大日本近世史料「諸問屋再興調十三」

本巻は旧幕引継書類のうち「諸問屋再興調」廿一の後半及び同廿二の前半を収めた。廿一の後半は第二〇件から第四四件までで六八通の文書が件別に配されており、廿二の前半は四件一四通から成っている。
 前者の六八通は大別して、水油・色油問屋に関する調査と、桶樽職人組合の再興に関する調査と、小間物問屋丸合組に関する調査とに分かれる。水油(灯油)商売にも下り水油問屋・下り水油問屋並仕入方・地廻水油問屋の区別があり、色油とは髪油を指していった。問題としては問屋再興にあたり、大商人である水油問屋が市場防衛のためにいかに右にあげた他の問屋に流入する商品を監視するかということがあった。桶樽職人については改革ごとに国役から役銭上納へ、さらに国役への復帰と変遷したが、今回さらに役銭に改める方針が打出されたこと、丸合組小間物問屋については元文五年に内店組より分かれたさい、商品を十組以外の船に一切積載しないと誓約した証文などがあげられ、また通町組・内店組の組名を廃止して單に小間物間屋とのみなしえざる理由として、大坂における積荷の組立ての混乱をさけるためだということも引かれており、海運上のギルドの強固さが知られる。
 再興調廿二の前半の四件は、薬種問屋再興に関するもののうちの一部である。当時江戸における薬種商人は本町組薬種問屋が一九人、大伝馬町組薬種屋が同じく一九人、そして両組の仮組に属する者が二〇人いたが、まず問屋以外の者が薬種荷物を直接取引することを禁止した享保七年七月の町触をあげ、ついでこれに抵触する堺より出店した小西屋の問題の処置関係の史料がみられる。そして江戸城吹上役所で栽培していた朝鮮人参の払下げに関する史料が第四件に収められているが、これについては第五件以後に連続する事柄であるから、次巻とあわせて読むのが適当であろう。
(目次一一頁、本文二一七頁)
担当者 阿部善雄・長谷川成一

『東京大学史料編纂所報』第10号 p.39