大日本古文書家わけ第十七「大徳寺文書之十」

本冊は、大徳寺本坊所蔵の「庚箱」文書の一部を収める。本冊のみでは、「庚箱」の全てを収めることが出来ず、残りは、次冊以降にわたる予定である。
 本冊の文書群は、内容上、
�大徳寺并諸塔頭所領文書
�如意庵諸證文
�如意庵領西條坊門屋地文書
�如意庵領土御門屋地文書
�如意庵領京都散在地諸文書
のグループに大別することができる。
 �は、寛永十年六月二日から廿三日にかけての一八二点からなる百姓指出であり、この検討から、大宮郷船岡の地に住む農民の存在状況を追求することができよう。「大徳寺文書八」・「大徳寺文書九」に収める天正十九年の大徳寺領内土居堀成分注文・土居内田畠指出などと併読することによって、山城における大閣検地のあり方、検地の寺院経済への影響、近世における寺院と領内農民のあり方などを把握できるのではなかろうか。
 �には、四條坊門の敷地一所に関連する安元から応永にわたる賣券・譲状・寄進状があり、平安から室町期にかけての同一地域の賣買寄進の実態を興味深く追求することができよう。
 �に収める如意庵領土御門敷地重書案は四一通の文書からなる連券で、案文ではあるが、「大徳寺文書四」の一五五五号土御門敷地訴訟文書案、一五五九号土御門敷地文書、一五六二号土御門四丁町巷所分證文、一五六三号土御門四丁町野畠證文、一五六五号幕府奉行連署奉書、一五六六号茨木長隆折紙、一五六七号幕府奉行連署奉書、一五六九・七〇号茨木長隆奉書などを併読することによって、天文年間における洛中土御門四丁町の地子銭をめぐる領主−農民関係のさまざまな様相(例えば、連券三六号大徳寺役者等連署申状案によれば、作人唱門士四郎兵衛等は、ほしいままに耕作をおこないながら地子銭を納めていないことがわかる)をみることができよう。なお�には、四丁町地子目録・地子注文の他に四丁町指図があり、これらによって、京中諸商買の実態もうかがうことができる。
 以上、個別文書の解説は略し、本冊編纂中に気づいた二、三の点について記した。
(目次二二頁、本文二七七頁)
担当者 佐藤和彦

『東京大学史料編纂所報』第10号 p.36**-37