東京大学史料編纂所

13.石川県下所在中世史料の調査・撮影

 二○一四年六月九~一二日、石川県輪島市ほかに出張し、所在史料の調査・撮影を行った。撮影史料は以下の通り。
〔阿岸本誓寺文書〕輪島市
 『能登阿岸本誓寺文書』(北西弘編・一九七一年・清文堂刊)および「阿岸本誓寺文書について」(加能史料編纂室、『加能史料研究 三号』一九八八年)参照
〔岩倉寺文書〕輪島市
〔正福寺文書〕珠洲市
天正六年二月十二日   藤右衛門尉政徳寄進状
(年未詳)二月廿六日  本願寺証如書状
(年未詳)八月十九日  専光寺慶栄書状
(年未詳)六月廿七日  専光寺慶栄書状
(年未詳)十月三日   専光寺慶栄書状
(年未詳)極月六日   専光寺慶栄書状
(年未詳)九月廿九日  専光寺慶栄書状
(年未詳)七月十九日  専光寺慶佐書状
(年未詳)七月廿日   専光寺慶栄書状
(年未詳)二月十四日  専光寺慶栄書状
(年未詳)五月十九日  専光寺慶栄書状
(年未詳)二月十日   専光寺慶栄書状
(年未詳)三月廿九日  専光寺慶栄書状
(年未詳)極月十八日  専光寺慶栄書状
(年未詳)二月廿八日  専光寺慶□書状
(年未詳)三月十三日  専光寺慶栄書状
(年未詳)九月廿二日  専光寺慶栄書状
(年未詳)七月九日   専光寺慶栄書状
(年月日未詳)      某消息
(年月日未詳)      某消息
(年月日未詳)      某消息
(年未詳)卯月十日   専光寺慶栄書状
(年月日未詳)則時   某書状
(年未詳)十一月廿五日 専光寺慶栄書状
(年未詳)後三月廿二日 専光寺慶栄書状
(年未詳)正月廿一日  藤川喜太郎書状
(年未詳)三月朔日   下間頼廉御印奉書
(年未詳)九月十八日  下間頼良副状
(年未詳)九月十八日  下間頼良御印奉書
(年未詳)三月八日   専光寺慶心書状
(年未詳)卯月六日   専光寺慶心書状
(年未詳)十二月十□日 専光寺慶心書状
(年未詳)六月十四日  専光寺慶心書状
(年未詳)十月廿六日  了勝書状
(年未詳)二月十七日  妙厳寺慶□書状
(年未詳)霜月十三日  本念寺某書状
以下近世文書・御文等略
〔琴江院文書〕珠洲市
長禄三年六月日     長十郎信連寄進状
〔法住寺文書〕珠洲市
『法住寺史料調査報告書』(珠洲市教育委員会、一九九九年)参照
〔本光寺文書〕珠洲市
応永貳拾年二月九日   恒俊寄進置文
永享玖年八月六日    正親町三条実雅御教書
〔金峯寺文書〕珠洲市
享禄四年閏五月十九日  遊佐総光判物
享禄四年閏五月五日   遊佐総光金峯寺田数目録
元亀四年霜月廿四日   神保興親寄進状
(年月日未詳)      金峯寺寄進田注文(後欠)
天正十四年七月八日   前田利家黒印状写
元和六年閏十二月十三日 前田氏奉行人打渡状案
〔来迎寺文書〕穴水町
弘安元年拾月廿七日   宇留地義連寄進状
貞治五年六月廿五日   僧有海譲状
康応元年二月十五日   相国寺帰一田地寄進状案
應永廿八年九月三日   池田善性渡状
應永卅三年五月三日   来迎寺有尊別当職譲状
應永卅三年七月三日   来迎寺有尊別当職譲状
文亀元年十月廿七日   長信清寄進状
慶安四年九月三日    長連頼寄進状
 当日は、阿岸本誓寺御住職および御家族、岩倉寺御住職および御家族、正福寺御住職および御家族、琴江院御住職、法住寺御住職および御家族、本光寺御住職、珠洲市教育委員会大安氏、金峯寺御住職、来迎寺御住職および御母堂様にはたいへんお世話になった。記して謝意を表する。
(山家浩樹・川本慎自・村井祐樹)


『東京大学史料編纂所報』第50号