大日本古文書家わけ第十八「東大寺文書之十」

「東大寺文書」は本冊より新たに東大寺図書館架蔵文書のうち、いわゆる未成巻文書の刊行を開始する。
 東大寺図書館架蔵未成巻文書とは、東大寺に伝えられた膨大な文書群のうち、明治初年に皇室に献納された一群(東南院文書)、明治二九年頃巻子装に改められた一群(いわゆる百巻文書)と明治末に寺外に流出した文書とを除いた残余の文書群(七千数百点)のことをいう。そしてこの文書群は京都帝国大学による分類・整理を経た後、同大学によって影写され、本所にもこの影写本の写しが「第四回採訪影写本」と「東大寺図書館所蔵文書影写本」として架蔵されている。(なお、この未成巻文書については、その整理の現状の一端を本冊の例言に略述しているので、あわせ参照していただければ幸いである。)
 本冊には、東大寺図書館架蔵の未成巻文書のうち、同図書館架番号1/1/1から1/1/159に至る文書一五二点を収める。これは、1/1架に属している文書のほぼ半数にあたり、若干の例外(第一三五号・大部荘雑掌僧堯賢申状案など)を除き、ほとんどは黒田荘関係文書である。
 個別の文書の内容についての解説はここでは差し控えざるを得ないが、本冊に収めた文書全体を見わたして言えることの一つは、文書の土代がきわめて多いということである。そしてその中には、土代から文書が作成されていく過程を示す、興味深い史料も含まれている。一例をあげれば、第一一五号から第一一七号に至る一連の文書はいずれも、黒田荘悪党にかかわる元徳二年六月日の東大寺衆徒僉議事書の土代と案文であるが、第一一六号と第一一七号とに収められている数点の断簡から、少くとも二つの時間的に別な段階の土代を復原することができる。これによって、第一一五号のようにより完成された形の事書案だけではうかがえない、この文書に記された論点の周辺の事情を、知ることができよう。
 なお、第八号・名張郡薦生牧券文案、第一七号・東大寺政所下文等案、第二一号・摂政忠通家政所問注東大寺権上座寛仁・伊賀目代中原利宗申詞記案、第三一号・東南院主恵珍文書施入状ほか数点の文書は、部分的にはすでによく知られていた文書ではあるが、いずれもその中が何紙ずつかに切り離され別々に保存されていたため、利用されにくい面があったので、今回これらを旧状に復した上で印行に付している。(なお、このうち第二一号と第三一号の文書については、赤松俊秀氏が「杣工と荘園」の中で復原・考証をされている。)
おわりに、本冊の校正途中に担当者の菊池武雄氏が逝去された。氏はこれまで東大寺文書の出版に心血を注がれ、本冊の出版にあたっても、病没の直前までその校正に意を尽されていた。特に付言し、あわせて氏の冥福をお祈りしたい。
担当者 菊池武雄・千々和到・笠松宏至・稲垣泰彦
(例言五頁、目次一七頁、本文三一〇頁)

『東京大学史料編纂所報』第10号 p.37*