東京大学史料編纂所

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刊行物紹介

日本関係海外史料 オランダ商館長日記 原文編之十三

 本冊は、オランダ商館長日記原文編之十三(自慶安四年十一月 至承応二年九月 Original Texts Selection I, Volume XIII. January 1, 1652-November12, 1653)として、 アドリアーン・ファン・デル・ブルフAdriaen vander Burgh (一六五二年一月一日から同年十一月三日まで)、フレデリック・コイエットFrederik Coyet(一六五二年十一月四日から一六五三年十一月十二日まで)の両商館長在任中の公務日記を翻字翻刻したものである。ファン・デル・ブルフの日記のうち、一六五一年十一月一日から同年十二月三十一日までは、原文編之十二に収めた。
 アドリアーン・ファン・デル・ブルフは、アムステルダム生まれで、一六四一年に上級商務員としてタイオワンに来た。一六四九年にはバタフィアに移り、一六五一年八月、商館長として初めて日本に来た。
フレデリック・コイエットはストックホルム生まれのスウェーデン人で、一六四三年にオランダ東インド会社の職員としてバタフィアに到着し、同地で勤務した。一六四七年十一月三日から一六四八年十二月八日まで日本商館長として勤務し(原文編之十一)、一度タイオワンへ戻った後、再び商館長として日本に赴任した。
 一六五一年六月八日(慶安四年四月二十日)の三代将軍徳川家光死没、一六五一年十月二日(八月十八日)家綱襲封後最初の参府となる一六五二年、拝礼献上は異例の速さで実現した。その際江戸で大目付井上政重と長崎奉行馬場利重から渡された、新将軍による通商許可の確認、ポルトガル人との通交禁止と情報提供の義務付け、中国船攻撃の禁止からなる将軍の命令書は、長崎で通詞たちとともに翻訳され、同年五月二十三日条に記されている。
 日蘭関係が安定に向かう状況の中で、日記にも、江戸や長崎での日常的な交渉の記録が増える。銅の早期購入・船積みの許可、日本暦九月二十日出発の強制など、以後の日蘭貿易の基本的なやり方とつながる話題が散見する。井上政重の薬種やドドネウスの『植物誌』への関心、井上を通した珍品の需要なども垣間見ることができる。一方、輸入生糸の主産地は、中国からトンキン・ベンガルに転換し、オランダ人たちはもはや中国産白生糸を対象とするパンカド(糸割符)の価格に固執することはなくなっていた。
 本冊の底本は、オランダ国ハーグ市、オランダ国立中央文書館(NationaalArchief)所蔵、『日本商館文書』Archief Nederlandse Factorij Japan(NFJ, nummer toegang 1.04.21) のうち、
 〔A本〕 Daghregister van’t comptoir Nagasacky in Japan, beginnende deneersten november a o. 1651 ende eyndicht den 3 e november anno 1652.(NFJ第六五号、旧番号KA一一六八七号)及び
 〔C本〕 Nangasacky Dachregister deses Comptoirs sedert 4. November1652 tot 10. November Anno 1653.(NFJ第六六号、 旧番号KA一一六八七号)である。
 翻刻に際しては本所所蔵マイクロフィルム複本(マイクロフィルム六九九八─一─四─九及び十、同焼付本七五九八─二─十三~十五)に拠った。
 この二冊の底本と全く同じ期間の記述のある異本は、『日本商館文書』中にも、バタフィアへ送られ、同地からさらにオランダ本国へ送られた『東インドよりの到着文書集』Overgekomen Brieven en Papieren uit Indië(『オランダ東インド会社文書』Verenigde Oostindische Compagnie, nummertoegang 1.04.02 に含まれる)の中にも存在しない。本書では、江戸参府期間についての日記を抜粋した以下の写本を用いて、当該部分についての校訂を行なった。
 Extract uyt de dagregisters van den jaare 1647 tot 1656. (N F J 第二六〇号、 旧番号KA一一七五六号、本所架蔵マイクロフィルム六九九八─一─五二─三、同焼付本七五九八─四─一~五)のうち
 〔B本〕 [Deel V] Extract uyt het Japansche daghregister gehouden a o.1652 bij den E. Adriaen van der Burgh, van’t gepasseerde in Jedo, geduirendezijn verblijff aldaar.(一六五二年一月二十五日から二月二十六日まで)
 〔D本〕 [Deel VI] Extract uyt het Jappanze dachregister bij den E. FredrickCoyet a o. 1653 gehouden, betreffende desselfs verrichten voor detweede mael aan ’t keyserlijck Jedose hoff. (一六五三年一月十五日から二月二十二日まで)
 A本とB本、C本とD本の間には、僅かな単語の脱漏や挿入、語順の相違、特に日本語の表記における綴字の相違が散見するほかは、決定的な相違は見られない。
 なお、本冊の巻頭には口絵として、日記底本Aの第一頁、日記底本Cの表紙、ファン・デル・ブルフとコイエットの署名、の三枚を白黒で掲載した。本冊の本文の校訂に関しては、ワウテル・エリアス・ミルデWouterElias Milde 氏、イサベル・田中・ファン・ダーレンIsabel van Daalen 氏、シンティア・フィアレイCynthia Viallé 氏から、序文及び注の英文についてはマーサ・チャイクリンMartha Chaiklin 氏から多大の協力を得た。編集・校正については、非常勤職員大橋明子氏・矢森小映子氏も参加した。
 (解説・例言・参照書名略号一覧一四頁、目次一頁、図版二頁、本文二九八頁、索引二七頁、本体価格一四、一〇〇円)
担当者 松井洋子 松方冬子


『東京大学史料編纂所報』第64号p.54-55