東京大学史料編纂所

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研究種目名 基盤研究(C)
研究課題名 中山・花山院家関係史料にみる中世文化情報の継承過程についての研究(24520739)
研究期間 2012年度~2014年度
研究代表者 本郷 恵子
研究目的 本研究は、中山家・花山院家という兄弟関係にある二つの清華家に伝えら れた「山槐記」「薩戒記」「妙槐記」の三点の記録と、それらから抄出・編集 された「達幸故実抄」「妙槐記宣旨案」「私要抄」等の故実関係史料(儀礼作 法書や文書文例集)について、写本や逸文の探索と内容の分析を行い、故実 関係史料編集の経緯、伝来の過程を検討することを主軸としている。また、 より広い問題関心として、前近代を通じて人々が継承しようとした知識の性 格や継承の方法、知的交流のありかたを探ることを試みた。
研究実績の概要
  • 2014年度
  • 2013年度
  • 2012年度
【2014年度】
最終年度である二〇一四年度は、これまでの研究をまとめ「東京大学史料 編纂所研究成果報告二〇一四─四」として、以下の内容の報告書を作成した。
(一)醍醐寺所蔵の中山家関係史料
「薩戒記」記主の中山定親息である賢深(一四二九~一五〇四)が醍醐寺 報恩院主をつとめて以来、中山家は同院との関係が深い。定親の孫の宣親は 「薩戒記」応永三十三年記一三巻について写本を作成して手許にとどめ、原 本は応仁の乱等の戦火を避けて上醍醐に預けたという。残念ながら応永三十 三年記の行方はわからないが、その後も歴代の報恩院入室者の手にかかる中 山家関係史料が伝来している。「薩戒記」から仏寺・寺院関係記事を抄出し た「薩戒御記之内抜書」「法中方之事」、醍醐寺の関係者に加えて、中山家の 一族を追善の対象に加えた「醍醐寺過去帳」、元和九年(一六二三)に再興 された後七日御修法のための先例調査をまとめたと思われる「観応諸卿意見 状」、定親が担当した文安二年(一四四五)の後小松院十三回忌追善八講関 係史料である「宸筆御八講記」、田中教忠氏が「薩戒記」原本と認定して、 中山家から出た同記自筆本と一具とした「永享四年十二月九日記」を含む 「任大臣幷大饗記」である。これらについて内容・伝来等を検討した。
なお「醍醐寺過去帳」に記載のある「青雲院向月理玉大姉」について不明 としたが、慶長十三年二月十一日没の中山親子かと考えられる。中山親綱女 で寛済の伯母にあたり、陽成天皇の典侍だった女性である(遠藤珠紀氏のご 教示による)。
(二)幕末~近代における中山家蔵書
幕末~維新期の中山家当主である忠能(一八〇九~一八八八)の「中山忠 能日記」から、同家蔵書に関わる記事を取り出して、同家の蔵書とその管理 について考察した。また慶応二年(一八六六)の孝明天皇の崩御に関わって、 先例として多くの中世史料が参照されていることなどから、幕末にいたって も故実・先例が実践的な意味を持っていたことを確認した。
(三)吉見幸和旧蔵古記録類の伝来について
明治四十二年刊の大阪府立中之島図書館の目録『大阪府立図書館和漢図書 目録』において十一函に収められているとされる史料の多くは、尾張の国学 者吉見幸和(一六七三~一七六一)による古記録写本である。旧十一函史料 を閲覧・調査して、それらの書誌をまとめた。そのなかに「神谷蔵書」「神 谷図書」等の神谷永平(一八一三~一八八七、通称永楽屋伝右衛門、味噌溜 製造を業とした名古屋の豪商)の蔵書印や同人の書き入れを持つ書物が含ま れ、また細野要斎の随筆「感興漫筆」に「吉見氏歴代所蔵の書を売りて、永 平これを買ふ、風水翁の書写本多しと聞く」と見えることから(明治七年正 月記)、吉見幸和書写本が、神谷永平の蔵書となり、さらに神谷家から中之 島図書館に売却されたことをあきらかにした。なお、吉見幸和の蔵書印のう ち「幸輪之印」としたものについては、「幸龢之印」に訂正する。
このほかに研究の開始以来継続してきた翻刻作業の成果として、『宮内庁 書陵部所蔵柳原本「私要抄 叙位恒例臨時幷女叙位 花内記」』(荻島聖美・ 本郷恵子)および「『中山親綱卿記』(天正一五年・一六年・一九年記)の紹 介」(遠藤珠紀)を収録した。
備考