大日本古文書家わけ第十七「大徳寺文書之十一」

本冊は、第十巻に引きつづき、大徳寺本坊所蔵の「庚箱」文書の一部を収める。本冊のみでは、「庚箱」は完結せず、残りは次冊に繰越される。本冊所収の文書は、
①如意庵領京都散在地文書
②如意庵領山城国東久世庄文書
③如意庵領山城国久世郡内諸地文書
④如意庵領摂津国平野庄文書
⑤如意庵領摂津国河辺郡内諸地文書
⑥如意庵領摂津国武庫郡内諸地文書
のグループに区分することができる。「庚箱」は如意庵領の文書を基本としており、右の各グループの文書群の伝存の由来を知るには、第十巻の「如意庵文書目録」(二六〇八号文書)、「如意庵所領注文」(二六一一号文書)が便利である。
個別の文書の解説は、ここでは差し控えざるをえないが、開山宗峯妙超(二八一四号文書)、第十世明叟(二八五三号文書)、第二十世日照宗光(二八〇九号文書)、第四十四世柔仲宗隆(二八〇四号文書)、第五十八世桃蹊宗仙(二七二二号文書)などに関する記事は、比較的初期の大徳寺寺史の考究に有益であろう。これらは桃蹊宗仙の他は、摂津国との関係であらわれたものであるが、摂津には第七世言外宗忠の創設した鳴尾の長蘆寺と尼崎の広徳寺が所在し、大徳寺の初期禅僧集団の一拠点であった。本冊はその様相を具体化する史料ともなろう。
また、本冊には多くの土地売券が含まれており、その中には売買契約の交渉や券文・直銭の授受の経緯を示すものがある。例えば、二七一三号文書の(四)(五)(六)、二七二六号文書より二七二八号文書などを見られたい。さらに摂津国の土地売券には、直銭請取文言が売券中の一項目として最初から記入されている形式が多いことが注意される。この場合、当然直銭請取文言は売券の本文と同筆となるが、特殊な場合は、図版に掲げた二八四九号文書のように、「直能米四石七斗」とのみ売券に記入しておき、現実に請取った段階で、「四斗」を「陸斗」に直し、「請取了(花押)」と追筆するような場合もあった。
なお、枡定規の一例として、二八一三号に「広徳寺納升升本」を掲げたことを付記しておきたい。
(目次二一頁、本文二七七頁、花押一覧一〇頁)
担当者 稲垣泰彦・笠松宏至・保立道久

『東京大学史料編纂所報』第12号 p.75**-76