、旧インド省図書館記録部のファリントン博士の調査によれば、記主はヨーマンのロバート・コックスと妻ヘレンの七人の子女の内、三男で、とくにスタフォード州文書館のセイフォード教区登録簿(Seighford Parish Register)に、記主は旧暦一五六六年一月二十日(新暦一月三十日、わが永禄九年正月九日)受洗と見える由である。これで、リチャード・コックスの生歿年がはっきりしたわけである。遺言状執行文言のラテン文については上智大学教授H・チースリク神父のご教示を得た。またこの遺言状の収載頁を口絵として掲げた。
 附録の二は、「日記闕損期間発信のリチャード・コックスの書状、自一六一九年二月(元和五年正月)至一六二〇年十二月(元和六年十二月)」(大英図書館所蔵文書六通、旧インド省図書館所蔵文書七通)である。コックス自筆日記は旧暦一六一五年六月一日より一六一九年一月十四日までと、一六二〇年十二月五日より一六二二年三月二十四日までの本文を残すのみであるが、とりわけその中間の時期が重要なので、残存するコックスその他の商館員の受発信書状の原本・写本の内、この期間の史実をコックス自身が語る史料として、(1)ロンドンの東インド会社宛公式報告三通(内一通は二日分の日付をもつ)、(2)ロンドン向け私信二通(内一通はパトロンのウィルソン卿宛て、但しイートンの手写、他の一通は自由契約先の毛織物製造人会社宛て)、(3)長崎出張中の平戸商館宛て業務連絡五通)、(4)長崎へ所払い中の館員セイヤー宛て業務連絡三通の合計一三通を網羅した。この期間はいわゆるイギリス商館の「屈辱」とそこからの脱出の時期に当る。コックスの朱印状によるバルナルド船の東京渡航はアダムズの航海記に見る通り無事行われたが、その帰着後は、平戸における英蘭両国民の確執が昂じ、コックス以下イギリス商館員の生命に賞金が懸かったり、平戸松浦家家臣との口論によりセイヤーが所払いとなったり、甲必丹華宇・商館員ニールソン、直臣三浦按針の相つぐ死去、ジャンク船ゴッドスピード号の航海の失敗、というように不幸が続いた。しかし英蘭両商館の防衛同盟成立にともない両国民の協調が回復し、平山常陳事件でコックスの威信が回復した。詳細は『所報』前号六一頁に譲る。
 附録の三は「イギリス商館終末期のリチャード・コックスの日記(原文散佚)の要約、自一六二三年十二月十九日(元和九年十一月八日)至同年同月二十四日」(旧インド省図書館所蔵)である。残存日記の末尾以降、第二回防衛船隊の帰着と同盟解消、経営不振によるイギリス商館閉鎖への動きについての日記がないが、たまたま一八二一年、イギリス人全員の平戸引揚げの六日間の日記の要約が発見され、トムソン版の序説でも紹介されたので、ここに収録した。
 附載の日本語文書(大英図書館所蔵文書一〇通、旧インド省図書館所蔵文書一〇通)は、附録本文が含まれているのと同じ英文文書集の内に含まれるすべての日本語文書を底本として翻字したものである。全二〇通は、所蔵者を考慮せず年代順に排列し、年次を闕くものも推定して収めたが、掲載の番号順に所蔵者を別けると、大英図書館コットン氏文庫本は三・五・六・七・一五・一六・一七・一八・一九・二〇、インド省O・C本は一・二・四・八・九・一〇・一一・一二・一三・一四となり、明治三十六年『史学雑誌』第拾四編第九・十一号に掲載された村上直次郎「ロンドンの日本古文書」の固有番号と対照すると、本書の第一号を闕くので、第二号以下が、村上博士の一・二・三・一六・五・四・七・六・八・一五・九・一〇・一一・一二・一三・一四・一七・一八・一九に相当する。なお、『大日本史料』第十二編の既刊本に収録済のものは八・九・一〇・一二・一四・一五の六点である。ここには、(1)コックス自身発信の書状及び作成の覚書三通、(2)コックス宛て日本人男女書状及び証文一一通、(3)イギリス商館又は商館員宛て日本人男女書状五通、(4)商館員発信の証文一通、合計二〇通を収め、これらによって当時の商習慣・対人関係の実態が知られ、或いは日記本文中に出る固有名詞の比定ができる。各通の始めに、文書の形状、成立の由来、記載事実の前後関係、登場人物の動静などについての按文を付した。図版を掲げなかったがこれらはいずれも、本所所蔵のマイクロフィルムに収められており、その焼付本も架蔵されている。
 附録本文の翻字翻訳に関する原本所蔵者の許諾については『所報』前号の六二頁に記したが、附載の翻字については、それぞれ一九八〇年十一月十四日付の照会に対して、大英図書館からは同年十一月二十五日附の許可状(P. M. Higgins, Assistant Keeper, Department of Manuscripts, The British Library, Great Russell Street, London WC1B 3DG, England. Ref. PMH/LM, dated 25. November 1980)、英国外国及連邦事務省内旧インド省図書館からは同年十二月十一日付の許可状(Dr. A. J. Farrington, Assistant Keeper, India Office Records, Foreign and Commonwealth Office, 197 Blackfriars Road, London SE1 8NG, England. Ref. FL3/I/809, 11, December 1980)を得た。
 編集の都合上、訳文編之上・下・附録(上)についての索引を別冊として次年度に刊行することとした。
 本冊本文の翻訳及び附載の翻字は、金井が行い、校正は非常勤職員武中明子も分担した。
(例言五頁、目次七頁、本文一八○頁、図版一葉)
担当者 金井圓・五野井隆史

『東京大学史料編纂所報』第16号 p.22**-24