オキナワ 南部

  

幸地腹門中(糸満市)一族の集合墓。ただしこの「一族」の概念が複雑でよく分かりません。血縁なのか地縁なのか。
              どうも両方関係あるみたいなんですが。 
 


  

糸数城 (玉城村)たいへん立派な石垣ですが、沖縄戦時の砲弾痕なのでしょうか、そのためにボロボロになっています。
           郭の形状は残っていますので、修復されたら素晴らしい姿になると思われます。
  


  

玉城城(玉城村)こちらは糸数城と違い、郭の形状が残っていません。左は本丸に入るためのアーチで、ここに沖縄国生み
          の神様アマミキヨが降臨したのだ、という説もあります。光が差していて、とてもいい写真でございましょう?
          右は玉城城本丸から望んだ海です。


  

斎場御嶽
(知念村)沖縄第一の聖地です。あまりに有名なので説明は略。


斎場御嶽から見た久高島 聖なる島、久高島です。沖縄の国生み神話はここから始まります。午年に、つまり12年ごとに
                 この地で女性たちによってイザイホーの祭りが行われるわけですが、前回は女性=巫女が足り
                 なくて、催されなかったそうです。
○沖縄の国生み神話について オモロにはアマミキヨ、シネリキヨの神が、日本の浄土僧である袋中が書いた『琉球神道記』
   (1608)には人としてのシネリキヨ(男)とアマミキヨ(女)が、『中山世鑑』(1650)にはアマミクという神が記されます。
   興味深いのは久高島にも、東の海の彼方からアマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)がやってきて島を作った、という伝承が
   あることで、もしかすると久高島の伝承が本当に伝播したのかもしれない。尚氏の発祥の地である佐敷、斎場御嶽、そこから
   見える久高島、という地縁がどう関係するのか、なかなか興味深いなあ、と思うのです。
   尚氏は沖縄を統治するに際し、宗教世界をも統一的に編成する必要にせまられた。このとき尚氏は佐敷に近く、極めて高い
   呪術性を有している久高島の宗教的な習俗を取り込んだ。国生み神話が持ち込まれたのもこのときである。それゆえに久高島
   を望む斎場御嶽が随一の聖地となり、聞得大君(国王の姉妹)を頂点とするノロ(呪女)の体系が構築された。
   と、まあ、これはあくまでも歴史愛好家としての想像ですが。
   ただ、第一尚氏最後の王様が久高島のシャーマンと恋仲であった、とか、彼女と会っている内に金丸によって王朝を乗っ取ら
   れちゃった、という伝承が何を意味しているのか、気になるところではあります。