大日本近世史料「諸問屋再興調七」

本書は国立国会図書館に所蔵される『旧幕引継書類』のうちの町奉行書類の一部『諸問屋再興調』二十六冊を編纂刊行するものであり、逐次出版して今回第七巻に至った。幕府が天保十二年に停止した諸問屋組合を嘉永四年三月に再興するに当り、町奉行所諸問屋組合再興掛と町年寄が中心となって、各問屋の再興の可否を検討していったが、直接それに関係した書類ばかりでなく、各種商売の沿革に関する書類が収められているので、この引継書類が近世商業史上に占める比重は、きわめて高い。本書の第一巻には、主として再興に関する幕府の基本方針と再興命令の伝達の過程についての書類が含められるが、第二巻以下は、各種問屋の再興書類を収載している。
 『諸問屋再興調』第七巻は原本の第十二冊と第十三冊を収める。第十二冊は「紙問屋之部」として、紙問屋に属する糸問屋・竹皮問屋・絵具染草問屋・線香問屋・丸藤問屋および綿打道具問屋の再興関係書類を一括しており、さらに「明礬之部」として、明礬問屋の再興に関する一件書類を一括している。紙問屋関係についての文書は七点にすぎないが、町年寄の上申書と、これに対する町奉行所諸問屋再興掛の意見によって、紙問屋・糸問屋は文化以前からの問屋に相違ないということで、再興が認められるが、その他の問屋は文化以来のものとして、再興願が却下せられた。
 明礬会所の再興関係書類は四十一点であるが、これによって、まず唐明礬に依存してきた明礬の流通事情に変更を与えるに至った豊後明礬の進出と、その唐和明礬会所の由来、および薩摩明礬会所の進出の事情が判明する。二者はそれぞれ享保二十年・天明二年の設立であり、とくに前者は江戸・大坂のほかにも会所を増設して、逐次各地の明礬を独占する形勢にあった。それが天保改革によって乱掘が進んだため、品質が落ちるに至って、両会所は嘉永五年に諸問屋の復興同様再興されんことを出願するが、本来、在方の商売物として調査が勘定奉行所に移管されるにおよび、その後の審理書類は、この町奉行所書類から姿を消した。会所の旧記・起立書をはじめ、町触や諸出願書のたぐいが多い。
 原本第十三冊は「硫黄問屋」と「諸家国産売買」の二部に分かれている。前者は三十三点の書類から成り、後者はすこぶる多く八十四点に上るが、まず前者については、古来の硫黄問屋七名を復興せしむるに当って、硫黄が火薬の原料たるところから、江戸への海上輸送が統制されたため、浦賀奉行所の取締に関する経緯を示す書類が連ねられ、ついで上州硫黄がみだりに硫黄問屋外の者に搬入されるようになって、これをきびしく禁止するにおよび、硫黄・焔硝ともに関宿番所・中川番所を通過するさいの統制が問題となり、町奉行・中川番・関宿番・浦賀奉行など相互間に照会がおこなわれたため、その方針が決定されるに至るまでを示す書類が含まれる。あわせて幕末における鉄砲稽古の奨励による焔硝需要の一端を示す書類も収められる。
 「諸家国産売買」は天保改革によって、販売自由となった諸家国産品を、諸問屋の再興とともに再び規制する処置を講ずる場合の手続の書類を収めたものであるから、幕末における諸大名の国産品名が網羅される。たとえば会津藩の蝋・漆・塗物・鉛等、土屋業直知行所の生焔硝、水戸藩の蒟蒻玉・唐紙・茶碗・砂鉄・材木等、仙台藩の材木等、平藩の塩干肴・煙草・藍玉等、姫路藩の木綿等、その他紀伊藩・阿波藩・松代藩・平戸藩等の国産品について、具体的に取扱の法が規定されている。それに関する大名側の照会や町年寄側の調査書類が各件について示されているので、いかなる大名が、いかなる国産品を江戸に売捌いていたかを包括的に理解することができるとともに、国産品の運輸の方法、売却における出入商人の立場等のほか、地廻り問屋との関係等についても研究することができる。

なお本書の編纂は伊東多三郎・阿部善雄・進士慶幹の三名が担当した。
(目次一三頁、本文三七一頁)

『東京大学史料編纂所報』第1号 p.32*-33