日本関係海外史料「オランダ商館長日記原文編之三」

本冊は、昭和四十九年度刊行のオランダ商館長日記原文編之一・二に続く第三冊で、原文編之三(自寛永十四年六月、至寛永十六年正月 Original Texts Selection I. Volume III, Augustus 9, 1637-Februarius 3, 1639)として、第八代商館長ニコラース・クーケバッケル(Nicolaes Couckebacker)在職期間中の日記の第三のしかも最後の部分で、一六三七年八月九日から、記主の職務が上級商務員フランソワ・カロン(Francois Caron)に引継がれる一六三九年二月三日まで一七か月の記事を収める。
 本冊では、日本人の海外渡航の禁止からポルトガル人の日本入国禁止に至る期間の、オランダ東インド会社にとっては日本を含むアジア各地での商圏拡大の、また日本にとっては幕藩体制確立の過程がつぶさに知られる。とりわけ、最良の友といわれた平戸の領主イキ殿(松浦隆信)を失いつつも、長崎代官末次平蔵の助言を得つつ、高まりゆくポルトガル人に対する幕閣の反感と引きかえにオランダの地位を向上させて行く、バタフィア総督・商館長・商館員の努力が詳しく追跡できる。その努力のなかでも、レイプ号を島原に派遣して日本国への奉仕を果したいきさつは、すでに文政年間に成立した『天馬異聞』がその一端を伝えているものの、その原文の全容が紹介されたのは、はじめてである。乱後のクーケバッケル江戸参府紀行や、平戸を発して東京に赴き朱印船貿易の出先に新たな商圏を拡げようとしたハルツィンクのサントフォールト号航海記が注目される。
 底本にはA本を用い、F本・H本・H'本・H"本(ともに当該年代にアムステルダムに送られた写本)、I本(当該年代に近い写本の残闕)、J本(いわゆる有馬日記、十九世紀初頭の写本)及びK本(A本によるJ本よりも新しい写本)を以て校合し、脚註を付し、巻頭には英文解題を、巻末には全三巻の総合索引を付した。
 本巻の編集、とりわけ前半については、M・E・ファン・オプスタル女史の、また全体に亘り永積洋子女史の助言を得た。前者は所報第十一号(一三六頁)に記した通り、昭和五十年九・十月の二か月間本所にあって親しく協力されたオランダ国立中央文書館の、現在は第一部次長の地位にある方であり、後者は昭和五十一年度前期に非常勤講師として協力を賜わったものである。
担当者 金井圓・加藤榮一
(図版一葉、目次一頁、解題六頁、例言一頁、本文三四五頁、索引三八頁、原文編之一・二の正誤表追加七頁投入)

『東京大学史料編纂所報』第12号 p.80