大日本近世史料「幕府書物方日記三、附御文庫始末記」

本巻は、昭和三十八年度より刊行している「幕府書物方日記」の第三巻にあたるものである。この日記は、内閣文庫においては「〔御書物方〕留牒」及び「〔御書物方〕日記」として架蔵されている。両者は、従来、函架・分類を別にしていたものであるが、内容を検討するとき、これは一つづきのものである。本所ではこれを統一し、「幕府書物方日記」と名付けて刊行する。
 この「日記」・「留牒」の原本は、宝永三年(一七〇六年)から安政四年(一八五七年)まで、中間に多少の闕けた年次があるが、約百五十年に亘っている。この日記は、数人の書物奉行が、当番制によって交代して出勤・執務していて、次の日の当番に申し送りをする帳面として書きつがれたもののようである。執務の内容、文庫内外の情況を記すとともにおのずから、紅葉山文庫の図書出納簿や、また受入簿の役をもはたしているから、これによって文庫の利用等について知りうるし、まさに近世芸文の一面を覗きうるわけなのである。
 この第三巻は享保五年・六年の分を収める。原本では「留牒」の七・八の二冊分である。
 本巻において、とくに注目すべき事項としては、享保五年に、書物目録の改訂が行われ、林信充(七三郎)らと協力して、文庫全体の蔵書の整理・再検討をおこなっている。このことは、紅葉山文庫と林家との創立以来の関係や、また書物奉行の任務の独自性を確立してゆく過程など、種々の問題に触れるところがある重要な経過である。またこの間、文庫の蔵書のうち、所謂「上り切」本についての処理についても注目すべきであろう。享保六年には、新目録編成の作業は、なお引きつづいており、この間、とくに中国の地誌類、また律令関係の図書が多く出し入れされていることが目につくし、「大日本史」二百五十冊が、受入れられたことも注目される。
 また享保六年には、久しく書物奉行を勤めてきた松田正治(金兵衛)が死亡して、その代役が新任されるという人事異動もあるが、その松田の墓が、本郷喜福寺に現存しているので、その写真を収め、解説を附した。

また本巻には、紅葉山文庫の大要を知るために享和三年に編修された「文庫始末記」を、略解題を附して附録に収めた。これは文庫の変遷を概観するのに便利であり、この「書物方日記」の理解の資ともなるであろうと考えられるものである。
 さらに、本書には、それぞれの巻に現われる人物の呼称とその略歴を収めた人名一覧と書名の検索の便をはかるための書名一覧を附することとしている。本巻には、本巻の人名一覧・書名一覧を附したほかに、第二巻に、種々の都合で附け得なかった書名一覧をも併載している。
(例言・目次五頁、本文二二三頁、人名一覧一九頁、書名一覧一三二頁、附録五五頁)
担当者 太田晶二郎・松島栄一・山本武夫

『東京大学史料編纂所報』第1号 p.33*