大日本古記録「建内記二」

建内記は建聖院内府万里小路時房(応永元年−長禄元年)の日記で、現存する部分は、逸文および断簡等をも含めると、応永二十一年(一四一四)に始まり、康正元年(一四五五)に至る。このうち、応永二十一年より正長元年までの分は、昭和三十八年三月「建内記一」として刊行した。つづいて本冊には、永享元年正月、三月−八月、十月、同二年二月−四月、六月、七月、十月−十二月、同三年二月、三月、十二月、同六年十月、同十一年正月−三月、六月、および原本に存する紙背文書の悉くを収める。
本冊に収録した日記の原本は、菊亭家(京都大学附属図書館保管)、京都大学文学部国史研究室・宮内庁書陵部・田中穣氏の日野角坊文庫に分蔵せられており、本書の刊行に当っても、これら諸本を用いた。また原本を欠く部分については、菊亭家・内閣文庫・東山御文庫・宮内庁書陵部・京都大学文学部国史研究室・陽明文庫等所蔵の諸種の写本を用いた。
建内記は、その原本においても錯簡・剥離等が多く、復原には相当の操作を必要とするのであり、写本の部分にいたっては一層の困難が伴う。いま刊行に当っては、剥離した断簡を補い、錯簡を正し、能う限り復原に努めた。
内容上、公家に関する記事としては、朝幕関係一般のほか、改元・大嘗会・後小松上皇御落飾・同一回御仏事・新続古今集の撰進等が、その主たるものである。これに対し、幕府に関する記載は詳細をきわめている。本冊に収めた永享元年より同十一年に至る間は、幕府において、足利義教が征夷大将軍・右近衛大将・左大臣と累進して、専権を振った時期である。ときに時房は権大納言で、永享元年より同五年義教の譴責を受けて罷免されるまでは武家伝奏を勤めていた。このため、本冊の大部分が、武家伝奏として、公武間のあらゆる事項、および義教の改名・元服・将軍宣下・右大将昇進ならびにその拝賀・新造室町第への移徙・書札礼その他の大小事に直接関与した際の記録で、当代幕政の実体を伝える一等史料といえる。さらにまたこの時期には、時房が南都伝奏をも兼ねていたことから、興福寺を中心とする南都諸寺の僧官の競望、衆徒国民の闘乱、幕府の南都政策等を明瞭に伺うことができる。その他、社会経済・宗教・学芸・民俗等に関する多様な記載に富んでいる。
本冊は、斎木一馬・百瀬今朝雄・益田宗が担当した。
(目次三頁、本文三七〇頁、岩波書店発行)

『東京大学史料編纂所報』第1号 p.31