日本関係海外史料「イギリス商館長日記原文編之上」

本叢書の第二の収載史料をイギリス商館長日記とした。
 イギリス商館長日記(Diary kept by the Head of the English Factory in Japan: Diary of Richard Cocks, 1615-1622)は、鎖国以前、平戸にあって対日貿易に従事したイギリス商館において、その館長であるリチャード・コックスが連年英語で書き記した自筆の公務日記である。現存するのは一六一六年六月一日より一六一七年七月五日までの一冊と、一六一七年七月六日より一六一九年一月十四日まで、及び一六二〇年十二月五日より一六二二年三月二十四日までを合綴した一冊とから成る、以前大英博物館(The British Museum)が入手して近年大英図書館(The British Library)に移管された、縦三五・○糎、横二二・五糎の簿冊で Add. Mss. 31300-31301 として登録されている。
 この日記の原文及び訳文の刊行については、一九七四年七月二十七日附の問合わせに対して、同館所蔵史料の使用を制限する方針はなく、ただ大英博物館でなく大英図書館所蔵と銘記するよう求める、との同意(Mr. H.M.T. Cobbe, Assistant Keeper, Department of Manuscript, The British Library,Great Russell Street, London WC1B 3DG, England. Ref.HMTC/PH, 7th August, 1974)を得たので、各冊の扉に、了解済の文言を英文で明記することとした。
 諸種の事情で、当初予定していた刊行期日が一年遅れ、冊数の割振りも変ったが、右の大英図書館からの同意と、それに基づき、かねて本書の共同刊行を計画していた英国学士院・日本学士院との折衝の事情を述べた一九七五年三月附の、当時の弥永所長の英文序言を巻頭に付した。
 いわゆる英国東インド会社(The Company of Merchants of London Trading into the East-Indies)は一六〇〇年十二月エリザベス女王の勅許によって設立され、一七〇九年改組されて統合英国東インド会社(The United English East India Company)に吸収されるまで存続し、その間バンタムを始め極東五〇箇国以上の場所に六〇以上の商館を設けて広汎な貿易活動を行った。平戸商館もその「商館時代」(factory period)の産物で、江戸幕府の承認のもとに、オランダ人より四年遅れて、旧暦(当時イギリス人はなおジュリアン暦を用いていた)一六一三年十一月二十六日、わが慶長十八年十月二十五日、司令官ジョン・セイリスにより開設され、経営不振のため同一六二三年十二月二十三日、わが元和九年十一月二十一日に閉鎖され、館長はコックス一代限りであった。
 コックスは正確な年月は判明しないが一五六六年ごろイングランド中部のスタフオード州スタブブロック(Stabbrock, Staffordshire)に生まれ、平戸商館長に就任したとき五〇歳に近かった。平戸のほか、コックスは、当初、長崎にヨーロッパ人の代理人を置き、江戸にリチャード・ウィッカムを、大坂にウィリアム・イートンを配置し、前者に駿河・浦賀の日本人代理人を、後者に京都・堺の日本人代理人を監督させるほか、中国・朝鮮貿易に多大の関心を寄せていた。旧暦一六二四年三月二十七日、バタフィアから帰国の途次、船上で死去し、商館旧蔵の文書も今は伝わらない。本冊の巻頭には、最初の英日接触の歴史、平戸イギリス商館の推移、ならびにコックスの略伝と日記の概要を含む英文の序説を添え、そのなかで、とりわけ、大英博物館員エドワード・モーンド・トムソン(Edward Maunde Thompson)博士による最初の翻字本二冊(一八八三年、戦後ニューヨークで復刻)とそれに基づく村上直次郎博士の復刊本二冊(一八九九年)が、永く『大日本史料』第十二編欧文材料の底本とされていたにもかかわらず抄録本であった事情を述べてある。(トムソン版一六一六年十月六日の記事の後半は七日の記事であったことなど、細部は触れられていない。)
 本冊は、三分冊となるこの原文編之上(自元和元年五月 至元和二年十一(ルビ 〓)月)Original Texts Selection II. Volume I. June 1, 1615-December 31, 1616.として、現存日記の最初の部分、一六一五年六月一日より一六一六年十二月三十一日までの一か年半の記事を収める。記事は、平戸商館の新築工事の進行中に、前年末シャムヘ向かい暴風雨のため航海を全うせず琉球に五か月滞在して帰ったウィリアム・アダムズ(三浦按針)の指揮するジャンク船スィー・アドヴェンチュア(Sea Adventure)号の帰着するところから始まり、開館以来始めてイギリスから到着したホゼアンダー(Hozeander)号で来航した船長ラルフ・コピンドール(Ralph Coppindall)の江戸駿府参府とアダムスの浦賀到着、スペイン使節ディエゴ・デ・サンタ・カタリナ(Diego de Santa Catalina)等応接の事情、同じアダムズによる第二回シャム航海(一六一五年十二月より翌一六年七月)の成功、家康死後の秀忠に朱印状更新を求めるためのコックス自身の江戸参府(一六一六年七月三十日より十二月三日)と、そのさいの貿易地制限発令に及ぶ、日英関係の推移を詳述しており、その間に、大坂役後の幕府の大名統制、豊臣秀頼生存説の流布、九州諸大名の貿易事情、日蘭両国関係の不安定な成行き、禁教下のポルトガル船の動向など、多くの史実が散見する。
 本冊の翻字は、三−二〇〇頁を金井が、二〇一−三七七頁を非常勤職員吉川裕子が担当した。本冊中の誤脱については、原文編之中の末尾を参照されたい。
 なお、巻頭の口絵には、『大日本史料』第十二編之二十(訳文五三九頁)及び同第十二編之二十五(訳文四九三頁)所載の一六一六年十月十八日の条の秀頼幼女天秀尼の東慶寺入りの部分を載せて、原本の体載を示した。
担当者 金井圓
(序文二頁、図版一葉、目次一頁、解題六頁、例言二頁、本文三七七頁)

『東京大学史料編纂所報』第13号 p.35