大日本史料第七編之二十二

本冊には、称光天皇の応永二十二年正月から同年八月までの史料を収める。この期間の政治の動きとしては、伊勢国司北畠満雅が幕府にしたがわず、幕府が満雅討伐のため伊勢に出兵したこと(四月四日条)、鎌倉公方足利持氏が、関東管領上杉氏憲を罷免、上杉憲基を管領に補して、関東の動きがようやくあわただしくなってきたこと(五月十八日条)、延暦寺衆徒が近江守護六角満高を訴え、日吉社神輿を奉じて入洛せんとしたこと(六月十三日条)、幕府が河内守護畠山満家に命じて河内の楠木一類を討伐せしめたこと(七月十九日条)、前記の上杉氏憲罷免にからんで、諸国の兵が鎌倉に集り騒擾せること(七月是月条)などが注目される。なお、この年十一月二十一日には大嘗会がおこなわれるので、この冊にも大嘗会大奉幣米催促停止(三月十五日条)、大嘗会国郡卜定(四月二十八日条)、大嘗会酒鑪役徴納(六月三日条)、大嘗祭月次大祓(六月是月条)、大嘗会政始(八月十六日条)など、これに関連した記事が散見される。
 本冊において、死歿に伴いその伝記史料を掲げたのは、つぎの通りである。
前東福寺住持季宗初興(正月九日条)
西大寺住持正圓英如(二月二十九日条)
三時知恩寺住持覚窓聖仙(三月一日条)
法印坂士仏(三月三日条)
前総持寺住持明窓妙光(六月二十二日条)
通賢僧正(六月二十七日条)
河野通之(七月二十五日条)
前建仁寺住持太白真玄(八月二十二日条)
 なお、死歿の年月詳ならざるため、事蹟を便宜合叙したものに、
南禅寺八十四世大幢周千(三月四日、廷用宗器が南禅寺住持となり、入寺せる条に)
天竜寺五十五世愚隠昌智(八月十八日、大愚性智が天竜寺住持となり、入寺せる条に)
がある。
 挿入図版には、太白真玄が題詩せる「高士探梅図」を原色版で用いた。
 担当者 新田英治・山口隼正
 (目次一四頁、本文四七一頁、挿入図版一葉)

『東京大学史料編纂所報』第13号 p.31