[画 像]

#170(原本14−2)  (原本14−5
 一七〇 今川了俊貞世自筆書状(切紙)
       」
   面〃御参陣事治定候間、待申候処、于今遅〃無心元存候、
一氏久事、父子共ニ不参候、如何様尚野心相残候歟之間、重左右を相尋
候、面〃御事者、自最初伊久御一揆之由承候、伊久如此在陣候上ハ、
就公私不日御参陣可然候、たゝし氏久参否実承候て不参候ハヽ、やか
て可対治候、其時ハさいわいニ御在国候間、まつ大将兵部大輔一所ニ
御馳寄候て、氏久ニたいして、一御合戦候ハヽ、弥日ころの御ちうの
分もあらハるへく候、若又氏久父子間ニ参候ハヽ、とても国ニてハ何
事候ましく候間、片時もこれへとく御参候へく候、それのやうニより
候て申候へと、大将方ニ申遣て候、面〃御談合候へく候、又御一家中
の御相論地の事なとハ、まつさしをかれ候て、これへ両方御申候ハん
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ニ、任文書可致沙汰候、尚〃氏久遅〃候ハんニ付ては、兵部大輔一所
ニ、一日もとく御馳加候へく候、治定氏久参候へきならハ、又片時も
まつこれへ御参陣可然候、たゝいたつらニ面〃の御在所在所ニ御在郷
候てハ、諸事に付候て、以前御申のかとあるましく候間、御心えのた
めに、惣の御中に此状を進候、御所にて御披見あるへく候、若又御寄
合煩たるへく候ハヽ、此以案文めいめいニ申候へと、兵部大輔ニ申付
て候、定可申候哉、恐〃謹言、
  五月十五日    了俊(花押)
   渋谷人〃御中