維新史料編纂事業と錦絵
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維新史料編纂事業
 一九一一年(明治四四)五月一〇日、維新史料編纂会官制(勅令第一四五号)の公布により、文部省所管の明治維新史料編纂事業が開始された。本事業は、前年六月二〇日、山県有朋・大山巌・井上馨・松方正義ら薩摩・長州・土佐藩出身の元老・華族を中心とする有志によって創立された彰明会(同年九月、井上が総裁に就任)の事業を継承するものであったが、ついに帝国議会の協賛を経た政府直轄事業として発足することとなり、あらためて明治天皇の勅旨と元老の総意に基づく国家事業と位置づけられたのである。
 維新史料編纂会は、総裁・副総裁・顧問及び委員を以て組織し、文部大臣の管理に属して維新史料の蒐集及び編纂を掌るものとされ、編纂会の事務を掌理するため維新史料編纂事務局を文部省に設置した。初代総裁には井上馨が就任した。一九一五年(大正四)井上没後は副総裁金子堅太郎が第二代総裁に昇任し、一九四二年(昭和一七)五月の官制廃止まで在職した。また、彰明会会員はほとんど顧問・委員に任命されている。事務局には局長・書記官・書記の職員が置かれ、嘱託の常置編纂員・補助員が編纂の実務を担当した。一九一八年三月、常置編纂員・補助員は専任の維新史料編纂官・維新史料編纂官補に改定された。
 一九四一年八月、通史の『概観維新史』全一巻・『維新史』全六巻が完成すると、翌月、総裁金子堅太郎は事業の終了を昭和天皇に上奏し、一九四二年五月、維新史料編纂会は官制が廃止され、文部省維新史料編纂事務局も廃局となる。しかし、現実には史料集の『大日本維新史料』及び『維新史料綱要』の編纂・刊行、補足史料の蒐集、稿本の複製・献上等の業務は未だ完了していなかった。残務整理として編纂事務を継続するため、同月八日、文部省内に文部大臣官房史料編修課が設置されたものの、組織の改編・縮小と人員削減を余儀なくされる。一九四四年から四五年にかけて、第二次世界大戦の戦局の悪化に伴い空襲等の戦災から稿本や史料・図書及び什器類を保全するため、職員と共に長野・福島両県への疎開が実施された。この前後、一九四五年(昭和二〇)七月、史料編修課は文部省教学局所管となった。敗戦後はさらに組織が縮小され、同年一〇月、文部省社会教育局調査課福島分室となり、一九四六年三月には、文部省教科書局調査課維新史料掛となったが、同年一二月、文部省教科書局教材研究課維新史料係と改められた。
 敗戦後まもなく文部省内では維新史料編纂事業の処理問題が検討され、東京帝国大学文学部史料編纂所との移管交渉を開始するが直ちには合意が成立しなかった。一九四七年秋頃より再度交渉がなされ、ようやく四八年二月一三日の文部省議によって移管が決定し、三月二九日、文部大臣森戸辰男と東京大学総長南原繁との間で覚書が取り交わされた【写真】。この覚書に基づき、文部省所管の維新史料編纂事業は、四九年四月一日までに担当職員と稿本及び史料・図書類と共に東京大学文学部史料編纂所へ移管されることになった(同年三月三一日移管完了)。史料編纂所では維新史料部を新たに設置して維新史料の編纂事業を継承した。
 現在は、史料編纂所近世史料部門維新史料第一室(『大日本維新史料類纂之部 井伊家史料』担当)・第二室(『大日本古文書 幕末外国関係文書』担当)が幕末維新期史料の研究・編纂及び出版を行っており、保管転換後の「大日本維新史料稿本」と史料(特殊蒐書「維新史料引継本」)・図書類は史料編纂所図書室で公開されている。
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文部省維新史料編纂事務局旧蔵の錦絵
 維新史料編纂会では、採訪すべき史料の種類を、@文書、A記録、B談話、C図表、D絵画、E史績、F遺物等に分類し、史料採訪の方面を、まず東京と地方に分け、東京を細別して、官庁署、図書館、華族、名士、維新史研究諸会等とし、地方を細別して旧公家、旧藩主、藩臣、名士、道府県・郡・市町村等の公共団体、図書館等としていた。発足当初から、錦絵・摺物を含む画像史料も蒐集する方針であった。維新史料編纂事務局では蒐集した史料・図書類を次のように分類している。まず、「T」(購入・寄贈のもの)と「U」(事務局作製の副本)の二種に大別し、さらに、「い」(一般史料)、「ろ」(伝記・武鑑・辞典・年表)、「は」(談話筆記)、「に」(公文・上書・建白書)、「ほ」(公文・日記・手記)、「へ」(書翰類)、「と」(紀行文)、「ち」(詩文・遺稿)、「り」(地図・絵画・写真)、「ぬ」(洋書)、「る」(家譜・武鑑・辞典・表類)、「を」(雑書)、「わ」(目録)、「よ」(出張報告)という分類記号を付けた。ただし、一九二三年(大正一二)九月の関東大震災後は、「に」・「と」は「ほ」へ、「る」は「ろ」へ、「を」は「い」へ統合・整理されている。現在、史料編纂所では、維新史料事務局旧蔵史料を維新史料引継本として保存・公開しており、事務局時代の史料番号がそのまま利用されている(錦絵は引継登録時に刊本として扱われ、新番号が付与された)。利用に際しては、従来『文部省維新史料編纂事務局 所蔵図書目録』(一九三六年)で検索していたが、日本史史料書誌統合データベース作成経費(代表 黒田日出男)によりHi-CATから検索可能になった。
 錦絵はほとんど「り」の「地図・絵画・写真」に分類され(一部、「を」の「雑書」に分類)、編纂会創設直後の一九一二年(明治四五)から大正期前半にかけて集中的に購入されており、維新史料引継本には七七件が現存する【別表】。ただし、編纂会では、編纂の材料または参考史料になり得ると判断された錦絵のみを蒐集し、それ以外はまったく集めていない。したがって、引継本の錦絵は、錦絵全体から見れば板行時期や画題が極めて限定されている。木版多色摺の浮世絵版画である錦絵の画題には、美人画・役者絵・風景画・花鳥画・武者絵・物語絵・戯画・相撲絵・時事報道画など多種多様なものがあったが、引継本には美人画・役者絵等の代表的な画題の錦絵は一点も存在しない。引継本の錦絵は、そのほとんどが幕末維新期に大量に版行された時事報道的な内容の色濃いものである。幕末・明治期には、錦絵の時事報道的な性格が強まり、鯰絵・横浜絵・開化絵・戦争絵・新聞錦絵などの新しいジャンルが現れた。なかでも諷刺画は政治社会史料として従来から注目されているものであり、維新史料編纂会では発足当初から画像を含む摺物と併せて積極的に蒐集している。錦絵のほとんどは現在カラーによる撮影とデジタイズが行なわれている。これにより、本所ホームページに『錦絵ギャラリー』が開設されている。
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