43.ロシア連邦サンクトペテルブルク市所在日本関係史料の調査

二〇一七年一〇月一日から一〇月八日にかけて、ロシア連邦サンクトペテ
ルブルク市を訪問し、日本関係史料の調査および研究打ち合わせをおこなっ
た。出張者は、保谷徹・小野将・佐藤雄介(以上、日本学士院経費)、本郷
恵子副所長(海外S科研経費)の四名である。現地では、共同研究者のワジ
ム・クリモフ上級研究員(ロシア科学アカデミー東洋古籍文献研究所)に調
査日程のコーディネートおよび通訳等でお世話になった。
一 ロシア国立歴史文書館
 国立歴史文書館を訪問し、セルゲイ・チェルニャフスキー館長らと面会し
た。事前に依頼した複製史料データ三つのジェーロ(ファイル)四二四コマ
を受領した。ここには、一八〇五年の漂流民カムチャッカ到着(一八〇四年
の慶祥丸乗員)の報告書やオアフ島付近で遭難した日本人漂流民送還に関す
る上申書(一八三五~三七年)、フリゲート艦パルラダ号の調査記録ファイ
ル(一八五二~五九年)、などが含まれている。
 チェルニャフスキー館長とは共同研究事業に関して協議し、二〇一八年度
も五月末に東京で研究集会を開催するものとした。また、日本関係史料解説
目録の継続分作成について提案があり、この追加目録作成を本年五月に提供
を受けた東アジア(日中韓)関係史料解説目録の翻訳・出版よりも優先して
おこなうものとした。来年五月の研究集会までに完成させる計画である。
 同館ではとくに史料保全にかかわる部門を見学する機会を得た。温湿度管
理やカビなどの予防、マイクロフィルム撮影による史料保全、史料の修補や
脱酸装置の様子などを見学した。
二 ロシア国立海軍文書館
 国立海軍文書館を訪問し、ワレンチン・スミルノフ館長、マリナ・マレヴィ
ンスカヤ副館長らと面会した。事前に依頼した複製史料データ三七一コマを
受領した。ここには、リコルド覚書(一八五〇年)や一八五〇年代海軍官房
フォンドの一部などが含まれている。
 次いで以下の史料を閲覧した。
①Ф四一〇.Оп二.Д.二三八五.Л.七一 об-七二.
②Ф四一〇.Оп二.Д.二三八五.Л.一二三.
③ Ф四一〇.Оп二.Д.二三八五.Л.一二四 ①~③はいずれも一八六
一年対馬に建設した建物図。紙コピーしかないもの。
④ Ф四一〇.Оп二.Д.三九八三.Л.一一一 横須賀工廠図、フランス
語、オリジナルは破損ひどく、デジタル画像で閲覧。
⑤Ф一三三一.Оп四.Д.六四 海図。確認のために閲覧、画像は入手済。
⑥Ф一三三一.Оп四.Д.九三 海図。確認のために閲覧、画像は入手済。
⑦ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二六三 八代湾図、一九〇七年ロシア海軍発
行、原図は一八七八年日本側測量。
⑧ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二六四.早崎海峡図、一八八五年発行。原図
は同上。
⑨Ф一三三一.Оп一〇.Д.二六六.富岡湾・口之津、原図は同上。
⑩ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二六七.佐伯浦図、一八八七年発行。原図は
一八八二年同上。
⑪ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二六八.宇和島湾図、一八八五年発行。原図
は一八七五年同上。
⑫Ф一三三一.п一〇.Д.二七〇.八幡ガ浜図、原図は一八八二年同上。
⑬ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二七二.隠岐・西郷浦図、一八八三年発行。
原図は一八七九年同上。
⑭ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二七三.隠岐図、一八八三年発行。原図は一
八七七年同上。
⑮ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二七四.田串湾図、一八八四年発行。ロシア・
アベルグ艦隊測量。
⑯ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二七六.久慈湾図、一八八七年発行。原図は
一八八三年日本側測量。
⑰ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二七七.エトロフ島・北海道東部ほか図、一
八八八年発行。
⑱ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二七八.福島湾図、一八七一年・一八七四年・
一八七八年?
⑲ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二八五.松前・根室ほか北海道図、一八七四
年発行?
⑳ Ф一三三一.Оп一〇.Д.二八七.豊後水道図、一八八七年発行。シー
ウチ艦測量。
㉑Ф一三三一.Оп一〇.Д.四一九.日本周辺停泊地図。
㉒Ф一三三一.Оп一〇.Д.四二一.日本周辺停泊地図。
㉓Ф一三三一.Оп一〇.Д.四三八.福山・福島図、一九〇一年日本製。
㉔ Ф一三三一.Оп一〇.Д.四三九.鹿児島湾図、一九〇五年。原図は一
八九六年日本側測量。
㉕ Ф一三三一.Оп一〇.Д.四四〇.厳原図、一九〇七年発行。原図は一
八九七年同上。
 来年度の研究集会について協議し、また昨年交換した出版覚書にもとづき、
「日本関係史料解説目録2」の刊行について確認した。マレヴィンスカヤ副
館長から、目録記述の一部修正および図版一二点の挿入などについて提案が
あった。図版候補には、一八八六年長崎稲佐のロシア海軍病院の写真、一八
九四年ロシア海軍士官撮影の広島・呉港の写真ほかが含まれ、さらに、
Nikolay Vasilyevich Sablinのフォンドに、日露戦争時の松山の捕虜収容所の
集合写真(二一-一-八四〇-一六、一九)などがあることがわかった。
三 ロシア科学アカデミー東洋古籍文献研究所
 クリモフ上級研究員とともに、同研究所のワシーリー・シェプキン上級研
究員の協力も得て、下記の史料を閲覧した。
 A九四「日記」:文化元年(一八〇四)のもので、小西甚三郎という商人
がつけた商用の記録。横半帳、全四七丁で、サイズからいって、携帯可能な
現用の帳簿と考えられる。史料中には、「箱館注文物」「アヲモリ(青森)積
入」などとあり、東北北部・蝦夷地での売買を記録したものと思われる。途
中までしか記載がなく、白紙部分が多くあり、明らかに途中で記述を中断せ
ざるをえなかったことが窺える。同研究所所蔵「大福帳」(A四七)「簾貸帳」
(A四八)などと同じく、文化年間初期の北方紛争の際、フヴォストフらによっ
て接収された諸品の一部であることを思わせる。
 北方紛争によって形成された日本コレクションについて、シェプキン研究
員の話では、「ロシア科学アカデミー文書館の二つのリスト(一八一〇年と
一八一四年)は、露米会社からアカデミーへ移管された資料であり、これら
はクンストカーメラとアジア博物館(現在の東洋古籍文献研究所)が分有し
た。このうち一八一四年目録には、МВ(ミハイル・ブルダコフ)の蝋印付
き七点と記載があり、これらは露米会社段階でまとめられている。ほかに二
つの帳簿と記載もある。一方、ロシア国立海軍文書館所蔵の目録(一八〇八
年か)には、オホーツク長官から海軍省へ宛てた資料が記載されている。イ
ルクーツク経由であり、ニエオストロエフという人物の署名がある。一昨年
度調査した幕府雇いの村上左金吾史料群などもこれに当たる。資料は、海軍
文書館・水路局図書館(のち海軍図書館)・アジア博物館が分有し、海軍図
書館のものは一九四七年に東洋古籍文献研究所へ移管されている」とのこと
であった。コレクション形成にかかわる解明が進んでいる。
 今回の訪問では、イリナ・ポポワ所長が出張のため、面会はかなわなかっ
た。
四 ロシア国立サンクトペテルブルク図書館
 同館写本部アレクセイ・アレクシイ部長とオルガ・ヴァシリエヴァ日本課
長に面会し、昨年度閲覧した日本関係一四点の写本・版本を再度調査した。
一八五二年の仏語目録に掲載されているものである。寛政期以降の幕府役人
名などを摘記した内野五郎左衛門の「日用記」(文化二年)など、重要な史
料群である。露米会社理事МВの赤い蝋印と番号がついたものも含まれ、詳
しい調査が望まれる。全点についてデジタル撮影を依頼し、その手続きをお
こなった(節用集の類は部分撮影)。日本課長の話では、フランシスコ・ザ
ビエルの手稿(断簡)は、ドゥブロフスキー(フランス革命時のパリ大使館
一等書記官)のコレクションであり、彼のアジア関係コレクション多数のう
ち、日本関係はこの一点のみであるという。入手先は不明。パリのサンジェ
ルマン・デ・プレ教会が火事の際に持ち出されたものか(ただしそれなら番
号があるはず)、Maison des Missionaresから出たものか、あるいは購入品
なのかどうかもわからないという。
 次に、同館グラフィック部を訪問し、エレナ・バルハトヴァ部長から日本
関係史料の所在情報をうかがった。同部を中心に、二〇〇六年には日本で展
示会を開催し、図録『ロマノフ王朝と近代日本』展が刊行されている。「ニ
コライ皇太子の極東外遊アルバム」(一八九〇-九一年):写真家メンデレー
エフ撮影、侍医のコレクションなどが収蔵されているとのこと。
五 エルミタージュ美術館
 広島県立歴史博物館に寄託される「レザノフ屛風」(守屋寿コレクション)
には、レザノフが長崎来航時に将軍宛献上品として持参し、日本側に受け取
りを拒否されたために持ち帰った品物が描かれている。同館からの依頼によ
り、この持ち帰り品についての調査をおこなった。
 屏風に描かれた品物のうち、「象の置き時計」について、エルミタージュ
美術館の時計担当学芸員ミハイル・グリエフ氏に話をうかがった。
 「象の置き時計は、英国の宝飾家ジェームズ・コックスが制作したもので、
エルミタージュ美術館のクジャク時計と製造元が一緒である。クジャクのか
らくり時計は一七七〇年代に制作され、中国に売ろうとして売れず、英国に
戻ったところをポチョムキン伯爵が購入、伯爵の死後に売却された(エカテ
リーナ二世が購入)。「象の置き時計」は英国人キングストン伯爵が購入し、
エカテリーナ二世に仕えたかったが断られ、亡くなったのち、ガイノフスキー
が代理人となって売却されたもの。同型のものが北京故宮にあり、グリエフ
氏自身で見たことがある。ほかにオルゴール付きシャンデリアも同じコレク
ションである」とのこと。この「象の置き時計」は、日本から持ち帰られた
のち、一八一八年にペルシャ王への贈り物となったという。
 ついで、「レザノフ屏風」にも描かれている象牙細工の精巧な壺を展示室
で確認した。本品以外にも、レザノフ持ち帰り品が存在するものと思われる。
引き続き調査成果が期待できる。
 このほか、同館の日本関係学芸員アンナ・サヴェリエワ氏、中国関係学芸
員アレクセイ・ボログコフ氏に面会し、下記の日本関係画像史料を閲覧した。
・一八六二年、文久遣欧使節団の集合写真(コラージュ):写真家シュパコ
フスキー作。
 ただし、美術館所蔵品としてまだ登録されていないもの。
・一八六二年、文久遣欧使節団員淵辺徳蔵のスケッチ(要塞前のネヴァ川に
日の丸を掲げた船が描かれたもの、水彩画)。
・大黒屋光太夫が描いた日本図(七四×一七四㎝程度の大きさ)
六 その他
 一〇月六日、ロシア国立経済高等学院において特別講演「東京大学史料編
纂所の在外日本関係史料調査と写真史料―ガラス原板にみる幕末明治の日本
―」(保谷)をおこなった。聴衆は同大学の日本学科学生ら二〇名ほど。日
本学科長オリガ・クリモワ准教授の要請である。
 また滞在中に、ヒペリオン出版社スモリャコフ社長と面会し、海軍目録の
出版について打ち合わせた。さらに、外務省からの要請をうけ、来年度開催
予定の日露関係写真展示を準備するための確認調査を合わせて実施した。こ
の件については、日本総領事館を訪問し、福島正則総領事・渡辺英人首席領
事にご挨拶、多田琴美副領事に経過報告した。
 一〇月五日には、歴史文書館長・海軍文書館長の御案内で、サンクトペテ
ルブルク市北方一二〇㎞ほどにあるプリオゼルスク市を見学する機会を得
た。一四世紀に作られたコレラ要塞を訪れ、学芸員の解説のもと、要塞博物
館の歴史展示などを見て回った。この要塞はプガチョフの妻子の幽閉地でも
ある。
 以上、今回の出張も短い日程の中で、撮影データの受理や共同研究・目録
出版の打ち合わせに加え、多くの成果をあげることが出来た。昨年閲覧した
国立図書館での日本関係史料については、史料撮影をお願いし、史料画像の
公開・発表も可能になった。安永年間の(松前藩)蝦夷地奉行定書など、す
でに報道から依頼を受けているものもある。北方紛争での接収品のコレク
ション形成については、シェプキン研究員が詳細なデータを検証しており、
その報告が俟たれる。また、レザノフ持ち帰り品についても、重要な証言を
得ることが出来た。

(保谷徹・小野将・佐藤雄介)

『東京大学史料編纂所報』第53号