春景駒の戯 維新史料引継本〈史料番号〇三八〇―四二〉



 一九一六年(大正五)四月二〇日、文部省維新史料編纂事務局が購入(旧番号Tり―一三一七)したものを、五六年(昭和三一)一〇月八日、東京大学史料編纂所が引継登録。
 維新史料編纂事務局が付した表紙にも「春景駒の戯(戊辰役諷刺)(六枚続)」とあるように、戊辰戦争(一八六八〜六九)の諷刺画で、鳥羽・伏見戦の場面を描いた六枚続の錦絵。一八六八年(明治元)の板行と推定される。絵師の辰春亭については未詳。
 現存する鳥羽・伏見戦を画題とした錦絵は少なくないが、なかでも上方の浮世絵師と推測される照皇斎国広の「毛理嶋山官軍大勝利之図」はその代表的な作品と言われている。維新史料引継本には図柄が若干異なる「毛理嶋山官軍大勝利之図」が二種類あり、『東京大学史料編纂所図書目録 第一部 和漢書刊本編3』(一九五七年三月)では〈〇三八〇―四七〉を改訂版としている(ただし二枚目を欠く)。〈〇三八〇―四六〉は「春景駒の戯」と同じく一九一六年(大正五)四月二〇日の購入で、後補の表紙には「毛理嶋山官軍大勝利之図(戊辰役諷刺)(六枚続)」とある。この「毛理嶋山官軍大勝利之図」と「春景駒の戯」とはその構図が近似しており関連性を想像させるが、「春景駒の戯」では、旗等に見える諸大名家の家紋は実在のものを使用しているものの、人物の顔が将棋の駒で表現され、より諷刺的性格が濃厚である。「毛理嶋山官軍大勝利之図」と同様、一枚目の画面中央に錦旗二旒とともに描かれている馬上の人物は、おそらく征討大将軍の仁和寺宮嘉彰親王(「春景駒の戯」では菊花紋付きの具足・陣羽織等を着用し「王将」の顔を持つ人物)であろう。