54.イタリア国立ローマ中央図書館所蔵日本関係

史料の調査
二〇一四年三月九日~同一七日、日本学士院より派遣経費の支給を受け、
イタリア国立ローマ中央図書館において、同館のイエズス会文庫に所蔵され
ている、日本関係史料の調査を実施した。その成果は下記の通りである。
グレゴリオ八世の事績を記した一冊(Ges. 1105/32)には、二五丁表から
二七丁表にかけて、天正遣欧使節に関する記述があり、大友義鎮、有馬晴信、
大村純忠の書状が引用されていた。これらの書状の写しは、スペイン王立歴
史学士院図書館にも所蔵されており、『大日本史料』第十一編別巻之一に収
録されている。
一七世紀後半の諸書翰の表題と収録頁数ないし丁数が列挙された一覧
(Ges. 1172/1)には、イエズス会日本管区長などからの書翰の存在が記され
ていた。ただし、本文部分の所在は不明である。
目録上で「一八世紀のフィリピン布教」と記されている一冊(Ges.
1246/2)は、今回の調査により、一八世紀ではなく一七世紀の、フィリピン
というよりも日本における布教活動に関するものであることが判明した。具
体的には、「ローマにある書類および写しの理解のための、日本布教事業進
行報告」や、「ドミニコ会側による国王ドン・フェリペおよび国王顧問会議
宛、日本においてイエズス会が他の教団におこなったことについての反論報
告」、一六一四年一〇月二五日付長崎発ドミンゴ・カステリェール書翰、一
六二二年一〇月一二日付長崎発ペドロ・バスケス書翰、一六二一年八月四日
付マニラ発フアン・デ・ロス・アンヘレス書翰などで、主としてスペイン語
で記される。これらは、イエズス会と跣足系修道会(ドミニコ会やフランシ
スコ会)とのあいだの「門派対立」に関するもので、いずれも写しである。
書翰発信者のドミンゴ・カステリェール以下三名はいずれもドミニコ会士で
あり、これらがイエズス会文庫に所蔵されているのは、跣足系修道会側の主
張を検討するべく、イエズス会側が入手したためだと考えられる。
目録上で「一七世紀の中国・日本布教」と記されている一冊(Ges.
1246/5)は、同書を包んでいる上紙に「イエズス会日本プロクラドールの国
王への報告」とあり、内容もその通りである。前述の「門派対立」に関する
もので、イエズス会側の主張や見解が述べられている。全体がスペイン語で
叙述されている。
同書の内容で注目すべきは、天正一九年(一五九一)九月一五日付と同二
〇年七月二一日付の、二通の呂宋宛豊臣秀吉書状が引用されていることであ
る。これらについては、かつて村上直次郎氏が翻訳を施しており(同『異国
往復書翰集・増訂異国日記抄』駿南社、一九二九年、三二~三三頁、五一~
五四頁)、それらの書状写が同図書館に所蔵されていたこと自体は、すでに
知られていた。だが、請求番号等の詳細が知られていなかったこともあり、
どの史料群のなかに、どのような形で伝わっているのかが、まったく不明で
あった。それが、今回の調査によりこの一冊のなかに、引用される形式で収
録されていることが判明した。また、これらの豊臣秀吉書状以外にも、秀吉
の右筆でキリスト教徒だった安威了佐が、一五九二年七月七日付でイエズス
会宣教師に宛てた書状の抜粋等も引用されている。これはスペイン王立歴史
学士院図書館所蔵写本にも収録さており、両者の比較検討は今後の課題であ
る。
これらのうち二通の豊臣秀吉書状は、日本語からポルトガル語に、そして
ポルトガル語からスペイン語に翻訳された旨が明記されている。また、安威
了佐書状の原文は漢文だったとも述べられている。一方、同書の筆者は、文
中の記述からイエズス会士バルタザール・バレラだと分かるが、彼は在マド
リード日本管区プロクラドールで、日本語を解した可能性は極めて低い。こ
れらから推測すると、上述の日本関連の諸書状は、在日本イエズス会士に
よってポルトガル語の翻訳がヨーロッパに送付され、日本布教をめぐる争い
に関するイエズス会側の主張を国王に提出するにあたり、その根拠とすべく
バレラ自身ないしその周辺の者がスペイン語に重訳したものである可能性が
高い。

(岡本 真)

『東京大学史料編纂所報』第49号