大日本史料第三編之十九

本冊には、鳥羽天皇永久五年(西暦一一一七年)雑載から翌元永元年四月までの史料を収めている。
 白河院政が開始されてから既に三十年を越え、嘉承二年五歳で即位した白河法皇の孫鳥羽天皇は永久元年元服を行っているが、外戚でない関白藤原忠実は、法皇の権威によってその地位を保っている状態で、院の専制体制は確立している。
 法皇の数々の恒例・臨時の神事・仏事・宮廷行事への関与や白河・鳥羽の離宮への御幸等活発な動静を、根幹史料である中右記以下の史料は記している。
 朝廷の大事として注目すべきは、正月二十六日の女御藤原璋子の立后である。前年十二月十三日入内、同十七日女御となった(以上前冊)。璋子は権大納言藤原公実の女であるが、白河法皇が養女とし、立后の儀は盛大に行なわれた。この立后は永久の吉例として後代の規模となったものであり、愚昧記・吉記等の後の記録にも先例として記されている。
 三月十五日宋国が孫俊明等の商客に付した書の旧例に違えるや否やを諸道博士等に勘申せしめている。この勘申文は善隣国宝記の推古十五年・天智三年・天平勝宝六年・元永元年の各条に引載されており、博士等が今は佚書となった経籍後伝記・海外国記を引用し、推古朝等の故事にまで言及し論じた貴重な史料である。
 四月三日永久六年を元永元年と改元。
 同九日中納言源顕通を伊勢に遣わして宸筆宣命を太神宮に奉っているが、後京極摂政部類記に引用された殿暦の逸文は、宣命の趣を承っておらぬ関白忠実の微妙な立場を物語る興味深いものである。
 本冊に事蹟を集録したものは、雅楽属豊原時忠・内舎人豊原時廉・法成寺寺主頼禅・巳講陽禅・教覚・定覚・右兵衛志狛則時(以上永久五年年末雑載)・前権律師信慶(元永元年正月廿五日条)・前権少憎都貞尋(二月十四日条)・前越前守藤原仲実(三月廿六日条)・前甲斐守藤原師季(三月廿七日出家の条、寂日は保安元年七月十八日)である。このうち藤原仲実は能成の子で、紀伊・参河・備中・越前の守を歴任すると共に、篤子内親王家別当・中宮亮等として堀河院中宮篤子内親王に仕え、堀河朝を中心とする数々の歌合に於いて活躍し、また綺語抄・類林抄・古今和歌集目録の著書がある。
 永久五年年末雑載の条で注目すべきは、東大寺領山城国玉井荘と石垣庄との水論で、玉井庄住人等の拙い略押のある解を図版として収載した。
 またこの時期は荘公分離が進行しつつあったので、検注については、永久年中雑載の項を設け、努めて史料を採録した。
 昭和三十七年に第三編之十八を出版して以後、第三編は担当者を欠き編纂を一時中断していた期間があった。今回出版を再開するに当り、体裁等に於いて前冊迄と異なる点がいくつかある。根幹史料である中右記は従来内閣文庫所蔵の流布本(久我家旧蔵本に近衛・九条家本で補写)に拠っていたが、元永元年の部分は欠脱があるため、底本を変更することとした。宮内庁書陵部所蔵の九条家本(鎌倉中期書写)が修補中のため、寛文十年のその忠実な新写本に拠り、流布本と対校する方法をとらざるを得なかった。本文・分註・改行等の体裁については議すべき点があるので案文を付した。
(目次一三頁、本文三五〇頁、挿入図版一葉)
担当者 山中裕・岡田隆夫・石井正敏

『東京大学史料編纂所報』第12号 p.73*-74