大日本史料第五編之二十五

本冊には、後深草天皇宝治2年(1248)正月1日から同月18日の条までを収める。
 先ず正月1日の条には、宮内庁書陵部所蔵伏見宮本経俊卿記の宝治元年12月記によって宝治2年元三替物に関する成功の実態が示されている。また同日院御所冷泉万里小路殿の弘御所に於いて行われた院御薬の進行は奉行藤原定嗣の葉黄記(宮内庁書陵部所蔵伏見宮本)に詳細に記されており好資料である。ついで同月6日の条、後嵯峨上皇の承明門院(源在子)御所土御門殿御幸始には刻限によっていかなる装束を著用すべきかが論ぜられている。ついで7日の条、幕府は評定衆の席次を定めるに際し、安達義景と二階堂行義とは一日毎に上下交替して著座すべしとしたのは、両者の関係を窺うに足りる。つづいて同月17日に院御所に於いて行われた和歌管絃会の記事に関して、伏見宮本葉黄記所収の顕朝(藤原)卿記と前田育徳会所蔵和歌御会中殿御会部類所収の顕朝卿記とでは記事の異同が尠くないので両記を併載し、かつ歴代残闕日記第42所収の顕朝卿記を以て校合した。同和歌会が後年、嘉例として挙げられていることに注目したい。ついで同月17日の条には翌る18日に薨じた太政大臣従一位源通光の伝記史料が収められている。中でも通光が天性琵琶の技に優れていたことと、故実に精通していたのにもかかわらず後鳥羽上皇から失礼を咎められたこととは彼の性格の一面を如実に示すものである。また彼の筆蹟を知るよすがとして熊野懐紙(大阪府森田一顕氏所蔵)の写真を掲載したが、彼の若い頃の筆蹟として珍重してよい。花押も収録した。また伝著作ではあるが続歌仙落書を掲載し参考に供した。つづいて本冊の約5分の3の紙数を費して同月18日の条に、宝治2年百首和歌御覧合の記事を掲げた。本百首が続後撰和歌集撰集の前提として重視されていることが首肯できる。本冊は宮内庁所蔵宝治百首2冊を底本として翻刻し、京都大学文学部所蔵勧修寺家本宝治百首前乾坤・宝治百首後全、陽明文庫本宝治御百首春夏・宝治百首秋冬恋及び岡山大学所蔵池田文庫本宝治百首・宝治百首下を以て校した。とくに池田文庫本の宝治百首は個人別の形式がとられている写本であった。その他に宮内庁書陵部所蔵桂宮本成茂宿祢集・同部所蔵蓮性法師百首等を以て異同を注した。国文学研究の資料として堪え得るであろう。
(目次3頁、本文514頁、挿入図版一葉)
担当者 辻彦三郎・黒川高明・田中博美

『東京大学史料編纂所報』第13号 p.30