49.フランス所在日本関係古写真調査

二〇一六年九月一八日から二五日、古写真研究プロジェクトではフランスへ出張し、日本関係古写真の調査・撮影をおこなった。参加者は、保谷 徹・箱石 大・谷 昭佳・高山さやか(以上、史料編纂所)の四名に加え、共同研究員高橋則英教授(日本大学芸術学部)に御同行いただいた。画像史料解析センターのプロジェクト経費に加え、古写真科研(谷代表)と海外S科研(保谷代表)の経費を使用している。
一  サンシール写真アーカイヴズ(イブリーヌ県モンティニー・ル・ブルトンヌー)
 フランス文化省建築・文化財メディアテーク(MAP)所属のサンシール写真アーカイヴズは、パリの南西二〇キロメートルほどに位置し、一八七八年に建設されたサンシール要塞内に置かれている。同館が所蔵するナダール(Nadar)写真館の湿板および乾板のガラス原板写真のうち、日本人肖像写真のガラス原板一一五枚について、撮影調査(透過光・反射光)を実施するとともに、目録類を精査して被写体に関する目録情報の収集につとめた。撮影数は五二八件。文久遣欧使節団、さらに鎖港談判使節団の肖像写真のほか、明治期の駐仏公使蜂須賀茂韶夫妻や大山巌、桂太郎、伊藤博文などパリを訪れた日本人の写真原板が含まれる。
 アーカイヴズの目録には、NA番号が付された黒の目録とND番号が付された赤の目録、それに被撮影者の名前ABC順のカード目録が存在した。ND目録は一八六八年から一九四八年までの撮影台帳であり、撮影日、注文主(被撮影者)、プリント注文などが記されている。これに対しNA目録は、この写真館がある段階で作成した顧客台帳、というよりもむしろ有名人撮影台帳に近いものであり、時代ごとにまとめられ、肖像写真のプリント販売用に作成されたものと考えられる。カード目録は国の所蔵になった際に作成した整理用カードである。
 日本人以外でも、長崎司教プチジャンの肖像写真六枚(二二カット)の存在が明らかになった。ND目録によると、一八六八年三月一三日と一八日に撮影されたものであることがわかる。プチジャンは、浦上キリシタンへの弾圧に対し、皇帝ナポレオン三世に支援を訴えるために帰国中だったのである。
 同館では、責任者のマチルダ・ファルギエール(Mathilde Falguière)氏と日本人肖像写真を担当したカトリーヌ・プリュィディ(CatherinePlouidy)氏にお世話になった。
二 ブランリ河岸博物館(パリ市内)
 同館は一〇年ほど前に開館した民族学博物館であり、幕府遣欧使節団の肖像写真(ガラス原板およびプリント)をトロカデロ宮の人類博物館から移管・継承したと言われている。担当学芸員のクリスチーヌ・バルト(ChristineBarthe)氏のご協力を得て日本人肖像写真を閲覧調査し、仮撮影をおこなった。残念ながら今回はガラス原板にアクセスすることは出来なかった。
三 フランス自然史博物館(同)
 同館が所蔵する幕府遣欧使節団の肖像写真プリントを閲覧調査した。前項と合わせ、詳細は別途紹介する機会を持ちたい。
 今回の調査では、現地在住のブリュネ裕子氏の御同行を得た。ブリュネ氏は、幕臣永持亨次郎(外国奉行柴田剛中の実弟)の養子となり、文久使節団にも参加した永持五郎次明徳(旧姓山本)のご子孫である。また、調査全般を通じて、コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所の馬場郁氏にコーディネートをお願いし、御参加いただいた。記して感謝したい。
(保谷 徹・箱石 大・谷 昭佳・高山さやか)

『東京大学史料編纂所報』第52号