重賀の入寂の条を編纂する際、覚えのために作成したものです。
是歳、重冬入道の子(実は孫)として生まれる。[五八代記:重賀][満済置文(醍25-207)]
是歳、三宝院満済の許に召し置かれる。[満済置文(醍25-207)]
4月5日、経誉とともに三宝院満済を戒師として得度する。法名重賀、仮名右兵衛督。[満済准后日記][満済筆重賀実名(醍99-58)][五八代記:重賀]
4月8日、経誉とともに延暦寺戒壇において受戒する。坂本において三宝院門跡の出世一同、一献を沙汰する。[満済准后日記][五八代記:重賀]
4月14日、百日入堂を始める。[満済筆入堂次第写(醍412-126-2)][入堂次第略抄(醍99-58)][五八代記:重賀]
9月21日、三宝院満済の南都下向に随行する。満済は「出世両人、右衛門督経誉、右衛門督重賀」と記している。[満済准后日記]
4月21日、十八道加行を始行する。[満済筆十八道加行日数(醍101-12-3)]
11月21日、十八道正行結願。[満済准后日記][五八代記:重賀]
11月28日、石清水八幡宮寺田中融清の末子が三宝院満済を戒師として得度するにあたり、脇足湯帷等の役を勤める。[満済准后日記]
5月21日、金剛界伝受のため、暗誦を始める。[満済准后日記]
6月7日、金剛界を校合する。ついで立印する。[満済准后日記]
6月17日、金剛界正行始行。[五八代記:重賀]
10月6日、金剛界正行結願。[五八代記:重賀]
6月29日、胎蔵界正行始行。[五八代記:重賀]
3月22日、これより先、三宝院満済より給恩として久多郷の知行を認められる。[満済置文(醍25-207)]
6月13日、三宝院満済入寂する。
11月14日、三宝院道場において同院義賢より伝法潅頂を受ける。[義賢授重賀伝法潅頂印信印明・紹文(醍79-71)][中性院重賀潅頂(醍544-35)][五八代記:義賢、重賀]
12月5日、11月25日の仏眼法の記録を書く。「権律師重賀(花押)」。[仏眼大法雑記(醍112-10)]
8月18日、曼荼羅供の記録を書く。「金剛仏子重賀」。[曼荼羅供雑記(醍231-2)]
4月23日、三宝院義賢所持の伝法潅頂作法書を書写する。「重賀(花押)」。[伝法潅頂三巻奥書断簡(醍466-9)]
8月15日、賢長書写本をもって「同壇用意」を書写する。「重賀」。[同壇用意(醍504-13-5)]
11月21日、賀茂神光院道場において桜町賢真に伝法潅頂を授ける。[重賀授賢真伝法潅頂印信紹文・印明(醍79-120)][五八代記:重賀]
11月17日、密教院弘典より許可潅頂を受ける。[弘典授重賀許可潅頂印信紹文(醍79-76)][五八代記:重賀]
11月21日、山上光台院において深雅に伝法潅頂を授ける。[重賀授深雅伝法潅頂印信紹文・印明(醍79-137)][五八代記:重賀]
8月8日、釈迦院において報恩院賢深に伝法潅頂を授ける。[五八代記:重賀]
10月26日、曼荼羅寺祭礼頭役に新補され、これを勤める。[曼荼羅寺祭礼頭役次第事(田中穣氏旧蔵典籍古文書280)]
7月7日、釈迦院において報恩院賢深に第二重を授ける。[五八代記:賢深]
正月13日、愛染王法を深雅に授ける。「法印重賀(花押)」。[愛染王法秘口伝(醍474-11)]
10月15日、妙法院賢超および西往院賢怡に伝法潅頂を授ける。[五八代記:重賀][野沢血脈(醍85-6)]
10月17日、中性院において阿弥陀院仙海に伝法潅頂を授ける。[五八代記:重賀]
11月27日、葉室浄住寺において重慶に伝法潅頂を授ける。[重賀授重慶伝法潅頂印信印明・紹文(醍79-77,78)][五八代記:重賀]
11月26日、曼荼羅寺祭礼頭役を勤める。[曼荼羅寺祭礼頭役次第事(田中穣氏旧蔵典籍古文書280)]
3月16日、中性院において三宝院政紹に伝法潅頂を授ける。[宗典僧正年中記(醍117-25)][伝法潅頂見聞雑記(醍501-40)][五八代記:重賀、政紹]
5月15日、三宝院政紹に宛てて附法状を出だす。[重賀附法状(醍25-34)][五八代記:政紹]
閏8月8日、病席において報恩院賢深に第三重を授ける。[五八代記:賢深]
閏8月15日、入寂する。[宗典僧正年中記(醍117-25)][曼荼羅寺祭礼頭役次第事(田中穣氏旧蔵典籍古文書280)][五八代記:重賀]