大日本古文書「幕末外国関係文書附録之六」

大日本古文書幕末外国関係文書附録第六巻は五巻と同じく「村垣淡路守範正公務日記」を収めている。村垣範正は、勘定吟味役の身を以て、既に安政元年、外国奉行の前身とも考えられる海防掛りを命ぜられ、さらに同元年、松前・蝦夷地事務取扱を命ぜられた。ついで同三年箱館奉行に任命され、安政六年には外国・箱館・神奈川・勘定四奉行を同時に兼帯して、万延元年には、遣米使節副使として日米修好通商条約批准書を交換し、のち外国・箱館兼任奉行として引つづき在任、文久二年には、外国奉行専任となり、そうして文久三年、作事奉行の閑職に移され、明治元年隠居の身となり公生涯を終えた。
村垣範正は、安政元年元日より慶応元年五月二十六日まで、渡米日記を含めて、二十六冊の公務日記を書いており、このうち戦前に大日本古文書幕末外国関係文書附録三巻(附録之二・三・四)にわたって、安政元年元日より同四年十二月晦日までの期間の日記が公刊された。今回、幕末外国関係文書本編が、安政年間の出版を完了したのを機会に、同時期の範正日記の公刊を企て、五・六・七巻(五巻は昭和三九年出版、七巻は昭和四一年度出版予定)の三巻により、前巻に続き安政五年正月より同六年十二月までの期間を含む公務日記を収録することとした。
彼が長期間にわたり、外国関係の主要役職にあり、しかもその間、勤勉に記録を継続したことは、当時の外国掛老中や外国奉行らのもので、これに比肩しうる記録がほとんど存在しない現状では、村垣範正公務日記を明治維新、とくに幕末国際関係史の第一等国内史料として位置づけることができる。
今回刊行の附録六巻をさきに刊行された五巻とともに紹介すると、五巻の日記所収年代範囲は、安政五年元日より、同年九月二十一日までである。安政三年箱館奉行に任命された範正は同年十月箱館に向け出発し、同五年三月八日まで同地奉行として箱館に在勤し、竹内保徳の着任により、同年四月十五日、箱館を出発し、蝦夷・北蝦夷を巡見して九月二十一日江戸に帰着する。従って、本巻は全冊ほとんど蝦夷に関する記録であることが最大の特色といえよう。そのため、直接外国関係の記録は従であり、主として、蝦夷地の行政・開発・土着民との交易・地理が記録の対象となっており、さらに巡見の日記では、北蝦夷の現地踏査記録が遺されていることが興味深い。しかし、通商条約締結前とはいえ、すでに米国貿易事務官ライスが安政四年より箱館に駐在しており、彼との具体的な交渉記録も相当量あり、初期日米関係史料としても非常に有用であろう。ただ当時ロシアとの接触の最前線であった北蝦夷においては、彼我の間の交渉は見られず、関係記事はない。
附録六巻にはいると内容は一変し、彼が江戸に帰ってからの外交問題に集中される。本巻の所収する日記期問は、安政五年九月二十二日より同六年四月晦日までであり、五年十月九日に、範正は外国奉行に任命され、六年四月には、外国・箱館・勘定三奉行を兼任し、まさにこの時期は彼の公生涯の中で最も活動した時期に相当していた。しかし、彼の日記は、一貫して単調な羅列的記述で、個人的意見がほとんど見られないため、外交史上、開港当初期にあたる重要な時期のものであるにも拘らず、一種の不満足感を与えぬこともない。しかし、事務的な数行の記録からでも、われわれは実際に起っている事件の発展状況や、相ついで発生する新事態に対応する幕府の政策形成過程を追求できるのであり、本篇の外交文書にはあらわれぬ史実を解明できる。一例として、外国奉行所が江戸城内に新設され、仮役所より移転した事実(安政五年十一月二十七日条)や下役にいたるまでの外国支配向役人任命の記事は、制度史的に精密な全体像を把握する上で不可欠の史料と言えよう。
本巻の出版は、小西四郎・多田実・稲垣敏子が担当した。
(目次一頁、本文二八四頁)

『東京大学史料編纂所報』第1号 p.33**-34