[画 像]
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#198(原本15−1) (原本15−4)
一九八 今川了俊貞世自筆書状(切紙)
○第二・第三紙ノ行首ニ見ユル註記「二」・「三」ハ、本文ト同筆
ナルガ如シ、
「 」
新春吉事自他最前申篭候了、尚以不可有尽期候、
抑両国事、於今者、嶋津両人為御方之由京都ニ申候間、其実きこしめし
定られ候ハんために、僧を被下候歟、此時嶋津両人ニ同心候輩相共ニ八
代ニ発向候て一戦仕候ハヽ、まことに可為御方候間、可有御免候、若猶
たゝ御方と申て候ハかりにて、如此間於国の所行不儀ニ候ハヽ、この御
返事に付て退罰せらるへきよし仰下されて候間、返〃目出候、此左右の
ほとハ、名和か事それニ候へきよし申遣候也、嶋津か内心を存候ニ、よ
もこのたひも八代ニ罷向事ハあらしと存候、然者退罰御教書ハ必〃可成
下候間、其程ハ相構相構御方の人〃御同心ニ国をかたく御ふまへ候て、
大将をも御合力候へく候、今度了俊ニ下されて候京都の御事書・御教書
の案文、名和か方ニ遺候、御らん候て御心え候へく候、兼又了俊事条〃
仰合らるへき事候とて、俄ニめされ候間、且ハ当陣をもよくよくしたゝ
めをき、且ハ両嶋津か進退をも見定候て可罷上候、其間は細〃ニ可申承
候、可有御同心候、了俊事委細安国寺に申て候、御尋候へく候、就是非
上洛仕候とも、九州の御方深重の御かたかたの御代官を申へく候間、定
御悦喜候ぬと存候、了俊九州ニ在国候よりも、中〃京都ニ参候ハヽ、鎮
西やかて退治のもといニ成候ぬとおほえ候、就中身か事ハ京都ニ一二ケ
月ニハ過ましく候、やかて可帰陣候間、ことにことにめんめんの御ためも
可御心安候、よくよく名和御談合候て連〃可承候、恐〃謹言、
正月六日 了俊(花押)
清敷殿
「渋谷清敷殿 御返事 了俊」