日本関係海外史料「オランダ商館長日記譯文編之一(下)」

本冊は、前記『オランダ商館長日記』譯文編の続きで、その第二冊、譯文編之一(下)(自寛永十一年四月、至寛永十二年十一月)として、第八代商館長ニコラース・クーケバッケル在職期間中の公務日記の第一の部分、原文編之一所収の一六三三年九月六日(寛永十年八月三日)より一六三五年十二月三十一日(寛永十二年十一月二十二日)に及ぶ二十八か月の記事の後半、一六三四年五月六日(寛永十一年四月九日)以降の翻訳を収め、上冊に続いて、いわゆる寛永十二年令に見るような日本人の海外渡航禁止を含む幕府の鎖国政策の進展のなかでも、オランダ商館が、比較的有利な立場を占めてくる過程が描かれている。
 新任の長崎奉行榊原職直との交渉や、平戸松浦家の在国の家臣たちとの折衝の過程で、日常業務が展開するなかでも、前年からの懸案の解決のためには、再度江戸参府の必要があった。商館長クーケバッケルは上級商務員カロンとともに寛永十二年一月七日参府の途に就き、二月九日から二か月半江戸に滞在して、家光に謁見し、ついで、再三再四改訂された請願書も一先ず受領されるに至った。もっともその要求内容が承認されたわけではないので、平戸に帰ると、両人は度々長崎に赴いて奉行と折衝を続けて、案件の弁明に努める。その間に、平戸の在来商人と五箇所商人との間にオランダ人との取引をめぐる対立も生じ、奉行の介入を来しさえした。請願内容は、日本人貿易家のタイオワン行き停止以外には依然として何も解決を見ずに、この年は終る。
 本冊には、この種の日蘭交渉の過程のほかに、幕府のペルシヤ馬による馬匹改良の意図、朝鮮人の韃靼風馬術上覧、茶屋延宗・三浦按針の渡航自肅、平戸・長崎におけるキリシタン弾圧の有様のほか、将軍上洛、年寄酒井忠勝の屋敷替、前長崎奉行竹中重義の処刑、対馬藩士柳川調興一件の顛末、さらには、カロンの語学力の賜と思われるが、松浦隆信や榊原職直(フィンダ殿)、末次茂房(フェゾ殿)その他幕閣の要人等の政治的立場や思想内容を伺うに足りる記述などが含まれ、興味深い。また、一六三五年八月十六日の条に引く長崎在住ポルトガル人への禁制(一四四頁)、同年十二月七日の条に引く寛永十二年鎖国令(二〇三頁)の、各訳文は貴重である。末尾(二一七〜二二八頁)に附録として添えた「舵手ヘンドリック・アレントセン及び助手ヤン・ド・フォスの五嶋東部への航海の日記(自一六三四年六月二十九日至七月十五日)」は、底本中にはないが、バタフィア総督を経てアムステルダムの会社に送られた謄本が残っており、本文とも関係が深いので、訳出したものである。
 本冊の翻訳は金井が行い、永積洋子訳『平戸オランダ商館の日記』第三輯(岩波書店刊)一五七〜二九七頁を参照した。
担当者 金井圓、加藤榮一
(例言二頁、目次三頁、本文二三〇頁)

『東京大学史料編纂所報』第11号 p.29*