東京大学史料編纂所

2.岩手県所在幕末維新期史料の調査

 二〇一三年一一月二五日から二八日にかけて、もりおか歴史文化館に盛岡
藩藩政文書などの調査に赴いた。閲覧した史料は、左記の通りである。
史23-4-002-113 御側雑書 慶応二年 一冊
表紙欠。ほとんどが藩主に関係する儀礼ごと、主たる任免人事に関する記
録。軍制改革の人事では、十二月二十三日、南部監物へ御軍制御改革御用を
命じる、二十五日、御用人御側兼帯小野寺伝八・御用人加同格表御目付御用
勤御目付米内此面・御側目付表御目付御用勤御目付本宿兵衛に御軍制取調御
用懸、大奥御用聞御前様御用聞御用達兼帯御用中北地改役沢出善平を御軍制
取調御用懸に任命する。
史23-4-002-114 御側雑書 慶応三年正月~十二月 一冊
「甲斐守利義公御在府・美濃守利剛公御在国」と冒頭に記す。年頭礼、不
幸、御前様甥御にあたる松平美作守死去につき定式忌服の件、中将様御湯治
の件ほか。
「        七月十八日 晴
   一、              南部監物
   御軍制御改革御用江差向勤之処、不及差向ニ候
 右之通御席ゟ達有之、御側通大奥江申達之        」
史23-4-002-115 御側詰申譲帳 慶応三年正月~十二月 一冊
「正月廿日名拝領被仰付   南部馬太郎、上総
                  三戸豊前
正月十三日名拝領被仰付       内堀圭之助、織部
十一月十一日被仰付         奥瀬源助        」
日ごとに当番者一名の名前を記し、とくに中将様の動向を中心に記録した
もの。
史23-4-002-117 御側雑書 慶応四年正月 一冊
「            在江戸 花輪図書政晏
                 栃内与兵衛逢吉
             在江戸 野々村真証雅言
              御近習頭御用勤
              御側御用人表兼帯
                 下田勘解由直亮   」
 「甲斐守利義公御在府、美濃守利剛公御在国とあり」。
(左の史料は、手違いにより旧整理番号しか記録していなかった。史23-4-
002 「御側雑書」の一部かと思われるが、再度の確認が要される)。
00858-5-99 御側御用留 一冊
側目付は国許に留まり記帳している。利義は「大太守様」と記される。
「(表紙) 萬延二辛酉 歳
     文久ト改元
 御側御用留
  正月       」
「 萬延二辛酉歳正月元日
一甲斐守利義公御在府
一美濃守利剛公御在國
一太
( 利剛)
守様益御機嫌能被遊御目覚也、…」
・正月二十日条
「   正月廿日晴
(中略)
一太守様御稽古初ニ付
 御逢人数左之通
  一御兵學申上     栃内與兵衛
  一御手習申上     奥寺八左衛門
  一教授        江帾五郎
  一御経學申上之
   心得を以御相手   七戸儀右衛門
  一同         照井 小作
  一御兵學申上之
   心得を以御相手   新渡戸十次郎
  一御射術申上     下斗米小四郎
  一御馬術申上     倉館理兵衛
  一御炮術申上     荒木田忠治
  一御詩文章申上    藤井又蔵
  一御馬術御炮術御相手 南部主水
  一御射術御馬術御相手 八戸 内記
  一御経學御相手    野田丹後
  一御射術御馬術
   御炮術御相手    南部啓之佐
  一御経學御馬術同   内堀愛之助
  一御経學御馬術御相手 向井淡路
右人数於吹貫御休息壱人ツヽ罷出御逢、御直御熨斗被下置之(後略)」
・二月二十八日条
「  二月廿八日雨
        大槌通
   一     橋野鉄鑛山
   是迄海防御用所取扱之処、御側被成御手山之
    但橋野鉄鑛山吟味役幷同差配役、以来御側江出仕可致事
右御書出、御側御用人被相渡、御側通一役限相招心得申達之
    大槌通橋野鉄鑛山、御側御手山ニ被成候付、取扱之儀者、先年野田通
鉄山御側御手山之節之御振合を以、隅御櫓右鉄鑛山御用所ニ被成旨被 』
仰出
右御書出御側御用人被相渡、御側通一役限相招心得申達之、右ニ付御側御勘
定奉行幷鉄鑛山吟味役同差配役江茂心得申達之」
・二月二十九日条
「  二月廿九日雨
       御側御用人表兼帯
   一    栃内與兵衛
       御用人御側兼帯
        奥瀬恭五郎
   橋野鉄鑛山、於御側被成御取扱候ニ付、右御用向重々承り可申事
   一    御側御勘定奉行
   橋野鉄鑛山、於御側被成御取扱候付、御用懸り被仰付
   一    御側御用達
   前同断ニ付、御用向取扱可申候
       橋野鉄鑛山
   一    吟味役
       同
        差配役
   前同断ニ付、隅御櫓鉄鑛山御用所ニ被仰出候間、日々可致出仕候
   但勤向之儀者是迄之通相心得可申候(後略)」
・五月十六日条
「  五月十六日
   一   楢山佐渡
加判御役被 仰付、於 』御前被 仰渡
一   同人
座順之儀者、舎人上座被仰付」
なお楢山は、五月晦日に「登」を命じられる。七月六日には「御銅山御用
懸」任命、七月二十日に、参勤の供を命じられている。
・九月二日条
「   九月二日晴
一太守様今日御本供四時御伴揃ニ而、為 御首途櫻庭裕橘宅江被為 成、四
時過御帰城也」
・十月三日条
「   十月三日晴
(中略)
一太守様今辰ノ上刻 』御中丸御玄関ゟ 』御発駕、…」
なお続いて同五日花巻着城、六日同地発駕、十六日江府御着殿となり、十
二月十六日に少将昇進の記事が見える。
史23-4-007-69 覚書 文久元年七月~十二月 横一冊(綴外れ、取扱注意)

(表紙)
 文久元辛酉歳
 覚書
 七月より
 十二月まて
       」
・七月一日条 「御用番 舎人」と記す。
・七月二十日条
「寺社町奉行加本役
 同様勤御目付
一  伊東吉代見
 御目付定加
   加嶋 薪
於蝦夷地 』御領知御引請御用骨折相勤候ニ付、銀弐枚ツヽ拝領被仰付
 御徒目付仮役
一  高橋直之進
 大炮方
   大口浅之助
於蝦夷地 』御領知御引請御用出精相勤候ニ付、金弐百疋ツヽ拝領被仰付
右何茂於席申渡
 蝦夷地附御留守居
 表御目付御目付
一  小野寺傳八
 表御目付御用勤
 御目付
   大矢岩之丞
於蝦夷地 』御領知御引請御用出精相勤候ニ付、御褒詞被 仰出
 北地改役
一  志村玄作
   久慈算蔵・鈴木十蔵・大巻勇助
 御留守居下役
 蝦夷地附御留守居
 下役締役
   澤田悦太
 蝦夷地附御留守居下役加
 締役扱役
   福田三治
 締役扱役
   金田一儀左衛門・栃内慶之進
 大炮方
   鈴木作司・根守定右衛門
 同手傳
   金田一時治
 同
   村木米八・澤田始・村松要蔵
右同断、何茂於席申渡」
・八月一日条 「御用番 佐渡」と記す。
・八月六日条 「松前志摩守殿此度為参府被罷登候付、今晩爰元六日丁半七
所江止宿、申上刻着被致、御用懸り御役人共相詰也」
・八月十三日条
「一 外寇防御等御所置之儀、先年以来度々被仰出候処、此節ニ至追々諸蕃入
込、 』公邊御扱振不容易、且人心折合之程茂難斗、依而者當分内外之
御配意全以御油断相成不申時勢ニ候得者、萬端御手筈御整備之御調無之
候而者相濟不申ニ付、今般御領分御境目通為御警衛所々邊要之口々、當
座之御手當向者、所士卒を以御仕組之儀、夫々被 』仰付候得共、尚御
手厚之御所置御調整被成置度、依之是迄御組立被置候諸手年番之御備、
向後別紙之通御取据被成置旨被 』仰出候条、右御備入諸有司幷大小之
諸士一統、此方急度相心得、何時ニ而茂應御沙汰出張之用意常々覚悟可
為専務候
 別紙左之通
 七手御備手分覚
一御先手一番御備
 右者、野辺地通ゟ田名部通浦々異變之儀有之節者勿論、其外蝦夷地援勢幷
  西北通 』御領分邊境非常之御守衛共被 仰付候間、臨時御下知次第可致
出張事
一同二番御備
 (中略)
一前軍御備

一右軍御備

一左軍御備

一後軍御備

一遊軍御備

右御中丸御番頭江為相心得候様
 御備調練日割

 別段御備手分覚
一一番御備

一七番御備

右御備頭新御番組御番頭江為相心得候様、右何茂夫々申渡候様表御目付江申
渡之
 演説

右表御目付江口達之

右海防御用懸り御目付御勘定奉行江申渡」
・九月一日条 御用番 壹岐
・十月一日条 御用番 将曹
小野寺傳八は、御留守居格大目付任命、ただちに目付兼帯も命ぜらる。
「  御留守居格大目付
   御目付兼帯
一  小野寺傳八
松前表御警衛幷御領分海岸防禦御用懸、海防・硝石製法御取締御用懸、是迄
之通相心得可申候、以御目付申渡
一  北守助左衛門
 蝦夷地附御留守居被 仰付

表御目付御用茂承り相勤可申候」
・十月十九日条
「   鍛冶町
一    定八
    肴町
     源六
    十三日丁
     庄治
御国産買入方幷箱館表取捌、海防所附世話方申付、右何茂町奉行江申渡」
・十月二十二日条
「 演達
一 大小之諸士軍役人数之儀者、従古来御定之列数有之儀ニ候得共、御軍制向
時勢相當之御調守之御事ニ而、近来軽弁活動整正之御仕組被 仰出候付、
一統不拘持高、暫之内減省被 仰付候、…」
史23-4-007-71 覚書 文久元年七月~十二月 横一冊
(前略)
・十一月一日条 御用番 舎人
・十一月二日条
「 蝦夷地附御留守居
  表御目付・御目付兼帯
一  菅 佐泊
  蝦夷地附御留守居
  表御目付御用取
   北守助左衛門
  表御目付御用勤
  御目付
   米内此面
  御勘定奉行
   神  匡
箱館御仕送御國産買入方御用懸被 仰付、於席申渡、尤休泊儀者箱館詰合ニ
付以書状申遣
  北地改役
一  鈴木十蔵
   大巻勇助
  蝦夷地御留守居
  下役締役扱役
   三田村勘次郎
  蝦夷地附御留守居
  下役加締役扱役
   福田三治
  御徒目付定加
   小向 善作
右同断被 仰付、御目付を以申渡」
・十一月七日条
「御側御用人
 表兼帯
一  戸来又兵衛
   栃内与兵衛
箱館御仕送御國産買入方御用懸被 仰付、於席申渡」
・十一月九日条
福田嘉左衛門が北地改役に、米内才助・田渡千次郎が北地御用締役扱役に任命。
・十一月二十五日条
「 表御目付御目付
一  足澤半七
蝦夷地御警衛 御領分海岸防禦後軍御備入御昇奉行幷御用懸兼帯被仰付
  御目付
一  長山蔵五郎
蝦夷地御警衛 御領分海岸防禦遊軍御備入御昇奉行幷御用懸兼帯被仰付
(中略)
  御勘定奉行
一  寺本惣内
   下川原 半
蝦夷地御警衛幷御領分海岸防禦等後軍御備入被 仰付
 但小荷駄司御用承り相勤可申旨、以表御目付申渡
  同
一  中村所兵衛
   神   匡
蝦夷地御警衛幷御領分海岸防禦等後軍御備入被 仰付
 但陣場司御用承り相勤可申旨、表御目付を以申渡」
・十二月一日条 御用番 吉兵衛
・十二月二十三日条
「一  栃内民惣
ノホリヘツ硫黄山御用相濟、去月朔日箱館御陣屋江着、逗留罷有候内、同廿
三日夜御陣屋出火之所、御用有之御留守居所江罷越、硫黄山差配人善四郎而
已御小屋江差置候付、狼狽仕、持参之諸品取出兼、御傳馬御證文幷ヱトモ御
陣屋ゟ御預ニ相成拾匁御鉄炮壱挺・ケール御筒壱挺焼失仕、恐入差扣願出候
処、不及其儀旨御目付申渡」
史23-4-007-86 覚書 慶応元年正月─七月 一冊
江戸への飛脚は七日ごとに出されている。江戸からの飛脚がつくまで、一
〇日前後か。四月二十九日記事は次の通り。「江戸表廿日立、五日ふり飛脚
三ヶ尻弥市兵衛組三人昨夜着」。右飛脚で左のように申し来る「御新発御日
限を五月十六日仰出られたので、中将様御参府されるよう、助用番松平伯耆
守(宗発)殿御書付をもって仰せ渡し」。披露を遂げ、近習頭・側用人・用
人ともに拝見を申し渡した。
史23-4-007-91 覚書 慶応三年七月~十二月 横一冊 
94
が写本
「七月朔日 晴
御用番 図書」
「七月十七日 晴
‥‥
一                    大目付
                     御目付江
  思召被為有、此度御軍制御改革被遊候ニ付、七手御備之外、別段銃隊二大
隊御仕立、先魁御遣方ニ御差向、七手御備之儀は是迄之御組立之内御取捨
被成、追々被仰出、右之趣不漏様夫々可申達事
一御沙汰書左之通
安政之度諸武芸修行向之儀被仰出も有之候通、素ゟ文学・諸武芸博相嗜可
申は勿論之事ニ候得共、此度被為有思召御軍制御改革被仰出、大小之諸士
分限を糺、御組立被成候ニ付而は、就中分限相当之仕度取分精熟ニ至不申
候而は、御組立之御主意難立筋も有之候間、厚心懸候儀可為専要条分別左
之通
一高知始御新丸御番頭家格之者は、専ら人を致指揮可申家柄之事故、文学・
兵学・馬術を取分精熟いたし可申事
一平士弐百石以上馬術・鑓術取分致精熟可申事
一同百石以上之者臨時騎馬加も被仰付候間、前同断之事
一同五拾石以上之者取分鎗術致精熟可申事
一同五拾石以下之者取分釼術致精熟可申事
一炮術之儀は方今之要器ニ付専ら御遣方も可有之候間、不拘分限一統心懸可
申事
右之通分限相当之嗜怠り候者幷調練向惰怠は勿論頭奉行之下知等閑之心得於
有之は厳重之御沙汰可被及事
右夫々申達候様大目付・御目付江申渡之    」
加番組御番頭、同御番子組頭を免じ、闕役とする。御中丸御番頭を番子を
七組へ配当し永代加番とする。御持弓之者幷御先手御弓組頭之者を御鉄炮組
へ、町組同心もこれに準ず。それぞれ御持筒頭、御先手御鉄炮頭と唱える。

一七手御備組番組ニ寄五拾人ニ過人数有之候分は幾人ニ而も調練年番之節は
罷出操練可致、尤五拾人ニ盈不申御番子ニ至候ハヽ、不足之分嫡子ゟ御備
入被仰付、為御番料御手当被下、右之欠目を補置、臨時之御手支無之様御
番頭ニ而取計いたし、其向江出入共可申出事
但御備入之嫡子御手当向出張之節は御金方五拾石分、年番調練之節は金
弐両ツヽ被下候事
右表御目付・御目付江申渡之
一七手御備之儀は是迄之通騎兵手分御仕組被成置、年番調練之節騎兵兼練御
仕込被成、臨時七手之内ゟ勇敢之壮士馬業達者御撰御前備江御配当被成候

一是迄調練年番之二手而已役士組合全部いたし、其外之手は御調ニ至不申候
処、以来御旗本幷諸手共ニ武者分組合等被成置、何時御出勢ニ而も御陣触
一通ニ而別段御混雑無之様御実備御据置被成候事
一別段御手当御備は、是迄之御組立之通ニして追々銃刀兼練之御仕込方新御
番頭江御委被成候事、当時四十歳以上之者は是迄相嗜候得道具を携不苦候

  七月
一一番御備之儀は別手御備先魁ニ進銃戦相挑候跡を詰、無二之掛を心懸ケ、
御備頭機節見  切次第不待御軍令手詰争撃を専要といたし候事
一二番御備は一番御備ニ相競同様相進応変制勝を主と可致事
一前軍御備之儀は専ら御旗本之先鋒にて静り返而彼我之形勢ニ心を付居、時
機に寄一、二番御備之変化ニ応、後詰救援之術専らニ候事
一同断御備之儀は馬入を以一、二番之手を手引、得決勝候術第一ニ付、馬上
短筒為御持被成候間、為相心得可申候
一左右御備は御旗本之両翼と相成守衛いたし、御下知次第変化ニ応戦勢を助
可申事
但、御旗本危急ニ臨候節は不待御下知救援可致事
一小荷駄御備は地を〆不動可罷在義ニ候得共、後軍御備ゟ兼候儀故、御旗本
之進退ニ随ひ守衛専らニ致候事
一遊軍御備之儀は諸手江援勢或は覆伏其外無窮之御手遣有之ニ付、進退分合
可為自在事
一七手御備組御昇御減少被成、其手之為証旗壱本宛御用ひ、御目付江御願、
御備頭大馬印兼用被仰付候事
一役鉄炮為持候御組立之処、以来御除被成候事
  但、隷銃之儀は可為勝手次第事
右江、御軍制御改革御備図八枚・同自他御備組一帳・同御備組一帳・同武者
分一張・同御備略図相添、表御目付江申渡之          」
「(七月十八日)
一           南部監物
御軍制御改革御用江差向勤之処、差向ニ不及候
右詰合ニ付申達之、御用人御役人共江申達之、御側江之書付御近習頭江相渡
之    」
「(七月二十五日)
一此度御軍制御改革被成候ニ付、七手御備之外二大隊御仕立大御番頭惣督ニ
被仰付、大炮之儀は八門一炮隊之御組立、何も別手御備之名目ニ而平日操
練被仰付、右之内を以年々北地詰御遣方ニ被成、其他は何時ニ而も不拘、
自他御出勢之期は勿論何れ江御人数被差出候共、先魁ニ御差向御遣方ニ相
成候分ハ早速補立置候事
但、右御組立歩兵組之儀は軽輩之者幷同子二、三男其外農兵共御仕立可
被成候、尤撒平之儀は諸士嫡子二、三男之内御撰御組立被成候事
一銃隊御組立御試調練之儀は、以来被成御止候事
右表御目付江申渡之
一御軍制御用懸り御目付伺左之通、
別手御備御仕組直ニ付而は、御新丸御番頭始是迄御備入被仰付置候分一先被
成御免、此度御組壱通新タニ被仰付、如何可有御座哉、伺之通被仰付候御儀
ニ御座候ハヽ、表御目付御警備御用懸御目付江御沙汰被成候様仕度奉存候、
此段奉伺候
                   御軍制御用懸り
  七月                    御目付
右伺之通、附札ニ而申渡、表御目付江も申渡之        」
その後、銃隊御組立御試調練御用懸の罷免記事。二十七日には本宿兵衛の
銃隊惣司令役を御免。八月二十四日に鉄砲方、大砲方の任命。九月二十五日、
北地大御番頭桜庭裕橘を別手御備惣督、沢田斉を大隊惣司令役に任命。茨嶋
で大砲調練。
十月、魯西亜コンシュル箱館まで陸路通行、鬼柳境から佐井まで領分通行に
つき警衛を担当させる。十一月十六日上京の様子は前回調査報告(二三号、
一九八八年)にあり。
史23-4-007-92 慶応三年正月ヨリ六月迄(覚書) 慶応三年正月~六月 横
一冊 93が写本か。
 中表紙に「慶応三歳正月 覚帳」
「慶応三年正月元日
御席詰  南部弥六郎
御家老  南部監物
     花輪図書
     三戸式部
  在江戸毛馬内九右衛門
     南部主水     」
正月十五日、江戸表五日立で旧臘廿九日主上崩御の報知。

一、  御目付伺左之通、
主上崩御ニ付普請鳴物停止之儀被仰出、前例遂吟味候処、安永八年十一
月、弘化三年二月主上崩御之節は普請鳴物五日停止被仰出候、然処此度
は御手重之被仰出ニ御座候間、別紙之通御城下幷在々共夫々御沙汰被成
候御儀ニも可有御座哉、此段奉伺候
 正月 御目付     」
領内へ三日の停止とする演説伺が出され、「右伺之通附札ニ而申渡之」と
ある。
史23-4-007-99 覚書 慶応四年五月~七月 横一冊
裏表紙(白紙)が破損し、外れている。
・五月一日条 御用番 與兵衛
・五月二日条
(前略)
「一 此度鎮撫総督府ゟ御渡之菊御紋、御旗先魁御人数御引揚ニ付持参之処、
今午ノ下刻着ニ付御玄関江同席幷御用人御役人御使番迄罷出、御旗表御
目付請取、夫ゟ菊之間御床江差置、同席始御用人迄拝見之事」
・五月三日条
「一金拾両 市原誠之丞
(他八人分中略)
此度會津御征伐應援被為蒙 』仰、追々御人数御出勢に付而者、莫太之御
入用被為有、御勝手向御難渋之御場合深奉恐察、依之右之通獻納仕度銘々
申出、願之通御目付を以申渡之」
・五月五日条
「一 菊池仙助
御目付被 』仰付
但於 』御前可被 仰渡候処、此節 』御痛所被為 』入候付、於席申
渡候段、御目付を以申渡之
右於席申渡之
御目付
一 菊池仙助
仙臺江出張、是迄之通相心得可申候
表目付を以申渡」
・五月六日
(前略)
「御目付格御目付
 御用勤教授
一  江帾五郎
澤内江御用有之、明七日出立被 仰付、右何茂於席申渡之
一仙臺江出張御人数為見届、仙北丁御本陣江九左衛門方相詰也」
・五月七日条
(前略)
「御用人御側兼帯
一 小野寺傳八
仙臺江御用有之立被遣」
翌八日、御徒目付の高橋直之進も差添となる。
・五月十三日条
「一 小野寺傳八
仙臺江来ル十六日出立被 仰付、奉書を以申達之
  但差添之者江茂為相心得候様、御目付江口達
一 谷河林平
前同断」
・五月十七日条
「御目付格
御目付御用勤
教授
一 江帾五郎
秋田江御用有之、今夜出立被 仰付、於席申渡」
・五月十九日条
「 北地締役扱役
兼帯
一  米内定衛
此度 』九條殿御下向ニ付、鬼柳御境ゟ 』御領分御通行之節為御警衛、二
小隊附録被 仰付候付、明廿日出立被 仰付、表御目付を以申渡
此度奥羽鎮撫総督九條殿御始参謀 』醍醐殿御下向 』御領分ゟ佐竹様御領
江御通行被成候旨、仙臺表ゟ申来候、依之諸藩御随従之向茂多人数有之ニ付、
御城下御締向幷在々御警衛向共迅速可被 仰出、依之士分ハ勿論、在町之者
ニ至迄、先達而被 仰出候通、不敬・かさつ之儀無之様相心得可申旨、被 
仰出
右夫々江申渡候様、大目付・御目付江申渡之」
・五月二十日条
「一 九條殿・ 』醍醐殿仙臺国分駅當月十八日御發輿、道中九日振ニ而被相
越、郡山御泊ニ而来ル廿六日爰元御止宿之旨申来之
右書取、 』上々様方江申上、御用人・御役人共江申渡、其外夫々申達候様、
大目付・寺社・町奉行・御目付江申渡、御側江之書取、御近習頭江相渡之」
・五月二十四日条
「一  御側御目付
御側銃隊御組立被成置候内ゟ、蓬莱御馬場屯所江、来ル廿六日ゟ一小隊
ツヽ相詰居、昼夜御警衛被 仰付候間申合、無懈怠御薬園辺廻り方相勤可
申候
右於御側申達候段、御近習頭申出、役人共も申渡之」
・五月二十六日条
「一 九條殿・ 』醍醐殿、明廿七日爰元御止宿之処、仙臺御領に而出水之為
御逗留之旨申来候間、御着日限者追而被 』仰出
右書取、…
一中将様今廿六日郡山江被為 』入旨被 仰出候処、 』九條殿・ 』醍醐
殿仙臺御領ニ而出水之為御逗留之旨申来候付、鬼柳ゟ申上次第早速 』御
出馬被遊旨、被 』仰出」
・六月一日条 御用番 主水
・六月三日条
「一 前書有之通、 』九條殿今日爰元御着ニ付、 』中将様御痛所被為 』入
候得共、御押今巳ノ中刻御本供御伴揃ニ而、為御伺 』天機、仙北丁御
小休江被為 』入候ニ付、表御玄関江同席始御側御用人・御用人・御役
人共罷出、無程 』御帰城被為 』入候節之通、夫々御玄関江罷出之」
・六月十三日条
「一 印東直太郎
来ル十五日、 』九條殿銃隊調練上覧ニ付、惣司令役被 仰付、於席申渡
之」
・六月二十日条
「御目付御用勤
御目付格教授
一 江帾五郎
他藩應接方被 仰付、於席申渡之
御用中御目付御用勤
南部美作守御番頭
御用人兼
一 谷河林平
訓導方
藤村荘助
他藩應接方添役被 仰付、御目付を以申渡之」
同日、江幡は翌日の仙台派遣を命じられている。
・六月二十二日条
「一 今日 』醍醐殿秋田江 』御轉陣ニ付、巳ノ中刻御伴揃ニ而被成御發輿、
御役人共夫々相勤也」
・六月二十四日条
「一 今日 』九條殿秋田江 』御轉陣ニ付、辰ノ上刻御伴揃ニ而被成 』御
發輿候ニ付、 』御本陣江弥六郎方・九左衛門方罷越、懸り御役人共相
詰之」
・七月一日条 御用番 與兵衛
・七月十九日条
「一  御者頭
御同心共、是迄之二組を銃隊一組ニ御組合、一小隊与御定被成候間、組順ニ
不拘手寄々々ニ而組合、何番組誰組与相唱可申事
一組之儀者、是迄御先手役ニ而取扱之通与相心得可申、尤諸役立之儀者、御
徒目付ニ而取斗候事
一此度銃隊組ニ御据被成候ニ付而者、軍事ニ相拘候御用江重々御遣ひ被成候
間、出張御用之節者強壮之者相撰差出可申、老幼之者者留主組ニ相廻シ、
爰元御用相勤候事
  但壮年之者相撰候ハヽ、小隊組之不同茂可有之候得共、右ニ不拘一組ニ
而御用相勤、組立之面附者差出置可申事
一御長柄之者不残御同心ニ御取立、壱人江三駄弐人扶持ツヽ被下、御者頭組
ニ被成候事
但組家之儀者追而御割渡被成候事
右何茂御目付を以申渡之」
・七月二十四日条
「楢山佐渡・向井蔵人
両鹿角御境筋御警衛人数為惣司出張被仰付
御中丸御番頭櫻庭裕橘
両鹿角江為御警衛出張被仰付」
・七月二十六日条
「御策写

右之趣、南部美作守殿・御家門方御登 』城、於大書院・御廊下御拝見、御
近習頭・御側御用人・御使番以上御役人江者、一役壱人ツヽ於席申渡、高知
之面々・御新丸御番頭、於菊之間拝見申渡之、諸者頭・諸士於柳之間申渡之」
・七月二十七日条
「一日光宮様ゟ御使僧善行院下着ニ付、昨日登 』城、於 』御座之間 』
御逢有之、 』御令旨持参差上、畢而対下之
御令旨左之通
(中略)
…輪王寺一品大王鈞命執達如件
        大圓覺院
 慶應四年戊辰七月  義観(花押影)
        清浄林院
           業忍(花押影)
  御名殿
右南部美作守殿・御家門方・御近習頭・御側御用人・御用人・御役人共江拝
見申渡之
一前書御請書左之通
  薩賊之残暴無比ニ付、匡正之任遠被為嘱候趣、勤而奉領承候、先日ゟ
追々兵隊繰出候間、猶国力を尽し、速ニ凶逆之魁を殄し、上者奉安 』
宸襟、下者百姓之塗炭を相救可申候条、此旨宜御披露奉願候、以上
         御 名
   七月二十六日 御据判
   清浄林院
   大圓覺院」
史23-4-007-100 覚書 横一冊
・慶応四年正月二日条
「一、中野舎人口上書届左之通
私儀御用有之登被仰付来候、五日出立罷登候、依之西海枝近治伯父駒治当十
九歳被成候、此者御軍役人数江相加召連罷登申候、此段御届申上候、以上
正月元日 中野舎人  
右御目付相出候哉、近治ゟも届出之」
・正月四日条
「一 帷子繁治  
箱館江御用有之被遣候ニ付、右御用中御銅山吟味役兼帯被仰付」
・正月七日条
「一、 御目付 島田謹蔵  
郁姫様御下向御用懸り被仰付於席申渡
一、江戸表旧臘廿七日立七日振飛脚生方毛組二人、昨夜着
郁姫様益御機嫌能旧臘廿七日江戸表御発駕被遊候段、申来ル」
(以下郁姫関係の記事続く)
・正月九日条
「一、前書有之飛脚ニ申来左之通
 一、上々様方江申上
大太守様被遊御下向被遊旨被仰出候段、江戸ゟ申来之
右書取御近習頭江申達申上、御用人御役人とも江は御用状を以申渡、御側江
之書取御近習頭江相渡之
……
上々様方江申上
一、此度京都幷於江戸別紙之通被仰出候ニ付、被遊御上京旨被仰出
別紙左之通
御一新御変革ニ付而は御下問之儀被為在候ニ付、迅速上京可有之、更ニ被仰
出候事
但兼而去ル十一月中登京之儀御沙汰も有之候故、旁速ニ上京可有之、若
所労之人体も候ハヽ為名代重職之者可差出事
右従
御所被仰出候事
御奏聞状此度御差出相成候ニ付而は、思召之程奉感激候面々ハ人数召連早々
上坂候様可被致候事、右於江戸表稲葉美濃守達之事
右御近習江申達申上之」
・正月十三日条
「一    楢山佐渡  
加判御役被仰付於御前被仰渡
一    同人    
座順之儀は元座被仰付、詰合ニ付申達之
右御用人御役人共江申渡御側江之書付御近習頭江相渡、御家門方江は御目付
を以御付人江申渡、高知之面々御新丸御番頭諸者頭諸士諸医寺社町江相触候
様、大目付寺社奉行町奉行御目付江申渡、花巻幷在々江は書状を以申遣之

上々様方江申上書付は不相廻御側ニ而申上候事
(中略)
一  楢山佐渡  
御勝手御用懸り幷御銅山御用懸り被仰付、於御前被仰渡御用人御役人共江申
渡御側江之書取御近習江相渡
一、 佐渡方御役判出来迄是迄用来候印形相用候段被申出、御近習頭御用人御
目付御勘定奉行江都合四枚相渡申之」
・正月十八日条
「一  御勝手方 栃内直蔵  
荒木田茂助  
御国益御用懸り被仰付
但国益御用江差向相勤可申候
右御目付を以申渡」
・正月二十日条
「一 楢山佐渡  
御旗本御備入武者奉行被仰付
一 同人    
海陸自他御警備御用懸被仰付
右何も於御前被仰渡御用人御役人共江も申渡、御側江之書取御近習頭江相渡

(中略)
一、 御旗本御備来月上旬ゟ調練被仰付候間、御組立之人数不拘晴雨別紙御場
所割之通月々八ノ日可致出張旨被仰出
御場所割
一、二月ゟ月々下調練右は於大沢川原
一、四月・五月・八月・九月右は廿八日於須島御備調練
一、六月・七月・十月・十一月右は廿八日於新山川原前同断
右之通調練被仰付候事
右夫々申渡候様御旗本御備入御目付を以申渡之
一、 御国中ニ相出候水漆御買入方御国益御用所ニ而被成、御奉行御買上之儀
は御蒔絵師儀作・本丁広治江申付置候処、相免候条、不相当之直段無之
様売買可致事
但、漆掻之者共江御下渡被成置候、御判鑑は夫々上納可申事
右夫々申渡候様町奉行御目付江申渡之
                      御小納戸支配
                      御蒔絵師
一 儀作     
於御国益御用所水漆御買上被成候に付、右買入幷払方とも申付置候処、相免
御目付江申渡
一 本丁 広治  
右同断相免町奉行江申渡之
                      御小納戸支配御蒔絵師
一  儀作     
御国産塗器売捌問屋相免
一 本丁 広治  
右同断相免、儀作儀は御目付江申渡、広治儀町奉行江申渡之
(中略)
一、 当今京坂之間にて戦争有之、既に戦国等敷折柄ニ候得は、是迄至治之諸
始末無用之手数等は一新して、凡而必用之外相省簡易ニ致度事
正月
右御筆於席御勘定奉行以上御役人御使番迄一致壱人ツヽ罷出拝見被仰付之」
・正月二十一日条
「一、被仰出左之通
(中略)
右何も拝見相済尤病気之者江は座上ゟ通達之儀大目付御目付江申渡、御宗門
方江は御目付を以御付人江申渡之寺社町在々江も相触候様、町奉行御目付江
申渡、花巻江は御城代江書状を以申遣之
一                   御鳥飼
                    御時計方
                    御使者給仕
                    御絵師
                    御鷹匠
                    御鳥見
                    御勘定方乗役
                    御馬医
                    御料理方
                    御与力
                    御手鉾持
                    御徒ゟ諸駆付まて
近来京地幷於他邦ニ屡戦争有之内、即今京坂之間ニおゐても兵端相開、最早
戦国之場合立至候、依之臨時御遣方可有之候条、兼而覚悟致居、迅速御用手
支無之様可致事
一                   寺社
近来京地幷於他邦ニ屡戦争有之内、即今京坂之……依之他国之者罷越候ハヽ
熟而遂吟味聊不締無之様可致、且異変之儀及見聞ニ候ハヽ其筋江早速可申出
旨被仰出
一                   在町
近来京地幷於……如何様之変事出来候も難計、依之数百年御国恩頂戴罷在候
ニ付而は、何も不寄相互心を合不締無之様可致、且異変之儀及見聞候ハヽ其
筋江早速可申出候事
右之趣夫々申渡候様御用人寺社奉行町奉行御目付江申渡之
(中略)
一 上山守古  
当年箱館勤番被仰付於席申渡之」
・正月二十三日条
「                       表御目付御用
                        当分勤御目付
                        定加御使番兼帯
一 戸来謙也  
宮古通於近内村製鉄場被成御取立候ニ付御用懸り被仰付、於席申渡之」
・正月二十四日条
「一 楢山佐渡  
御用有之上京被仰付於御前被仰渡
御用人御役人共申渡御側江之書取」
・正月二十五日条
「一 楢山佐渡  
京都江来月五日出立可被仰付
 但北国相廻罷登可申候
・二月三日条
「一、被仰出左之通
当節疑敷者紛入候哉も難計、依之兼而御預被置候諸御番所江増人数いたし、
昼夜無怠往来之者江気を付、聊怪敷体之者罷通候ハヽ、捕押早速可為申出候
事、
右夫々申達候様大目付江申渡之
一、 近来京地幷於他邦ニ屡戦争有之内、別而当今之形勢最早戦国同様之場合
ニ立至候ニ付、為御締尚又増人数被仰付候間、出入厳重相改無始末之者
一切通し申間敷候、且不寄何儀ニ及見聞ニ候ハヽ、早速書状を以可申出、
尤兼而村方江相図申合置、非常之節は相図次第近村之者とも御番所江駆
集候様被仰出候間、其旨相心得、万一理不尽ニ押通り候もの於有之は無
用捨捕押可申、自然手向いたし候ハヽ打捨候共不苦旨被仰出
右之趣花巻御城代幷諸御番所御番人遠野江可申達事
一、近来……
右之趣黒沢尻物留御番所……福岡小繋御番所江可申達事
一、近来……
右之趣花巻御城代幷諸御代官大交御新田奉行五戸市川御新田奉行遠野江可申
達事」
・二月八日条
「一、郡山
御止宿より遠使御同心今朝は大太守様道中益御機嫌能段々御旅行、昨七
日郡山御仮屋江御止宿、今八日御滞留ニ而、明九日被遊御着殿旨申来之」
・二月九日条
「一、 江戸表去月廿九日立七日振飛脚遠藤多喜人組二人昨夕着自筆内状之趣
申来之
一、 江戸表先月廿九日立飛脚昨八日郡山御寓江立寄候処、大太守様益御機嫌
能段々御旅行同所被遊御止宿候段申来、……(以下略)」
史24-3-025 書上帳 一冊
(表紙)「従慶応元年/至明治二年 書上写」。(内題)「従慶応元乙丑年/至
明治二己巳年 書上写」。
(冒頭)「南部蔵版」・「南部家図書」の方形朱印あり。
「    慶応元乙丑年
一                        南部美濃守
御進発五月十六日与被 仰出候間、此節参府候様可被致候、
四月二十日
(末尾)
今般乙丑年ヨリ己巳年迄書上之儀御達御座候、然処戊辰之秋俄ニ開城、以来
家事多故之上、屡喬居且藩県一新之際ニ当リ記録不少散佚仕、自今何分取纏
兼、僅ニ存在之雑記及其節携候者共記臆等捃摭取調候、多人数之内死去之者
茂有之、吟味難届疎漏之儀茂可有之候得共、奉書上候、以上」
史24-3-026 書上帳写 一冊
(表紙)「慶応乙丑歳ヨリ明治己巳歳迄書上写」。表紙に「南部家図書」の方
形朱印あり。史24-3-025・史24-3-026は旧盛岡藩南部家が明治政府に提出した
「家記」の控え。両者ともに内容は同じ。
史24-3-028 戊辰始末録 二冊
①「戊辰始末録 第壱」 竪・一冊
表紙に「南部家図書」の方形朱印あり。楷書体で墨書された編纂物。綱文
の末尾に典拠史料名が記載されている。
(冒頭)
「南部氏元清和源氏ニ出ツ、承久元年以来連綿奥州ノ一方ニ居リ、元弘年中
南部信長幼字又二郎、
遠江守ト称ス勤王以来、世々其志ヲ愛続シ来リシカ、就中嘉永年間外舶渡
来以降、徳川幕府所置其当ヲ失シ百度馳廃、有志ノ輩四方ニ奔走、天下洶々
タリ、此時ニ当リ藩主早速藩士ヲ登、京師ヲ守衛シ、又自身上京述職怠リナ
ク、常ニ重臣ヲ京師ニ置キ緩急奔命忠ヲ尽サンコトヲ是勤メシモ、戊辰年ニ
至リ、毫釐ノ差終ニ賊名ヲ蒙リ、数百年ノ素志ヲ水泡ニ属セリ、我岩手県ノ
地タル南部氏ノ旧封地其半ニ過キ、其関係多キニ居ルヲ以テ戊辰年ノ始末ヲ
記シテ蔵置」
②「戊辰始末録 第弐」 竪・一冊
表紙に「南部家図書」の方形朱印あり。本冊の内容は「第六」という途中
から始まっているので、本来の「戊辰始末録」は第壱・第弐の他にも存在か。
あるいは第弐が前欠か。なお、第壱と異なり第弐には典拠史料名の表記がな
い。各章の表題は以下の通り。「第六 官軍及ヒ賊軍攻口持口戦争ノ概況」
鹿角・雫石・野辺地、「第七 旧藩ニ平時養ヒタル所ノ士卒ノ全数及其部伍
ノ組織幾大隊幾小隊ニハ何レノ官ヲ置キ大隊ニハ何レノ官ヲ設ケ総軍ハ何レ
ノ官ニテ督セシ等」、「第八 各藩奥羽ニ同盟シ或ハ官軍ニ帰順セシ順序顛
末」、「第九 官軍賊軍ニ限ラス該役其首長トシテ事ヲ経画料理シ或ハ帰順ノ
後刑等ニナリシ者ノ履歴」、「第十 戦時民間困難ノ状況及兵火ニ罹リタル郡
町村名戸数或ハ該時被害窮阨ニ陥リタル者ヘ官私ヨリ物品或ハ金員等ヲ恵恤
セル大略」、(第十一なし)、「第十二 該時官軍或ハ賊軍ニ限ラス其藩主ニ対
シ忠義ト称スヘキ者及ヒ烈婦節婦等ノ事蹟」、「第十三 該役戦死者総数姓名
及負傷者ノ大数幷ニ病院ノ景況等」鹿角口・雫石口・野辺地口
史24-3-029 戊辰帰順録・戊辰前後記録 一冊
明治十八年成立。岩手県編。山形県の依頼で編纂。史24-3-028「戊辰始末録」
の原書か。なお、史24-3-007「盛岡藩戊辰役ノ始末」はこの「戊辰帰順録」
の謄写印刷本。
史24-3-035 朝廷へ御書上写 一冊
明治政府に提出された旧盛岡藩南部家「家記」の南部家側の控え。史24-3-
025・史24-3-026よりも良本。項目ごとに典拠史料名が注記されている。冒頭
には、太政官の史官から指示された取調事項などを記した明治五年十月二十
日付の東京発盛岡宛の御用状が収録されている。
史24-3-039 戊辰戦争書状 一四点
戊辰戦争関係の書付類。草稿なども含む。とくに関連する内容のものを一
括している訳ではない。以下、数点を紹介しておく。
①十一月二十五日 尾崎懋・駒嶺魏・田鎖寛得書状 中野友衛・堀江典・菊
池金吾宛 一通
⑤(明治元年)十一月二十三日 向井(蔵人)書状 中野・堀江・尾崎宛 
一通
⑥(慶応四年)八月 (秋田藩士茂木筑後宛の宣戦布告状草稿) 一通
⑦(明治元年)九月二十三日 米内万蔵建言書 川上恭蔵・田中武左衛門・
佐々木直作宛 一通
「 口上之覚
不肖之私恐多儀ニ御座候得共、微意之趣聊奉建言候、始楢山大夫(通称は佐
渡、諱は隆吉、盛岡藩家老)秋藩御進撃之時に当て両郡之風評ニ、大夫者英
雄にましませは秋藩之滅亡眼前ニ御座候与、又仮令敵勢強大ニ相成候共、大
夫たにましませは両郡兵火之災掠奪之憂更に無之儀与存候由、是全大夫之英
明に服徳義に感佩仕候事与奉存候、然ニ今般秋藩与和親御取計、大夫御引揚
之趣風評御座候に付、物情騒然動揺不一方、冨者は財を運ひ、又老たる者は
山林に隠れ、只今に而茂敵軍乱入仕候様ニ相心得候者茂多分有之、自然御武
威に相管り儀に御座候得者、右動揺為鎮撫、大夫両三月此許御滞陣、御政令
向御沙汰被成下候様、三戸大夫(式部、盛岡藩家老)迄御願立之上、前文之
通御所置被成下候ハヽ、私一人之幸ひのみならす実に両郡士民一同之幸福太
慶に御座候、泣血百拝、
   九月廿三日                    米内万蔵
    川上恭蔵様
    田中武左衛門様
    佐々木直作様」
⑨(明治元年)九月十一日 楢山益人書状 向井蔵人宛 一通
(端裏書)「九月十一日」
「一筆啓上仕候、然者私儀扇田村争戦已後、沢尻村滞陣罷在候処、佐渡(楢
山隆吉、盛岡藩家老)殿ゟ御奉書ニ而沢尻村江者追々御城下表ゟ御人数参着
ニ付、最初被 仰付候通、毛馬内通御境御堅メ被 仰付、尤追而御差図有之
迄御番子召連、瀬田石江転陣被 仰付、唯今着陣仕候間、此段御届申上候、
尤今朝出立之節、大炮御附属ニ相成候様、佐渡殿江相願候所、御城下ゟ花輪
江弐挺御仕送ニ相成居候間、転陣之上御廻しニ相成候様相願可申旨御挨拶ニ
御座候間、何卒弐挺幷弾薬打方共御廻し相成候様御取計被成下度奉願上候、
此段不取敢申上候、已上
 九月十一日                    楢山益人
  向井蔵人様」
⑪某書付 一通
「去ル十七日(明治五年十月)、史官ゟ御呼出ニ而左之趣至急取調差出候様
御達之事、
一丁卯年中
朝庭幷幕府江対候事件一切其外自他関係之事実、無洩取調可申事、
但、東京幷西京之分共行届候丈者取調候事、
一別紙壱綴御渡ニ而、是者文意相違無之哉、又何処ニ而何役某江何之誰を以
差出、其節如何御差図相成候哉、御附紙月日共不分明ニ付取調候事、
一戊辰年中会津仙台征討、仙台〻〻同盟、秋田・津軽江〔与ヵ〕戦争、官軍取扱
向凡而自他応答、藩士勤王・不勤王之人幷ニ戦争中勝敗、止戦後歎願等之
事ニ至迄、無洩様取調候事、
一仙台家ゟハ事蹟精細ニ取調差出候得共、夫ニ而ハ日数も相懸可申、且官ニ
而編集相成候事故、其頃之留類幷出張之役員日記・手扣之類、其侭差出候
而宜敷、入用ニ候ハヽ御調済之上書類御下渡相成候旨共御達ニ御座候間、
右始終能々御熟考、御吟味届兼候処者其時関係之方々江御尋御調被成候様
致度事、
右之通」
⑫(内藤淳蔵事蹟書付) (明治三年) 一通
「 内藤淳蔵    
右淳蔵儀、一昨辰(慶応四年)春、藩主御名(南部利剛)会津御征討応援被
仰付候節、師弟之故を以て江帾五郎ニ従、四月某日仙台ニ到候処、九条・沢・
醍醐ノ三卿、会庄御進撃之為当地御出馬ニ相成候、当時天童藩吉田大八なる
者奥羽鎮撫使先導之命を蒙り、仙台へ出張致居候処、沢殿新庄へ御出張ニ付、
若庄内藩ニ而王師ニ抗衡致候様ニ而ハ、特彼藩ノ禍のミならす、奥羽生霊土
炭ニ苦候次第、志士傍観するに不忍、因而大義を以説破し、彼藩をして悔悟
降伏せしめんと欲す〻、し
之を五郎ニ相託し候処、五郎其略を書して素所知ノ庄
内藩黒川一郎なる者ニ与へ、淳蔵をして其書を齎し、庄内ニ趨き説得せしめ
候、当時道路挭塞致候故、大八が新庄ニ行ニ従ひ、新庄より大刀を脱し庄内
ノ城下ニ至り、黒川一郎ニ面会懇ニ説得候得共、藩論既ニ一定挽回すへから
さる勢ニ付、不得止立戻り、清川駅ニ止宿致候内、却而彼藩之嫌疑を受、糺
問被致候節、本藩及重役之大略及白状候処、尚又城下へ引付られ候、其途上
遂に輿中ニ而割腹相果候由、右新庄を出候ゟ割腹ニ至迄之事情分明相知不申
候得共、淳蔵儀為人抗慨沈敵素ゟ大義順逆を弁明し、反正之説を唱候者ニ御
坐候得ハ、全ク勤 王の赤心を懐き、王事ニ斃れ候者ニ御坐候、死年廿四歳、
同人儀、名ハ忠、号毅堂、好テ書を読、粗古今ニ通、頗る詩文を善し候者ニ
御坐候」
史24-3-040 戊辰戦役出張先状況報告書状  一一通
①(慶応四年)八月十八日 某届書
冒頭「仙藩柴田中務家来庄司栄七・畑山文吉、秋田加熊川戦争之節手負候
付、越中畑越ニ而帰国之趣爰元一泊ニ付、戦地之模様承り候条々、左之通」。
②(慶応四年)八月二十日 盛岡藩軍事方届書
③(慶応四年)八月二十六日 向井蔵人書状 楢山佐渡宛
八月二十六日付の楢山佐渡返書付札を貼付。
④(慶応四年)八月二十七日 秋田藩士対馬仙蔵影行・佐藤只右衛門正敏書
状 盛岡藩士三浦五郎左衛門宛
⑤(慶応四年)八月二十八日 弘前藩士野呂謙吾・佐藤英馬・秋元蔵主書状
写 盛岡藩士新渡戸伝・長谷川又左衛門宛
⑥(明治元年)九月八日 栃内与兵衛書状 楢山佐渡・向井蔵人宛
 九月十二日付の返書付札を貼付。
⑦(明治元年)九月八日 栃内与兵衛書状 楢山佐渡・向井蔵人宛
 九月十二日付の返書付札を貼付。なお、書状文中に記されている「別紙」
の「返翰写」とは史24-3-040- ⑤のことか。
⑧(明治元年)九月十二日 楢山佐渡書状 向井蔵人宛
 現状では、九月四日付の向井蔵人返書付札が貼付されているが、日付は十
四日の誤りか。
⑨(明治元年)九月十二日 向井蔵人書状 楢山佐渡宛
 九月十二日付の楢山佐渡返書付札を貼付。
⑩(明治元年)九月十二日 楢山佐渡書状 向井蔵人宛
 九月十四日付の向井蔵人返書付札を貼付。
⑪(明治元年)九月二十七日 向井蔵人書状 野田丹後宛
 九月二十七日付の野田丹後返書付札を貼付。
史24-3-041 大舘口戦況図 三枚
彩色図の一枚には、記号・色分け・イロハなどの表記によって戦況の推移
を時系列的に示す工夫がなされている。他の二枚は、上記の彩色図を作成す
るための材料となったと思われる大館方面の絵図。
史24-3-042 扇田口戦況図 一枚
墨書。後年の作成か。楢山佐渡の陣所なども記載されている。
史24-7-010 維新文書 五点
明治維新関係の書付類。とくに関連する内容のものを一括している訳では
ない。維新後、盛岡藩少参事や旧盛岡藩主南部家の家扶などを務めた尾崎懋
の関係文書か。以下、数点を紹介しておく。なお、盛岡市中央公民館編『史
料目録─新訂第五版・分類編─』(盛岡市中央公民館、二〇〇七年三月)に
よれば、本来六点あった原本のうち一点を欠くが、マイクロフィルムには六
点が撮影済みであるとのこと。
(端裏書、朱書)「一ノ二日/第一号下案」
「(前略)
一明治二年ニ在々御給人御暇之順序取調ハ、昨年花巻御給人共ゟ其
御邸江願出候由被仰越取調差上候筈御有合ニ候哉、若御有合ニ無之候
ハヽ、猶取調差上可申候間、成否ハ迅速被仰下度候
 (後略)」
②(尾崎懋書状草稿) 横・一冊
(冒頭、朱書)「第二号 参考之為旧幕政之様子、返事二君江」。一月十二日
付・十月十日付(諏訪内宛)の返書草稿。
③一月十六日 (尾崎懋ヵ)書状草稿 一通
「(端裏書、朱書)「第三号」
(前略)
御藩籍御奉還
一盛岡県被置候頃ハ、私小参事辞職願中ニテ更ニ存〔不脱ヵ〕申、然ニ明治
二年三藩真田・戸
田・大関江御引渡之節俄ニ戸籍帳も拵御引渡ノ事ニ候、御引渡御用懸
大小之御役人大勢蒙、私明治二年三月盛岡へ下着之節ハ調最中、専ラ新渡
戸伝、主立取調居候、着後私も此懸蒙相談ハ仕候へ共、(後略)」
④慶応四年六月 諸家御使者往来覚 横半帳・一冊
盛岡藩と奥羽諸藩との使者往復の記録で、使者の人名と目的等を簡潔に記
したもの。慶応三年十一月から明治二年五月までの記事を収録しているが、
分量的には戊辰戦争期の記事が中心。
「慶応四年二月十二日
一松平陸奥守(伊達慶邦、仙台藩主)様江御手許御内為御用、御使者平山郡
司方被 仰付幷御進物有之事、
同年同月廿七日
一佐竹右京大夫(義堯、秋田藩主)様江会津追討之儀ニ付、最前御使者被遣
候御挨拶旁往々御親睦被成度儀被為 仰合、御使者御目付嶋川瀬織被 仰
付出立之事」
⑤明治二年五月十四日 盛岡藩達書写 竪・一冊
明治二年五月十四日の「被仰渡」と「演説」。青色十行罫紙に墨書。現状
では二枚の罫紙に書かれているが、二つの綴じ穴があるので、本来は紙縒り
等で綴じられていたものであろう。
(冒頭)
「明治二年五月十四日被 仰渡、
一此度 御転封ニ付、大小之諸士・諸医・諸組附ニ至迄被 召連度義ハ勿論
之事ニ候得共、御減高相成候ニ付て者、家柄・高柄之向も難行立程ニ減禄
被 仰出候而も、御公務幷御相続向如何可被為 在哉難御安折柄ニ付、累
代厚御奉公申上候処、実ニ難被為忍 思召候得共、無御拠御暇被下置候、
尤追而御収納御取調之上被 召返候儀も可有之候条、銘々見込次第農商之
内ニ帰シ如何様ニも艱苦を忍ひ致相続可申、千万他向対し心得違等有之
御名儀ニ拘候而者、是迄忠義相尽し候詮も無之候間、厚致勘弁、家内ニ至
迄厳敷可申含旨被
仰出之」
史30-2-087 呼出 竪三冊
文化二年~安政元年。「海防御留書抜」・「呼出」などと類似のもの。イン
デックス的に使用したのであろう。南部藩の蝦夷地関係の動向が追えるとと
もに、近世の文書管理を示す史料としても興味深い。
史31.1-033-4 公儀被仰出 天保十三年正月 弘化三年十二月 一冊
天保十三年六月十日大目付廻状で水野忠邦渡しの書付写を達す。「大目付
江、自今新板書物之儀・・・」
天保十三年十月朔日大目付廻状ならびに書付写(堀田正篤渡しの書付)が
到来。「老中衆御用状を以、被為見候、左之通」「大目付江(改行)新板書物
之儀ニ付而者、先般・・・右之通可被相触候(改行)九月」
天保十三年十一月朔日、大目付回状(三本帆は禁止の筋。異国船に紛らわ
しい帆禁止)ならびに御覚書写一通(金銀出訴禁止したが、貸出しぶり禁止
のようよく諭すように。また町方にも申し渡すように)、御書付写一通到来
の由、「老中衆御用状を以、被為見候、左之通、追啓、水野越前守殿御渡候
御覚書は、心得のため相達し候、以上」。
史31.1-033-6 公義被仰出 慶応二年~同四年 竪一冊
「(表紙) 慶應二年正月ゟ
 公義被 仰出
          」
慶応二年正月から、同四年二月までの記事を収める。引用されている大目
付廻状や同席触等の写は、上下二段に分けて表記されている。レイアウトは
次の通り(幕令は『幕末御触書集成』四三七〇号所収)。

一慶應二年正月五日、大御目付ゟ之御廻状幷御書付寫三通、御同席觸ニ而到
来之由、御家老中役御用状被為見之、左之通
 
  松平周防守殿御渡候 御書付寫三通相達
  候間被得其意    無遅滞順達留ゟ
  黒川近江守方江   可被相返候以上
   正月五日 大目付
  御名前同断
    大目付江
  生糸之儀近来    賣捌方猥ニ相成
  …
   十二月      右之通可被相觸候
(後略)
一同年正月五日、大御目付ゟ之御廻状幷御書付寫壱通、津軽越中守・溝口主
膳正様衆ゟ添廻状ニ而到来之由、前同断被為見之、左之通
以廻状致啓上候、只今大御目付様ゟ御廻状幷御書付寫壱通被差越候付、右寫
各様迄致通達候様、越中守・主膳正被申付、廻状数通相認持廻申付候、以上
    溝口主膳正内
 正月五日 寺田惣次郎
      鈴木弥五太夫
    津軽越中守内
       大石鉄五郎
       比良野助太郎
御次第不同
 御家
  御留守居中様 御廻状之趣
         致承知候、国許
         御名江可申聞候
 伊達遠江守様
  御留守居中様
 南部遠江守様
  御留守居中様」
・正月十八日廻状写:津軽家と松平大和守(岩倉弥右衛門・三上雄之進)発、
南部・伊達・南部・松平織丸宛
「一 同年正月十九日、大御目付ゟ之御廻状幷御覚書寫壱通、御同席觸ニ而到
来之由、御家老中 以御用状被為見之、左之通
 
水野和泉守殿御渡候御覚書寫壱通相達候間、被得其意、無遅滞順達、
従止有馬阿波守方江可被相返候、以上
正月十九日 大目付
松平陸奥守殿奉
上杉弾正大弼殿
(以下有馬中務大輔、南部、松平出羽守、松平大和守、松平修理大夫、松平
安芸守、丹羽左京大夫、松平右近将監、伊達遠江守、松平肥前守、南部遠江
守、亀井隠岐守、松平織丸、溝口主膳正、島津淡路守を列記)
    右留守居」
「一同年正月廿四日、箱館奉行ゟ之御達書、松平奥陸守(ママ)様衆江相達、夫ゟ添
廻状ニ而到来之由、御家老中役御用状被為見之、左之通
以廻状致啓上候、然者箱館御奉行並新藤鉊蔵様より被仰達候儀御座候間、
今日四時西御丸中之口江罷出候様御呼出ニ付、助役之者罷出候処、別紙寫
御達書、箱館御奉行支配組頭三田喜六様を以被相渡、尤其御許様方江茂及
御通達候様ニ付、被仰渡候之間、此段得御意度、如此御座候、以上
正月廿四日 入生田房之助
      大童信太夫
加嶋加録様御廻状之趣
    致承知候
近藤良之進様
横田隼之助様 
岡 内之丞様
比良野助太郎様
大野与右衛門様
大石銕太郎様
岡田五十馬様
石井与総様
猶以廻状御順達被下、留り之御方ゟ御返却可被下候、以上
 寫
 申達
去ル十八日、杉浦兵庫頭箱館奉行被仰付候、此段為心得申達候、以上
寅正月」
・四月二十日 二月十二日の徳川慶喜願書写などが留められる。
「上杉家内 片桐藤右衛門・高津隼人
慶応四年二月
以廻状致啓上候、然者御使番近藤治左衛門罷出、昨日御譜代江申達ニ相成候
別紙為御心得御順達之儀、頼被帰候ニ付、御廻達致候、此段如斯御座候、以

 二月十二日
 松平阿波守内
  根本熊次郎
 御次第不同
 松平加賀守様
(中略)
松平稠松様
   御留守居中様
東叡山江御謹慎中西城之儀者、田安殿・松平確堂江御頼被成候旨被仰出候間、
是迄之通相勤候様可被致候事
此度 』御追討使御差向被遊候段被仰出候哉之趣、遥ニ奉承知、誠ニ以驚入
奉恐入候次第ニ候、右者全予か一身之不束より生し候而、…
 二月
   慶喜」
史35-5-023 エトモ・ホロヘツ・レフンケ御領地御引請ニ付、公辺ゟ御下渡
諸書付 一箱
表題は、箱に直に書かれたウハ書による。箱蓋右下張り紙では、「御直封」
が抹消され「外記殿、二袋封シテ印封」に書き換えられている。この箱は一
旦藩主直封が施された後、後日外記の封印がなされたものと思われる。「外
記」とは史23-4-007-83「慶応元年七月ヨリ十二月マテ覚書」の記載から、七
月御用番向井外記か。後述するように、この箱に入れられた史料袋には、側
用人の封印がある。
史35-5-23-001 蝦夷地御領地諸御書付 一袋
(袋ウハ書)には次のように記載されている。
「蝦夷地御領地諸御書付 壱封
        中野封印
       内
        一 御証文 壱袋
        一 請負証文 壱袋
        一 東蝦夷地之内、場所付目録 壱包
        一 レフン場所引渡諸書付 壱包
        一 ホ ロヘツ・シラヌイ御領分御堺、仙台様ゟ之御取替証
文弐枚、幷絵図弐枚入 壱包
      慶応元年七月廿五日御預」
1 袋ウハ書「請証文」                    一袋
袋貼紙に次の記述あり。「一 エトモ領引渡目録 一冊、一 同 請証文
一冊」「右者、文久二年六月廿一日御側用人中野要人を以御預之」
1─1 表紙ウハ書「請証文」            竪 一冊
「  差上申一札之事
私儀、東蝦夷地「(割書)エトモ・モロラン」ホロベツ両御場所御請
負被 仰付置候処、土人撫育其外等不行届ニ付、御取放之旨、被仰渡
候、
右被仰渡之趣、承知奉畏候、仍御請証文奉差上候処、如件
              井筒屋
                久右衛門
                 場所行ニ付代
  安政四巳年四月廿二日      次郎兵衛
                名主
                 新三郎
   御奉行所
右被仰渡之趣、私儀も罷出奉承知候、依之奥書印形仕候、以上
                町年寄
                 白鳥今右衛門 
 差上申一札之事
一 金六拾七両弐分     御運上高
(中略)
右者東蝦夷地「(割書)エトモ・モロラン」ホロベツ両御場所之儀、是迄
之御運上高を以改而当巳年ゟ来年迄二ケ年請負被 仰付、尤産物売捌仕入
等、都而箱館ニおゐて取扱候様被 仰付、承知奉畏候、然ル上者、万一御
運上金相滞候ハゝ、連印之もの共ゟ急度上納可仕候、
   但、・・・・
一 前々被 仰出候御法度之趣・・・
右被仰渡之趣、承知奉畏候、若相背候ハゝ、如何様之御咎被 仰付候共、御
願ケ間敷儀申上間敷候、仍御請証文差上申処、如件、
                松前伊豆守領分
                 松前大松前町
                    家持
   安政四巳年四月廿二日  請負人   半兵衛
                    煩ニ付代
                    和田屋 茂兵衛
               松前
                町年寄
                 桜庭丈左衛門
    御奉行所
  前書被仰渡之趣、承知奉畏候、依之奥書印形差上申候、以上
                町年寄
                 白鳥今右衛門    
前書エトモ、モロラン、ホロベツ(中略)来未ゟ酉迄三ケ年季御請負被仰渡、
承知奉畏候、依之継添印形差上申処、如件
                松前伊豆守領分
                 松前大松前町
                    家持
   安政四巳年四月廿二日  請負人   半兵衛
                 同
                    町年寄
                     富永与三兵衛
     御奉行所
差上申一札之事
東蝦夷地「エトモ、モロラン」ホロベツ、西蝦夷地ヲタルナイ、フルビラ請
負人半兵衛病身ニ付、(中略)願之通元年季通来午年迄御請負被 仰付候旨
被仰渡候上者、都て先達而奉差上置候御請証文之通可相心得旨被仰渡承知奉
畏候、仍御請証文差上申処、如件
                松前伊豆守領分
                 松前大松前町
                    家持
                     武兵衛改
   安政四巳年十月廿九日  請負人   半兵衛
                同所
                 小松前町
                    家持
                     徳兵衛
                     代(割書)「親類証人」達次郎
                宿    佐藤半兵衛
                 松前町
                    名主
                     勝三郎
       御奉行所
   前書被仰渡之趣、私儀罷出奉承知候、依之奥書印形奉差上候、以上
                町年寄
                 白鳥今右衛門
 (改丁。この丁と次の丁下部に、伝八と白鳥今右衛門の割印あり)
前書写之通、御請負被 仰付置候処、右場所之内南部美濃守様被下地被 仰
出御引渡相成候ニ付、左之通被仰渡候、
モロラン
エトモ
ホロヘツ
御運上金六拾七両弐分之内
一 金六拾三両 (割書)「ホロヘツ幷エトモ領字モロランゟ字ワシヘツ迄南
部美濃守様江被下地引分御引渡相成候分」
(中略)
右之通引分御引渡相成候間、書面運上金、(中略)被仰渡、承知奉畏候、仍
継添御請証文差上申処、如件、
                松前伊豆守領分
                 松前大松前町
                    家持
文久二戌年三月廿一日          半兵衛代
                      伝八(印)
              松前町年寄代
                箱館町年寄
                  白鳥今右衛門(印)
  御奉行所                          」
1─2 表紙ウハ書「引渡目録」
「   引渡目録
 一 エトモ領 但字モロランゟ字ワシベツ迄 二里四丁二十八間
但、モロラン・エトモ分界之儀者、字モロラン小流ゟ右水源、夫ゟ野
地チマエヘツ川江取付、川筋見通しモロラン山迄両領境
右被下地、先般於場所一領分堺相成候ニ付、仮ニ引渡、伺之上、追而可及差
図旨申達置候処、今般久世大和守殿御指差図相済候間、書面之通、改而引渡
候、以上
戌(文久二)四月         川津三郎太郎(印)
                 井上元七郎(印) 
                 鈴木尚太郎(印)
                 橋本稊蔵(印) 」
2 袋ウハ書「請負証文」
表紙ウハ書「請負証文」。
「 差上申一札之事
金七拾五両       御運上高
  (中略)
右者東蝦夷地アフタ御場所之儀、去ル寅ゟ申迄七ケ年季御請負罷在候処、今
般御料相成候ニ付、是迄之年限ニ不拘、右御運上高を以改而当辰ゟ午迄三ケ
年季御請負被 仰付、尤産物売捌仕入品等、都而於箱館表取扱候様、被仰渡、
承知奉畏候、(中略)
一御場所御備米百拾石五斗六升九合九夕有之候分者(下札あり)、其儘御預
被成候間、年々之仕入米を以詰替置、御見分有之候節、御改受可申候、
(下札)「本文御備米之儀者、是迄之通、御料江御居被置候旨、被仰渡候」
(中略)
右被仰渡之趣、承知奉畏候、若相背候ハゝ、如何様之御咎被 仰付候共、御
願ケ間敷儀申上間敷候、仍御請証文差上申処、如件、
                松前伊豆守領分
                 松前
                  唐津内町
                   家持
     安政三辰年五月     請負人 茂兵衛 印
               (証人二人省略)
                 箱館大町
                  家持
                宿   武兵衛 印
                松前
                 松前町
                  名主
                   勝三郎 印
                 箱館町
                  名主
                   半十郎 印
         御奉行所
前書之趣被仰渡承知奉畏候、依之奥書印形差上申候、以上
                 松前
                  町年寄
                   輿兵衛 印
                 箱館
                  町年寄
                   白鳥今右衛門 印
(安政五年四月三日付年季更新証文他省略)
前書写之通、御請負被仰付置候処、右御場所之内、南部美濃守様被下地被 
仰出、御引渡相成候ニ付、左之通り被仰渡候、
御運上金七拾五両之内
一 金拾九両弐分 (割書)「ネツヌシヤゟフケシ迄、南部美濃守様江引分御
引渡相成り候分」
        外
  金五拾五両弐分 (細字)「アブタ是迄之通、御料所ニ御居置之分」
右之通、引分御引渡相成候間、書物・御運上金以来南部美濃守様御役場江可
相納、尤二分積金之儀者、是迄之通、可相心得旨、被仰渡承知奉畏候、仍継
添御請証文、差上申処、如件
                 アブタ
                  請負人
文久元酉年四月廿二日         和田茂兵衛代
                      喜作(印)
   御奉行所
右被仰渡之趣、私儀も罷出、承知仕候、仍奥書印形仕候、以上
               松前町年寄代
                箱館町年寄
                 西村次兵衛(印)      」
3 袋ウハ書「元治二年四月十六日、南部弥六郎を以御預之、東蝦夷地之内、
場所附目録」 二冊
二冊とも、表紙綴じ目のうえの化粧紙のうえに、楕円のなかに印の字手書
きあり。一冊目は、元治元年八月付の写で、安政六年南部領に引き渡した分
の地所運上金は、同年から引渡しのつもりに心得るよう。幕府勘定奉行以下
から、小出左衛門尉、新藤鉦蔵に宛てている。二冊目は、元治二年正月付の
本紙で、前書のうち、ヤムクシナイは上知、エトモ領ホロベツ領地所運上金
とも去る申年(万延元年か)中引渡したとの内容。松岡徳次郎、橋本悌蔵、
山村惣三郎、三田喜六、平山鎌二郎差出、南部美濃守殿役人中宛。
4 ウハ書「レフンケ場所引渡諸書付」
4─1 御請書 申十月 御名家来署名 一枚
内容は、美濃守被下地を別紙絵図面のとおり受け取った。アブタ領のうち
が分堺になるので、右御境界筋は仮の引渡しで、追って御差図の旨承知した。
4─2 シツカリ繰込農夫家数人前幷新開反別調書
安政四年五月に、シッカリ場所に繰り込んだ農夫(二家族、合計八人の宗
旨、家数五軒、新開田畑二町三反)についての調書。
4─3 御請書 申十月 御名家来署名
4─4 レブンゲ場所諸書物引渡目録 申十月
河津三郎太郎(印)・鈴木尚太郎・海老原武治(印)。
4─5 地所引渡目録 申十月 
河津三郎太郎(印)・鈴木尚太郎・海老原武治(印)。内容は、ネツヲシヤ
からヲフケシまで海岸線・道程距離、ならびに境界を記述し、別紙境界絵図
の通り引き渡すとする。ただし「山奥川々はアブタ・レブンゲ土人漁場入会
之積」とする。
4─6 ヲシャマンヘより西地越山道人足継立方ニ付請証文写 万延元申年
十月十日
「アフタ・レフンケ請負人和田屋茂兵衛支配人代喜左衛門印」差出、「場
所御引渡御役人中様」宛。内容概略は以下の通り。南部美濃守様に地所引き
渡されても人馬継立はこれまで通り行う。もっとも「土人共シュブト川飯料
漁□クロマツナイ山猟幷伐木」などは、これまでとおりアフタ・レフンケ土
人双方入会と心得る旨被仰渡承知。よって請証文を差し出す。
4─7 レフンケ場所東西境幷壱里塚ケ所書
各地名の入会漁場や休所、距離などを示す。また、一里塚がある地名を記
す。
4─8 伐木之儀ニ付尋書写 万延元年八月
「レフンケ場所惣土人代平土人エナヲエテ爪印、役土人小遣カムエコチヤ
爪印、乙名セタハケ 同」他差出。「御尋ニ付奉申上候」という事書あり。
伐採についてはこれまで通りかと尋ねられた趣、「委細奉畏候、聊差支之義
無御座候間、御尋ニ付、此段奉申上候、以上」。アフタ・レフンケ御場所請
負人和田茂兵衛のアフタ支配人代とレフンケ支配人代が、相違ないことを証
明している。
4─9 風俗相改候土人江為取品書
一五歳以上、一四歳以下にわけて、風俗を改めたものに下付する品を書き
上げている。風俗を改めた者には、白米を食べ、会所床上に着座することを
許す。風俗をあらためた土人に下付する品は、場所により区々だったが、諸
場所とも一定したので、別段エトモ・ホロベツの分は引き渡すには及ばない。
4─ 10
 演説書
4─
11
 シュフト川筋土人飯料・漁事一件熟談連印書面写
「 乍恐以書付奉申上候
一シュフト川筋通り魚漁一条之儀ニ付、御利解之趣を以、三場所土人共相談
仕候処、スツヽ土人中申候ニ者、(中略)篤と熟談仕候ニ付、聊相違無御
座候、乍恐此段以書付奉申上候、以上
  万延元年
   申八月                   レフンケ
                          小使
                           サンスタ 爪印
     御役人中様
  前書之通、相違無御座候、以上
                     スツヽ
                      支配人
                       市三郎 印
                     ヲタスツ
                      支配人代
                       弥吉 印
                     アフタ
                      支配人代 
                       金蔵 印
                     スツヽ
                      通辞代
                       栄吉 爪印
                     ヲタスツ
                      通辞
                       岩蔵 同
                     アフタ
                      通辞
                       専太郎 印」
4─12
 レブンケ領境界絵図
レブンゲとアブタ境界。アブタ領は箱館奉行預り地。レブンゲは南部美濃
守陣屋附被下地を記す(レブンゲはオシャマンベの東)。
史35-5-023-2 蝦夷地御領地諸御書 一袋
(袋上書)
「蝦夷地御領地諸御書     壱封
中野舎人封印
  内
一、引渡諸書付   壱包
一、諸書付     九冊
一、御渡諸書物   壱包
レフンケ
一、諸書物     壱包
慶応元年七月廿五日御預」
 
(包紙 上書、以下一括)
「エトモ
引渡諸書付」
1─1
(帯)
「エトモ場所会所絵図」
エトモ会所 梁間九間 桁行弐拾間半
(会所の絵図、立面図)
1─2
(表紙)
「エトモ場所軽物幷北蝦夷地廻り
小皮類土人共ゟ買入直段書」
「 覚
一、熊皮 壱枚 但代銭 四百文位ゟ
            九百文位迄
一、熊胆 壱ツ 但代銭 上品壱匁ニ付百弐拾文
            中同断 百文
            下同断 八拾文
 手当 拾匁以上上品壱匁ニ付百文
    中品は壱匁ニ付五拾文
    下品は手当無御座候
一、獺皮 壱枚 但代銭 四百文
一、豹皮 壱枚 但代銭 弐百文
一、狐皮 壱枚 但代銭 弐百文
一、貂皮 壱枚 但代銭 五拾文

右之通有之候、以上
申閏三月」
1─3
(表紙)
「エトモ場所出産物土人共ゟ買入直段書」
「 覚
一、生鮭    壱本
  代拾壱文
一、昆布    壱駄
  代四拾五文    但壱駄ニ付目形四貫五百目
一、煎海鼠   壱斤 但壱斤ニ付目形三百目
  代三百文     当年ゟ直増ニ而如斯
一、布海苔   壱貫目
  代四拾文     去未年ゟ直増ニ付如斯
一、帆立貝   壱ツ
  代四文
一、屋根椛   壱束 但長サ弐尺五寸小数五拾枚詰
  代六拾文
一、焚槙皮   壱束 但目形六貫目
  代五拾五文
一、生榀皮   壱貫目 但干榀皮は五拾五文
  代弐拾八文
一、上反厚子  壱枚
  代四百文
一、下同    壱枚
  代弐百文
一、秣     壱〆 但六尺三寸縄ニ而詰
  代拾五文
一、垣茅    壱〆 但前同断
  代拾五文
一、そひ    壱本 但去未年ゟ直増ニ而如斯
  あぶらこ
  代拾文
一、カレイ   壱本 但前同断
  カツカ
  ワラツカ
  代六文
一、タコ    壱ツ 但大三拾文・中弐拾文・小拾文
一、アサリ貝  弐斗入壱樽
  代六拾文
一、生鮑    壱本
  代五文
一、干鮑    壱束
  代百文
一、ホツキ貝  壱ツ 
  代弐文
一、生わらび  壱貫目
  代八文
一、生せんまひ 壱貫目
  代拾文
一、生椎茸   壱粒
  代大四文・小壱文  去未年ゟ直増ニ而如斯
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─4
(表紙)
「エトモ場所去未年出産物積出高調書」
「 覚
一、布海苔    六拾本惣目形千百九拾弐貫八百目、此石弐拾九石八斗弐升
一、鰯〆粕    百三拾壱本
          但惣目形三千五百弐拾貫七百四拾目
         此石八拾石壱升八合五夕
一、干鮑     弐拾束
         此石九斗八升五合
一、煎海鼠    拾四本
          但惣目形弐百五拾四貫三百目
         此石六石三斗五升七合五夕
一、昆布     百九拾六丸
          但惣目形九百八拾五貫目
         此石弐拾四石五斗
 〆百四拾九石六斗八升壱合
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─5
(表紙)
「エトモ場所土人ヲムシヤ之節、其外年中差遣候品書」
「 覚
一、清酒五合ツヽ    役土人江
     右は奉行廻浦之節為取遣候
       但山住居又は自分稼等ニ而廻浦ニ携り不申もの江は不遣候事
一、清酒五合ツヽ    役土人江
     右は組頭廻浦之節為取遣候
       但前同断
一、木綿わた入壱枚ツヽ 七歳未満之土人江
     右は毎年為取遣候
一、米五升・古手壱枚  八十歳以上之土人江
     右は毎年為取遣候
       但八十才相成候節ゟ遣候事
一、造米三俵・古手壱枚ツヽ 八十歳以下鰥寡孤独長病之土人江
     右は毎年為取遣候
一、鳥目三百文ツヽ   鰥寡孤独長病之土人江
     右は奉行廻浦之節奉行手元ゟ為取遣候
一、煙草 弐把ツヽ   極老幷孤独長病之土人江
     右は組頭廻浦之節為取遣候
一、清酒壱升・煙草弐把 惣乙名
一、清酒五合・煙草壱把ツヽ 惣小使以下役土人一同江
     右は調役見廻之節為取遣候
一、煙草三把・玄米八升 惣乙名
一、煙草弐把・玄米八升 惣小使ゟ並小使土産取之者迄
      但申渡相済候後、惣役土人壱人ニ付夷杯ニ而清酒弐盃ツヽ為呑、
一汁二菜ニ而会所ニ而喰事為致申候
一、清酒弐樽・濁酒弐樽 惣役土人江
一、清酒四樽・濁酒五樽 惣平土人共江
一、玄米四斗
      但申渡相済候後、平土人共一同江夷椀ニ而清酒弐盃ツヽ、女土人
ゟ小児ニ至迄汁椀ニ而清酒壱盃ツヽ幷本書四斗之米ニ而飯壱盃
ツヽ差遣申候
右はヲムシャ之節差遣申候
一、清酒壱升・煙草弐把 惣乙名
一、清酒五合・煙草壱把ツヽ 惣小使之者
一、玄米 五升ツヽ 帰俗土人江
右は年頭礼之節差遣候
一、濁酒弐樽      惣平土人共江
一、切餅 弐切ツヽ   女土人小児共江
右は年頭礼之節前段会所ゟ差遣候
一、玄米 壱升
  椛〻  三升〻〻
  煙草 弐把
右は惣乙名退役之節差遣候、跡役之者江も同断差遣候
一、玄米 八升
一、糀  弐升
一、煙草 弐把
右は小使退役之節差遣候、跡役之者江も同断差遣候
一、清酒三升・濁酒弐樽 惣土人江
右は初午之節会所ゟ差遣候
一、玄米 壱升
右は土人出生之節会所ゟ差遣候
一、白木綿 壱尺五寸・玄米 壱升
右は土人死亡之節会所ゟ差遣候
一、清酒五合ツヽ    惣役土人江
右は五節句毎ニ差遣候
一、煙草三把・切餅五切 惣乙名江
一、煙草弐把・切餅五切ツヽ 惣小使之者江
右は年暮之節会所ゟ差遣候上、一汁二菜ニ而年越喰事為致、其外清酒汁
椀ニ而弐盃ツヽ為呑申候
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─6
(表紙)
「エトモ場所引渡目録」
「 引渡目録
一、エトモ会所幷蔵々其外建家ヶ所書        壱冊
但、会所絵図面添
一、エトモ場所持場境書              壱冊
但、一里塚ヶ所書
一、同支配人通辞番人稼方之者名前書        壱冊
一、同領ヘケレウタ其外引越出稼名前幷人別書    壱冊
一、同乙名小使名前幷家数人別書          壱冊
一、同ヲムシヤ其外年中土人共江差遣候品書     壱冊
一、同急注進早馬早走番人土人名前書        壱冊
一、同会所印鑑                  壱冊
一、同漁船其外蝦夷船書              壱冊
一、同軽者幷北蝦夷地廻り小皮類土人共ゟ買入直段書 壱冊
一、同出産物土人共より買入直段書         壱冊
一、同土人共江諸品売渡直段書           壱冊
一、同去未年産物積出高調書            壱冊
一、同小荷駄馬員数書               壱冊
右之通引渡候、以上
 申閏三月」
1─7
(表紙)
「エトモ場所会所幷蔵々其外建家ヶ所書」
「 覚
一、会所壱棟    但屋根柾葺板羽目
此惣坪数百四拾弐坪半
内訳
台所
梁間 九間
       此坪数六拾七坪半
桁間 七間半
座敷
梁間 七間半
       此坪数六拾三坪七合五夕
桁間 八間半
小座敷
梁間 弐間半
       此坪数拾壱坪弐合五夕
桁間 四間半
〆百四拾坪七合五夕
一、制札場  壱ヶ所
一、稲荷社  壱棟    但屋根柾葺板羽目
梁間 弐間
       此坪数五坪
桁数 弐間半
一、去未年建新板蔵 壱棟 但前同断
梁間 四間
       此坪数弐拾四坪
桁間 六間
一、板蔵 壱棟      但前同断
梁間 九尺
       此坪数三坪
桁間 二間
一、板蔵 壱棟      但前同断
梁間 弐間
       此坪数六坪
桁間 三間
一、板蔵 壱棟      但前同断
梁間 五間
       此坪数拾弐坪半
桁間 弐間半
一、ワニシ小休所 壱棟  但前同断
梁間 六尺
       此坪数壱坪半
桁間 九尺
  同続家        但惣茅造り
梁間 九尺
       此坪数七坪半
桁間 五間
一、チリヘツ昼所 壱棟  但屋根柾葺板羽目
梁間 弐間
       此坪数六坪
桁間 弐間半
同続家 壱棟     但惣茅造り
梁間 弐間半
       此坪数三拾七坪半
桁間 拾五間
一、元エトモ漁小家 壱棟 但惣茅造り
梁間 四間
       此坪数弐拾坪
桁間 五間
一、 エトモ沖大黒島ニ有之候大黒社壱棟 但惣板造り、尤去未秋再建ニ而本
宮造り
三尺ニ四尺
一、トアリムイ漁小家壱棟 但惣茅造り
梁間 四間
       此坪数弐拾八坪
桁間 七間
一、ヲエナウシ勤番所壱棟 但屋根柾造り板羽目
梁間 三間半
       此坪数弐拾弐坪七合五夕
桁間 六間半
一、同所見張番所壱棟   但前同断
一、同所番家壱棟     但惣茅造り
右勤番所幷見張番所番所共、去ル辰年ゟ引続引渡置候事
一、トカリシヨ漁小家壱棟 但惣茅造り
梁間 三間
       此坪数拾八坪
桁間 六間
一、イタンキ漁小家壱棟  但惣茅造り
梁間 三間
       此坪数弐拾壱坪
桁間 七間
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─8
(表紙)
「エトモ場所持場境書
   但し一里塚ヶ所書共」
「 覚
一、モロラン小流脇   此所会所元小川板橋有エトモ領境人馬往来、此処ゟ
ヘケレウタ迄道法拾九町拾九間
一、ヘケレウタ     此処川弐ヶ所有之、一ヶ所は歩行渡り、一ヶ所は土
橋人馬往来、此処ゟボロムイ迄道法拾六丁四拾四間四尺
一、ホロムイ      此所小川土橋有之、人馬往来此処ゟホンナイ迄道法
六丁拾五間弐尺
一、ホンナイ      此所小川土橋有之、人馬往来此所よりホンワニ迄道
法六丁拾五間
一、ホンワニシ     此所小川土橋有之、人馬往来小休所有之、此所より
ヤムクシナイ迄道法八丁弐拾五間
一、ヤムクシナイ    此所小川板橋有之、人馬往来此所ゟホロワニシ迄道
法五丁弐拾五間
一、ホロワニシ     此所小川土橋有之、人馬往来此所よりチリヘツ迄道
法弐拾七丁
一、チリヘツ      此所小川土橋有之、人馬往来昼所有之、此所エトモ
境、実は古来ゟ境ニ而は無之候、此処ゟワシヘツ迄
道法七丁四拾四間
一、ワシヘツ      此所小川土橋有之、人馬往来、安政三辰年ゟホロヘ
ツ・モロロラン境ニ相成候
西モロラン小川ゟ
              エトモ領
東ホロヘツ境ワシヘツ迄
西モロラン境ゟ
東ホロベツ境迄一里塚有之候処書
一、一里  ヘケレウタ
一、一里  ヤムクシナイ
一、一里  チリヘツ
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─9
(表紙)
「エトモ場所支配人通辞番人
 稼方之者名前書」
「  覚
      エトモ場所
支配人
 源治
通辞
 秀松
帳改
 元三郞
番人
 利七

 清太郎
番人
 嘉市
稼方
 文助

 永吉

 辰蔵

 房吉

 亀五郎
      以上拾壱人
右之通有之候以上
 申閏三月」
1─10
(表紙)
「エトモ場所領ヘケレウタニ引越
 出稼名前幷人別帳」
「 覚
家内四人   エトモ領ヘケレウタ住 八重吉
家内弐人              重太
右重太儀、畑地開発致度段願ニ付、同所之内千五百坪割渡置申候
家内三人              利右衛門
家内二人              嘉吉
家内三人        マクニシ住 長四郎
〆 五人
一、出稼人家五軒
   此人別拾四人
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─11
(表紙)
「エトモ場所乙名小使名前幷家数人別書」
「  覚
エトモ場所 惣乙名 エクバ
      惣小使 ニシバタ
      並小使 ラケ
      同   セタコアン
      同   トウハツ
      並小使 イタクス
      同   ニシカワ
以上七人
一、土人同家数四拾五軒
  同惣人別弐百弐拾六人
  内風俗相改候もの五人
内訳
  男 百拾人
  女 百拾六人
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─12
(表紙)
「エトモ場所急注進早馬早走番人土人名前書」
「     エトモ場所 早走番人 利七
     同土人  ビシュンテ
          ハウエチキリ
     早馬乗番人元三郎
     同土人  ウタレカ
          カモイバウシ
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─13
「エトモ会所印鑑」
「 覚
印鑑 印 エトモ会所
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─14
(表紙)
「エトモ場所漁船其外蝦夷船書」
「 覚
一、胴船  壱艘
一、持府船 壱艘
一、蝦夷船 弐拾四艘
以上弐拾六艘
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─15
(表紙)
「エトモ場所土人共江諸品売渡直段書」
「 覚
一、玄米 壱升  六拾文
一、糀  壱升  百文
一、清酒 壱升  弐百文
一、煙草 壱把  百文
一、永代帳壱本  百文
一、間切 壱枚  五拾文
一、小針 壱本  四文
一、皮針 壱本  拾五文
一、白木綿壱尺  四拾文
一、染同 壱尺  四拾五文
一、揚布 壱尺  四拾五文
一、小伝甫糸壱繰 四文
一、塩  壱升  五拾文
一、夷椀 壱ツ  百文
一、鎌  壱枚  百五拾文
一、鐇  壱丁  壱貫文
一、爪金 四ツニ而 百文
一、古手着壱枚  弐貫五百文位ゟ
         三貫文位迄
一、裂織 壱枚  八百五拾文
一、鍋  壱升入壱枚 三百八拾文
右之通有之候、以上
 申閏三月」
1─16
「エトモ場所小荷駄馬員数書」
「 覚
一、小荷駄馬  六拾七疋  但此内老馬拾壱疋
内訳
牡   弐拾九疋
牝   三拾弐疋
二才牡 五疋
同牝  壱疋
〆六拾七疋
右之通有之候、以上
 申閏三月」

(袋)
「『伊東吉代見於エトモ御引請』
 御渡諸書物」

これが全体を覆うもの
(袋)
「東地 エトモ・ホロヘツ・ヲシャマンベ
 引渡諸書付」
3─1
(表紙)
「演説書」
「   演説書
東蝦夷地エトモ領・ホロヘツ領・ヲシャマンヘゟユウラツフ境迄、此度
引渡候ニ付、左ニ令演説候
一、去未年場所々々土人人別総目録引渡候、且伊豆守領分中年々場所勤番之
もの取調交代帰登之節差出来、尤子午両年ニは領内惣人別書上候ニ付、
其節東西蝦夷人別之儀も、右高江差加江於江戸表大目付江御届申上候
旨、申送有之、御料已来年々於場所取調、子午両年には近在村々人別一
同取調、御勘定所江差出来候
一、おしゃまんへ・エトモ・ホロヘツ右場所々々いつれも去未年ゟ酉年迄
三ヶ年季を以請負申付置候、則請証文別紙弐通引渡候、尤引分候場所は
写引渡候
一、右年季中別段上納金と唱別紙写之通、場所々々請負人ゟ相納候、右証文
は外場所請負人一紙ニ有之候間写引渡候
一、右場所々々之内、運上金之外弐分と唱箱館市中為助成、年々運上金高之
外弐分金箱館町会所江差出、市中備米買入幷蔵々修復入用等当ニ而、町
年寄取扱来候、右弐分金之儀は是迄請負人ゟ箱館町会所江為差出申候
一、運上金去未年分取立候間、追而引渡可申、当申年分ゟ於其方取立可申、
且別段上納金之義は月割を以場所々々引渡、翌月分より於其方取立可申

一、右金取立期月之儀、運上金は六月十月別段上納金は五月十一月両度ニ割
合取立来候
一、ヲシャマンヘ場所請負人伊達林右衛門・栖原六右衛門箱館御用達相勤候
ニ付、苗字御免ニ有之候
一、請負人代之もの場所々々江差置、場所用之儀は都而請負人方ニ而取計通
行休泊幷人馬継立方は勿論、自用之諸品買物等之儀、其外共一式引請取
計候仕来ニ有之候
一、請負人代之内重立候ものを支配人と唱、右支配人江差続、蝦夷語心得候
ものを通詞と唱、請負人方ニ而会所江差置土人江引合之儀有之候節は、
通弁為致、右通詞之次を帳役と唱、場所用之儀都而取扱候仕来ニ候
一、土人之儀先前請負人方ニ而差配仕来候処、御料已来詰合役々ニ而進退い
たし、請負人江貸遣し給料等詰合江為差出、土人江相渡来候
一、土人江申渡等之儀有之候節は、支配人江申付為呼出、支配人幷通詞差添
罷出候
一、於場所々々土人共取獲候熊胆幷狐獺等イヌ・狼等之皮軽物と唱、松前伊
豆守領分中之通御料中為相納定直段を以代銭下げ遣し、尤狐獺等イヌ狼
皮之儀は山丹交易品々相成候、則買上代銭定直段書引渡候、尤山丹交易
皮類之義ニ付而は、追而別段相達可申候
一、毎年場所々々ヲムシャと唱持場調役出張役土人江掟書為読聞候、其節土
人共江為取物有之、則右掟書写幷為取品書付引渡候
一、場所々々土人江為取物幷年中土人江遣候品等は別紙引渡候
一、毎年漁透時節見計、持場調役為取締出役いたし、其節罷出候役土人江為
取物有之、員数書付別紙引渡候
一、土人共御国風俗ニ相改候義、伺済ニ付、願出候ものは場所詰役々承届、
其品ニ応じ手当差遣候
一、請負人手ニ付、場所々々江相越し候もの之内、定抱之ものを番人と唱、
雇之ものを稼方と相唱、且又請負人江示談之上、自分入用を以漁業いた
し候ものを出稼人と唱、支配人進退仕来候
一、会所蔵々幷川々渡船道橋普請等之義、都而請負人方ニ而取扱候仕来ニ有
之候
一、人馬賃銭之儀松前伊豆守領分中、人足壱人一里銭弐拾文、馬壱疋同銭四
拾文之処、御料相成通行人数多難儀之趣相聞候ニ付、去ル午四月ゟ人足
壱人一里銭三拾文ツヽ可請取旨申渡候
一、詰合役々往返人馬賃銭之儀は前々ゟ半減相渡候仕来ニ候
一、場所々々江寄鯨有之訴出候得は、詰合役々出役見分済之上、一分は其場
所土人江為取、二分は油ニ為絞、右払代之内ニ而諸入用引之、残金半方
上納、半方請負人江遣し候仕来候
一、役々往返渡海運賃之儀は、水主賃銭仕上勘定を以賃銭下げ遣し候
一、場所々々船材幷会所番家等普請修復ニ付山林伐木いたし候節は、支配人
ゟ申出候ニ付、伐木免判相渡候
一、出産物積船之儀は箱館沖之口御番所ニ而切手相渡候、右船場所々江入津
いたし候得は、支配人ゟ御用所江届出候間、詰合役々船中見分いたし、
滞船中不取締之儀無之様船頭其外江申渡、荷物等有之候得は支配人ゟ書
付取之、陸上げ為致、且又出荷物積候得は、右積品石数等書付、支配人
より差出出帆之義願出候間、是又詰合之役々見分いした、右書付江定役
より箱館沖之口御番所詰合宛之奥書いたし、相渡出帆申付仕来候
一、秋味鮭積取船ニ限、於箱館請負人ゟ願出次第直䑺免判相渡、尤右之分は
積石高書付陸通沖之口江向差立候事
一、積取船幷番人出稼之もの等江相渡候沖之口御番所判鑑場所々々之分三枚
引渡候、廻船改致し候役筋之もの判鑑は追而可差出候
一、場所々々病土人有之候節は、其場所詰医師為見廻且御入用を以服薬為致
来候
一、於場所々々急注進継立方幷非常之節用意として早馬乗、早走心得候番人
土人共兼而申付置候旨、伊豆守ゟ申送有之、同様当時申付有之候
一、場所々々土人共儀疱瘡ニ而傷候もの多有之候ニ付、去ル巳年中申上之東
西地とも年々種痘医師模様ニ寄春秋両度差遣し、疱瘡前土人共老若とも
申諭、御入用を以種痘為致候
一、場所々々土人共五ヶ年内、壱度ツヽ松前表江罷出候処、弘化元辰年已来
松前幷於在々ニ疱瘡疫病など流行ニ付為差登不申旨、伊豆守より申送有
之候処、前書種痘相済候以来年割を以箱館表江差出来候
一、場所々々番人稼方幷出稼之ものとも箱館沖之口御番所おいて免判相渡、
無判之もの差置不申仕来ニ候
一、土人共儀出稼其外として他場所江相越候節は、添触相渡来候
一、台場有之場所別紙ヶ所書引渡候
一、ヲシャマンヘ之儀、土人少之処、三方継立之場所ニ而難渋之趣願出候間、
去ル巳年ゟ酉年迄五ヶ年之間、人馬賃銭五割増、旅籠代之義は箱館付近
在村々同様可請取旨申渡候、尤其持場役々之義は三賄にて銭五拾五文
ツヽ相払、人馬無賃之仕来ニ有之候
一、同所ニウス善光寺持観音堂有之、大破ニ付再建之積り、地所六拾間四方
之場所相渡置候
一、黒松内迄之新道、去ル巳年以来出来、右願人江為橋銭出稼人其外通行旅
人壱人ゟ銭百拾四文ツヽ、来ル酉年迄可請取旨申渡候、則請証文類幷相
渡置候鑑札写引渡候
一、右引請人道橋手入等手配小屋トツタニおいて地所渡置候
一、アフタ・ヲシャマンヘ境之儀、先年ゟ場所ニ而ネツヌシヤゟシツカリ迄
壱里半土人入会漁場ニ相成居候処、此度水路山脈篤と相糺し、ネツヌシ
ヤ境ニ取極、双方土人共書面別紙引渡候
一、エトモ・ホロヘツ両場所近年不漁続、格別難渋之趣ニ付、永続之ため去々
午年ゟ来ル戌迄五ヶ年之間人馬賃銭三割五分増、旅籠代之儀は箱館付近
在村々同様、尤其持場役々は三賄ニ而銭五拾五文相払人馬は無賃之仕来
ニ候、且又ホロヘツ川渡船賃之義帯刀以下は相当之賃銭可請取旨申渡置

一、ノボリベツ山中江温泉有之候間、去ル午年新道切開止宿所取建、旅人幷
土人共勝手次第湯治為致候
一、エトモホロヘツ之儀従来不漁続ニて空船帰船之儀侭有之候間、右山中ニ
おいて椴桂幷雑木等差閊不相成様伐出し積出度、尤箱館おいて壱割之伐
木冥加上納いたし度旨願出候ニ付、願之通申渡候、当申年分ゟ其方収納
と可被心得候
一、前書引渡候場所々々請負人支配人其外土人残御用ニ而呼出候節は、別段
不及掛合候
一、陣屋付秣場其外兼而引渡置候分此度別段演説不致候
一、ヲシャマンヘ分界之儀は新農夫引移等之儀ニ付、今般取調難行届候間、
組頭帰路之節場所引渡候積有之候、
右之通令演説候、以上
 申閏三月」
3─2
(表紙)
「場所々ヲムシャ申渡ヶ条書」
「   申渡
一、公儀を重し御制札表幷従前々御法度之趣、堅く相守可申事
一、日の丸幷中黒御印相立候御船は勿論、売船たりとも、難破船有之節は別
而大切ニ致し、聊之品たりとも隠置、後日相顕におゐては急度咎可申付

一、御用状継立幷御役人通行之節は、人足等無遅滞相勤可申事
一、異国船幷難破船等見受候はば、早速御役人詰合江相届可申事
一、軽物之義年々出増候様出精いたし可申事
一、火之元大切入念取扱可申事
一、軽物は勿論諸産物一品たりとも船方其外江交易於致は、厳重咎可申付事
一、常々漁事出精いたし食料貯置無差支様いたし、尤作物等も追々心掛可申

一、親子兄弟夫婦を始、親族共睦敷いたし候義ハ勿論、都而土人共中よく致
し、男女年頃ニおよひ候はば、役土人共世話いたし、縁組為致可申事
一、土人共私ニ他場所江参ル儀不相成候、若無拠用事ニ而罷越候節は詰合江
願出差図可請事
一、喧嘩口論は勿論、言葉を工み、聊ニ而もうたかひかましき儀堅致間敷候、
若相背においては厳重咎可申付事
一、会所支配人番人ニ至まて、随分親しくいたし可申、其上非分之儀有之候
はば、早々可申出事
右之通申渡候間、堅く可相守もの也
 月 日」
その他に『御請書写』(箱館奉行所から受領した書類の目録、万延元年閏
三月十八日)、『閏三月定役永島省三ゟ為心得相渡候写 手続書』(書類受領
の手続次第)、『場所々々制札写』、『沖ノ口御番所印鑑』、『ホロヘツ絵図』『モ
ロラン エトモ絵図』『東地エトモ ホロヘツ ヲシャマンヘ 引渡惣目録』
(箱館奉行所から引き渡した書類の目録)『材木幷合船免判雛形』などが収め
られている。
4─1
「口達」
「囲矢来弐百六拾四間之内
 新規開発
一、畑坪数八千七百九拾弐坪  壱ヶ所
但、本文畑地之内当春五升芋其外仕付候分も有之
囲矢来百五拾九間余之内
新規開発
一、畑坪数三千五百八拾三坪余 壱ヶ所
右はホロヘツ場所之内字ラエバ川両縁ニ於而在住之向御開拓之御趣意相弁、
自力を以追々取開候畑地ニ有之、同所之儀は地味も相応ニ相見候間、此上
追々切添、開発有之候様致し度、此段為心得令口達候
   申四月」
4─2
「口達」
一、ホロヘツ領内ニ是迄在住之向三人有之候処、支度次第引払候積有之候
 一、 同領内ノホリヘツ山おゐて硫黄製造方箱館産物会所より前金相下、取
掛り居候処、爾来引請人相立、其役場江硫黄山冥加為相収取出し候硫
黄は産物会所江為積取候積、委細はモロラン詰調役より夫々可及内談

   申四月」
4─3
(袋)
「箱館御役所ニ而御渡ニ相成候絵図面場所御引渡之節所々違有之候ニ付、別
段絵図面取調相渡候旨、於場所組頭河津三郎太郎・伊東吉代見江達有之、右
絵図面を以御引渡ニ相成候旨、吉代見ゟ申出有之」
モロラン境界絵図 壱枚
ホロベツ・シラヲイ境界絵図 壱枚」
4─4
(表紙)
「追演説書」
「 追演説書
一、モロラン・エトモ両領ニ相成候処、海岸幷澗内共土人共漁事之儀は都而
入会ニ有之候
但出稼人も同断入会之積、尤荷物之儀は一同取集積出候間、都而モロ
ラン詰役人相改候事
一、土人撫育方之儀ニ付而は、会所支配人通詞番人等、都而流用之積有之候
一、土人共撫育筋之儀は、領々ニ而取計可申儀ニ候得共、是迄請負入用を以
一同江取纏為差遣候品ニは立会之上為取計候積、尤時宜次第臨機之取計
候可有之事
一、砂原渡海船之儀は、是迄之通モロラン詰役人相改候事
一、是迄役々通行之節は、三賄ニ而七拾五文為請取来候処、引渡相済候上は、
其所ニ付御用無之節は、役々幷在住之向共人馬御定賃銭賄代之義は、上
弐百文、帯刀以上百五拾文、下百弐拾五文為相払候事
一、土人共給料渡方之儀先達而演説いたし置候得共、右は去ル辰年請負人共
願之趣も有之、御直差配之廉厚相心得候上は、役々立会直ニ為相渡候、
依之別紙請負人共請書写引渡申候
一、エトモ・ホロヘツ共寺院無之、文化度已来ウス善光寺持場ニ有之候処、
去ル巳年持場之唱無之積申渡候得共、未タ別段寺院取建も無之候間、番
人土人等埋葬所其外仏事之義は同寺ゟ相越回向仕来候
一、追々演説いたし候通候得共、尚難相分義其余臨時取計方等差向候義は、
モロラン詰調役江可承合候
右之通令演説候、以上
  申四月 河津三郎太郎(印) 
鈴 木 尚太郎(印)」
4─5
(表紙)
「追演説書」
「 追演説書
一、米七拾弐石四斗五升五合三夕     ホロヘツ御備米
右は非常用意之ため先前ゟ御備有之候処、此度引渡候間、追而箱館表おゐて
上納可被致候、尤臨時救助米等ニ貸渡候儀も有之候間、平常請負人共江進退
為致、年々詰替置、若欠減相立候節は弁米為致候仕来ニ付、此度引渡候ニ付
而も貫目升廻し改方不致、蔵詰之侭引渡候間、此段令演説候、以上
  申四月 河津三郎太郎(印) 
鈴 木 尚太郎(印)」
4─6
(表紙)
「土人撫育方請負人共請証文写」
「 差上申御請証文事
一、蝦夷人共撫育品渡方等之儀御詰合御役人様御立会相願、先内端渡置銭品
等之儀は追而前同様御立会相願、惣勘定いたし渡方取計候様可仕候
一、漁業手伝・山林伐木・船手其外召遣方之儀は、早春之内凡積書面を以御
役人様江相願候可仕候
一、蝦夷人別幷御手当方御直定配之訳厚相心可申候
右被仰渡之趣東西請負人共江不洩様可申達旨承知奉畏候、仍御証文差上申処
如件
東西請負人惣代     
 山田屋分右衛門 代    
  安政三辰年二月 寿兵衛 印  
 栖原屋六右衛門 代    
    半 六 印  
 伊達休右衛門    
    文 次 印  
御奉行所
右被仰渡之趣私儀も罷出承知奉畏候、依之奥書印形奉差上候、以上
                   町年寄 白鳥新七郎 印」
4─7
(表紙)
「地所引渡目録」
「 地所引渡目録
一、エトモ領   字モロランゟ字ワシベツ迄  弐里弐拾四丁弐拾八間
一、ホロヘツ領  字ワシベツゟ字フシコヘツ迄 四里弐拾九丁弐間
右被下地地所別紙境界絵図面之通引渡申候、尤エトモ・モロラン分境相成候
ニ付、仮ニ引渡置、伺之上追而可及差図候、以上
 申四月                 河津三郎太郎(印)
                     鈴 木 尚太郎(印)」
4─8
(表紙)
「書物引渡目録」
「 書物引渡目録
一、追演説書             弐冊
一、土人共撫育品渡方請負人請証文写  壱冊
一、場所絵図境界絵図面共       四枚
一、地所引渡目録           壱冊
右之通引渡候、以上
 申四月                河津三郎太郎(印)
                    鈴 木 尚太郎(印)」
4─9
(表紙)
「御請書」
「 御請書
一、追御演説書            弐冊
一、土人共撫育品御渡方請負人御請証文写壱冊
一、場所絵図境絵図面共        四枚
一、地所御引渡目録          壱冊
右之通被成御引渡奉請取候、以上
  申四月 南部美濃守家来 伊東吉代見印   
宮沢貫兵衛印」  
4─10
(表紙)
「御請書」
「 御請書
一、エトモ領  字モロランゟ字ワシヘツ迄八里弐拾四丁弐拾八間
一、ホロヘツ領 字ワシヘツゟ字フシコヘツ迄四里弐拾九丁弐間
右美濃守被下地地所別紙境界絵図面之通御引渡被成奉請取候、尤エトモ・モ
ロラン此度御分境ニ罷成候付、仮御引渡相成、御伺之上追而御差図有之候段
承知奉畏候、此段御請申上候、以上
 申四月 南部美濃守家来 伊東吉代見印   
宮沢貫兵衛印」  
4─11
(表紙)
「御請書」
「 御請書
一、米七拾弐石四斗五升五合三夕 ホロヘツ御備米
右は非常御用意之ため、先前ゟ御備方有之、此度場所御引渡被成下奉請取候、
追而国許ゟ廻米を以箱館表ニおゐて上納可仕候、依之此段御請申上候、以上
 申四月 南部美濃守家来 伊東吉代見印   
宮沢貫兵衛印」  
史35-5-034 エトモ勤番中雑書 一冊
(表紙)「 安政七年正月庚申閏三月廿四迄
      万延元年庚申閏三月廿五
      文久元年六月十五日迄
    エトモ勤番中
       雑書               」
冒頭に「戸川氏蔵書」の印あり。万延元年七月廿日記事に「加島蔀、久慈
算蔵、戸川吉重郎、高橋直之進」が、会所でのオムシャ申し渡し関係者とし
て書き上げられている。また八月六日記事に「締役扱役兼帯戸川吉重郎」と
あり。しかし万延元年四月二十五日記事には「御名様御家来戸川吉重郎殿」
とあり。本冊の筆者と戸川は別人か。少なくとも三筆で記録されている。
(冒頭の記述)。
「安政七庚申年
 利義公 御在府
 利剛公 御在府
  正月元日                  北地御用取締役
                        扱役兼帯勤中」
(閏三月~四月エトモ勤番の記事)
「   四月九日 晴
一前記乗船御人数船中聊無恙今巳中刻着岸ニ付、御用所江罷出詰合、伊東吉
代見江御届申上、外所ニ而廻勤之、」
「   四月十五日 晴
一箱館奉行支配組頭河津三郎太夫殿御頂御地所御引渡モロラン会所江御逗留
候ニ付、側之御人数同道、為見舞罷越、暮頃罷帰之、」
「 五ノ二日 小雨
蝦夷地之内為陣屋附被下候ヲシヤマンヘよりユウラツブ境迄之地所、御用ニ
付上知被 仰付、右為代アブタ領之内レブンケよりウシイェマンヘ境迄被下
之、尤右上知場所御警衛被 仰付、委細之儀者、御勘定奉行・箱館奉行可被
談候、
右之通、当閏三月於江戸御老中脇坂忠務大輔様ゟ御書付を以御達御座候、此
段御届申上候、以上
                          御名内
   五月四日                    加島 蔀」
「               六ノ十三日 晴
一暑中為見舞、調役並海老原治、定訳前田文太三郎、(モロラン詰)同心山
岡羊之助、足軽山川(ママ)
  罷越」
(万延二年二月二十四日)
「一 御境傍示杭認方、脇坂中努大輔様江御伺之上、於箱館表御差図有之、
左之通
従是(割書)「南西」御名陣屋附被下地(この行楷書)
右之通、相認候趣、御差図ニ付、伺直し候事、
夫前ハ 御国許ゟ申来、左之通り認候事、
 従是「東西」盛岡陣屋附領地」
(万延二年二月二十五日、仙台藩と傍示杭確認)
史35-5-040 蝦夷地引請渡諸留 一箱
①「書上 ヤムクシナイ会所」 卯(安政二)年六月 竪・一冊
表紙と第一丁目に「南部家図書」の方形朱印あり。場所内の建物数・船数・
家数・人別・産物・運上金などを書き上げたもの。以下同じ。
「   ヤムクシナヰ御場所書上
請負人
松前
  伊達林左衛門
  楢原六右衛門
  支配人
     庄七
  番人稼方
    弐拾九人
(中略)
一風土寒暖積雪
当所者土地丑寅向ニ而海辺差たる高山無之、平山続ニ御座候、去正月中
旬頃余寒強く、彼岸過ニ相成候得者雪消ニ相成申候、夏者土用中之暑ゟ
残暑強く、秋九月下旬ゟ次第寒く、十月下旬ゟ雪降続、十一月中旬頃ゟ
雪降積三尺位、十二月下旬頃者寒気厳敷御座候、
右之通書上仕候、以上、
            ヤムクシナイ
   卯六月       会所(丸黒印、印文「ヤムク/会所/シナイ」)
   上」
②「上 アフタ」 竪・一冊
表紙と第一丁目に「南部家図書」の方形朱印あり。
③「書上 尾札部村」 卯(安政二年)六月 竪・一冊
尾札部・川汲・木直村の書上。
(末尾)
「  右之通相違無御座候、以上、
尾札部
 御百姓代
  喜太郎
木直し
 小頭
  安右衛門
川汲
 小頭
  卯六月    重兵衛
尾札部
 小頭
  多次郎
同頭取
  与五左衛門
澤出善平殿
谷崎善六殿
気田庄之丞殿
星川左仲太殿
長沢文蔵殿」
④「書上 印尻」 竪・一冊
六月付の印尻村書上、卯(安政二年)六月二十六日付の鹿部村書上、閏七
月・寅(安政元年)八月付の鹿部村書上を合綴。
⑤「書上 茂無部・落部・野田追」 嘉永八卯(安政二年)六月 竪・一冊
茂無部・落部・野田追村の書上。
⑥「ヱトモ御場所諸書上」 卯(安政二年)七月 竪・一冊
内容は、「ヱトモ御場処御運上金書」、「ヱトモ御場所会所蔵ニ其外建家ケ
所書」(付箋貼付多し)、「ヱトモ御場所里数書上」(卯七月)、「ヱトモ御場所
御預馬書上」、「ヱトモ御場所漁場網数書上」(卯七月)、「ヱトモ御場所四季
季候書上」(卯七月)、「ヱトモ御場所材木幷畑作野菜書上」(卯七月)、「ヱト
モ御場所漁船幷蝦夷舟書上」(卯七月)、「ヱトモ御場処支配人・通辞・番人・
稼方名前書」、「ヱトモ御場所乙名・小使幷家数人別書」、「ヱトモ御場処ヲム
シヤ申渡書幷御詰合交代之節其外蝦夷人江為取品書」、「ヱトモ御場処注進早
馬早足番人蝦夷人名前書」、「ヱトモ御場所北蝦夷地廻り小皮類蝦夷人共ゟ買
入直段書」、「ヱトモ御場所出産物蝦夷人ゟ買入直段書」、「ヱトモ御場処諸産
物積高書」、「ヱトモ御場所御備米石数有高書」、「ヱトモ御場処非常御備品
書」、「ヱトモ御場所蝦夷人介抱書」、「ヱトモ御場所潟掛舟之様子書」。
*「ヱトモ御場処ヲムシヤ申渡書」の抜粋
一 万一異国船沖合帆通候を見請候ハヽ、遠近ニ不抱早速会所江可申出、
若近寄候ハヽ居合候蝦夷人共呼集、会所江相詰可請差図事、…右之
条々常々うたれ共江も能々申聞心得違之もの無之様、急度可申付者
也、
(末尾)
 右之通御尋ニ付有躰奉申上候、以上、
 卯                     ヱトモ
 七月                    会所(丸黒印)
⑦(表紙欠、「ホロヘツ御場所諸書上」ヵ) 卯(安政二年)七月 竪・一冊
内容は、「(表紙欠、ホロヘツ場所運上金書)」、「ホロヘツ御場所会所幷蔵々
其外建家ヶ所書」(付箋多し)、「ホロヘツ御場処支配人・通辞・番人・稼方
名前書」、「ホロヘツ御場所持場境書 但壱里塚ヶ所書共」、「ホロヘツ御場処
乙名・小使名前幷家数人別書」、「ホロヘツ御場所ヲムシヤ申渡書幷詰交代之
節其外蝦夷人江為取品書」、「ホロヘツ御場所急注進早走早馬番人・蝦夷人名
前書」、「ホロヘツ御場所漁船・川渡船其外蝦夷船調子書」、「ホロヘツ御場所
軽物幷北蝦夷地廻小皮類蝦夷人ゟ買入直段書」、「ホロヘツ御場所出産物蝦夷
人ゟ買入書付」、「ホロヘツ御場所備米石数有高書」、「ホロヘツ御場処非常備
品書」、「ホロヘツ御場所小荷駄馬員数書」、「ヱトモ・ホロヘツ両御場所手続
書」、「ホロヘツ御場所材木幷畑作野菜書」、「ホロヘツ御場所四季季候書」、
「ホロヘツ御場所漁場網数書」、「ホロヘツ御場処蝦夷人介抱書」。
(末尾)
「  右之通御尋ニ付有躰奉申上候、以上、
 卯                   ホロヘツ
  七月                   会所(丸黒印)」
⑧ 竪一冊 袋入
(袋ウハ書)
「『ヱ
(朱書)

 印
(朱印)
『南部家図書』
   請負證文
            」
「 差上申一札之事
 
 金七拾五両   御運上高
  外弐分積金壱両弐分
 合金七拾六両弐分
  但六月・十月半金宛、弐分積金之儀者十月上納之積
右者東蝦夷地アブタ御場所之儀、去ル寅ゟ申迄七ヶ年季御請負罷在候處、
今般 』御料相成候ニ付、是上之年限ニ不拘、右御運上高を以改而當辰ゟ
午迄三ヶ年季御請負被 』仰付、尤産物賣捌・仕入品等都而於箱館表取扱
候様被仰渡、承知奉畏候、然上者、万一御運上金相滞候ハヽ、連印之もの
共ゟ急度上納可仕候
    年季中漁事格別相増候節者
   但御吟味を請、冥加増金上納可仕候
    且新規之漁事相始候ハヽ、其段
    申上、御差図を請可申候
一前々被 仰出候御法度之趣者勿論、蝦夷人取扱方其外共都而御詰合御役人
中様御差図之趣相守、且悪心を以蝦夷人与申合、又者非分之儀等無之様、
手先之もの共迄精々申付候様可仕旨、被仰渡候
一御會所幷荷物蔵々等、御年季中被成御預候間、修復之儀者手限ニいたし、
建替之砌者御届可申上、尤用材伐木之節者、御詰合御役人中様江申立、御
差図を請可申、且又道橋普請、川々渡船修復等、等閑ニ不仕様被仰渡候
一煎海鼠之儀、長崎御用品に付別而出情取獲候様可仕、猶又抜荷密賣買等無
之様可仕旨、被仰渡候
一出荷物積取船差向候節者、沖ノ口御番所江申立、御改請可申旨被仰渡候
一御通行之御役人中様幷御固人数御通行者勿論、御用状御継立等人馬無遅滞
差出御休泊御差支無之様可仕旨、被仰渡候
一御請負場所ゟ出候御軽物之儀、精々心付御會所江取集、御詰合御役人中様
江差出可申、尤密賣買等決而仕間鋪旨、被仰渡候
一難風ニ逢候船見請候ハヽ、助船可差出、且異國船相見候ハヽ、早速御詰合
御役人中様迄御注進可仕旨、被仰渡候
一御場所御備米百拾石五斗六升九合[「本
(下札)
文御備米之儀者、是迄之通御料江
御居被置候旨、被仰渡候」九夕有之候分者、其侭御預被成候間、年々仕入
米を以詰替置、御見分有之候節御改請可申候
一松明三百本・草鞋三百足、一ヶ所ツヽ別紙ケ所書之通御備相成候ニ付、
年々取替置可申段、被 仰付、承知奉畏候
一御幕串百本、長九尺七寸に而相備置可申段被 仰付、奉畏候、尤損等有之
候ハヽ取替置、何時ニ而も御用之節御間欠ニ不相成様可仕候
右被仰渡之趣、承知奉畏候、若相背候ハヽ、如何様之御咎被 仰付候而も御
願ケ間鋪儀申上間敷候、仍御請證文差上申處如件
松前伊豆守領分
 松前
  唐津内町
   家持
安政三辰年五月  請負人 茂兵衛印
小松前町
 家持
  増右衛門病気に付
   代召仕
證人 五郎平印
箱館
 辨天町
  家持
證人 寿兵衛印
箱館大町
 家持
宿  武兵衛印
松前
 松前町
  名主
   勝三郎印
箱館町
 名主
 半十郎印
    御奉行所
前書之通被仰渡、承知奉畏候、依之奥書印形差上申候、以上
        松前
町年寄
 与三兵衛印
        箱館
町年寄
 白鳥今右衛門印
(改丁)
前書アフタ御場所御請負之儀、来未年季明之處、是迄之御運上金高を以、猶
又来未ゟ酉迄三ヶ年季御請負被仰渡、承知奉畏候、依之継添印形差上申處如

 箱館大町一丁目
  源右衛門店
   茂兵衛代
安政五午年四月十三日 請負人 仲五郎印
 同
  町年寄
   西村次兵衛印 
    御奉行所
(改丁)
 差上申一札之事
東蝦夷地アフタ請負人茂兵衛病身ニ付、彦太郎事改名茂兵衛相續仕候に付、
右場所御請負之儀奉願候処、願之通元年季通り来未ゟ酉年迄御請負被 』仰
付候上者、都而先達而奉差上置候御請證文之通可相心得旨被仰渡、承知奉畏
候、仍御請證文差上申處如件
松前伊豆守領分
 松前唐津内町
 家持
  彦太郎事
 安政五午年五月    茂兵衛印
     同人親類
 松前小松前町
  増右衛門代
 箱館大町四丁目
  家持
   吉右衛門印
      松前町
       名主代
      箱館町
       名主
        半十郎印
    御奉行所
前書…(町年寄白鳥金右衛門奥印あり)
(改丁)
前書アフタ御場所御請負之儀、當酉年季明之處、是迄之御運上金高を以猶又
来戌より辰迄七ヶ年季御請負被仰渡、承知奉畏候、尤右年限中漁業出置候節
者、運上増金可仕旨、是又承知奉畏候、依之継添御請證文差上申處如件
  箱館大町弐丁目
   家持
万延二酉年二月廿日 請負人 和田茂兵衛印
  同
   名主
     茂作印
  同
   町年寄
    西村次兵衛印
     御奉行所
前書写之通御請負被仰付置候處、右御場所之内南部美濃守様被下地被 仰
出、御引渡相成候ニ付、左之通被仰渡候
御運上金七拾五両之内
一金拾九両弐分      ネツヌシヤゟヲフケシ迄南部美濃守様江引分御引
渡相成分
  外
 金五拾五両弐分    アブタ是迄之通御料所ニ御居置之分
右之通引分御引渡相成候間、書面御運上金以来南部美濃守様御役場江可相
納、尤二分積金之儀者是迄之通可相心得旨被仰渡、承知奉畏候、仍継添證文
差上申處如件
            アブタ
             請負人
              和田茂兵衛代
文久元年四月廿三日      喜 作印
   御奉行所
右被仰渡之趣、私儀も罷出承知仕候、仍奥書印形仕候、以上
       松前町年寄代
        箱館町年寄
         西村次兵衛印」
⑨ 包紙入一括
袋入、同ウハ書「レフンケ場所引渡諸書付」。内容は、左記の(1)~(9)
ならびに引渡目録。
*レブンケ領境界繪圖 一鋪(2)
*地所引渡目録写 万延元年十月 竪一冊(1)
レブンゲ領。河津・鈴木と海老原武治連名で発給。
*演説書写 万延元年十月 竪一冊(3)
河津・鈴木・海老原三名。
*レフンケ場所東西境幷壱里塚ヶ所書写 万延元年十月 竪一冊(4)
*ヲシヤマンヘより西地越山道人足継立方ニ付請證文写 万延元年十月 竪
一冊(5)
アブタ・レブンゲ場所請負人和田屋茂兵衛代支配人代より、場所御引渡役
人中宛。
*伐木之儀ニ付尋書写 万延元年八月 竪一冊(6)
レブンゲ場所惣土人・役土人ならびにアブタ場所惣土人代・役土人・惣小
使・惣乙名が爪印で上申する様式。奥書は請負人和田屋の両場所支配人代が
連印。
*シユフト川筋土人飯料漁事一件熟談連印書面写 万延元年八月 竪一冊
(7)
レブンゲ・アブタ・ヲタスツ・スッツのアイヌ十名が爪印。奥書連印は支
配人(代)および蝦夷通詞ら。
*風俗相改候土人江為取品書写 万延元年十月 竪一冊(9)
*シツカリ繰込農夫家数人別幷新開反別調書写 万延元年十月 竪一冊
(8)
五軒・計八名の書上。
*レブンケ場所諸書物引渡目録写 万延元年十月 竪一冊
河津・鈴木・海老原連名で発給。(1)~(9)の計九点を書上。
⑩ 包紙一括
包紙入、同ウハ書「ヱトモ引渡諸書付十五通・繪図一 北地御用所」。
*ヱトモ場所引渡目録 万延元年閏三月 竪一冊
「    引渡目録
一ヱトモ會所幷蔵々其外建家ヶ所書        壱冊①
    但會所繪図面添
一ヱトモ場所持場境書              壱冊②
    但一里塚ヶ所書
一同支配人・通辞・番人・稼方之者名前書     壱冊③
一同領ヘケレウタ其外引越出稼名前幷人別書    壱冊④
一同乙名・小使名前幷家数人別書         壱冊⑤
一同ヲムシヤ其外年中土人共江差遣候品書     壱冊⑥
一同急注進早馬早走番人・土人名前書       壱冊⑦
一同會所印鑑                  壱冊⑧
一同漁船其外蝦夷船書              壱冊⑨
一同軽物幷北蝦夷地廻り小皮類土人共ゟ買入直段書 壱冊⑩
一同出産物土人共ゟ買入直段書          壱冊⑪
一同土人共江諸品賣渡直段書           壱冊⑫
一同去未年出産物積出高調書           壱冊⑬
一同小荷駄馬員数書               壱冊⑭
右之通引渡候、以上
  申壬三月」
以下、右に補記した①~⑭までの竪冊が包紙で一括されている。「ヱトモ
場所會所繪図」一鋪も①に附属している。
*ヱトモ場所土人共江諸賣渡直段書 万延元年閏三月 竪一冊(⑫)
「     覚
一玄米   壱升   六拾文
一糀    壱升   百文
一清酒   壱升   弐百文
一煙艸   壱把   百文
一永代張  壱本   百文
一間切   壱枚   五拾文
一小針   壱本   四文
一皮針   壱本   拾五文
一白木綿  壱尺   四拾文
一染同   壱尺   四拾五文
一楊布   壱尺   四拾五文
一小傳甫角 壱繰   四文
一塩    壱升   五拾文
一夷椀   壱ツ   百文
一鎌    壱枚   百五拾文
一鐇    壱挺   壱貫文
一爪金   四ツニ而 百文
一古手着  壱枚   弐貫五百文位ゟ
           三貫文位迄
一裂織   壱枚   八百五拾文
一鍋    壱升壱枚 三百八拾文
右之通有之候、以上
  申壬三月」
⑪ 包紙入一括
包紙ウハ書「ホロヘツ引渡諸書付十五通・繪図一 北地御用所」。
*ホロヘツ場所引渡目録 万延元年閏三月 竪一冊
「    引渡目録
一ホロヘツ會所蔵々其外建家ヶ所書       壱冊①
     但繪図面添
一同持場境書付                壱冊②
     但一里塚ヶ所共
一同支配人・通詞・番人・稼方幷永住人名前書  壱冊③
一同場所乙名・小使幷家数人別書        壱冊④
一ヲムシヤ其外年中土人江差遣候品書      壱冊⑤
一ホロヘツ急注進早馬早走番人・土人名前書   壱冊⑥
一同會所印鑑                 壱冊⑦
一同漁船川渡其外蝦夷船調書          壱冊⑧
一同軽物幷北蝦夷地廻り小皮類土人ゟ買入直段書 壱冊⑨
一同出産物土人ゟ買入直段書          壱冊⑩
一同土人共江諸品賣渡直段書          壱冊⑪
一同去未年出産物積出高調書          壱冊⑫
一同小荷駄馬員数書              壱冊⑬
一同川渡守給銭調書              壱冊⑭
右之通引渡候、以上
  申壬三月」
以下、右に補記した①~⑭までの竪冊が包紙で一括されている。「ホロヘ
ツ場所會所繪図」一鋪も①に附属している。
⑫ 包紙入一括
(包紙ウハ書)
「『ヱ
(朱書)

 印
(朱印)
『南部家図書』
   ヱトモ
 東地ホロヘツ
   ヲシヤマンヘ
   引渡諸書付『七通  繪図二枚』(ママ)
             」
*ホロヘツ絵図 一鋪 
「(題箋)□
 ホロヘツ繪圖」
*モロラン・ヱトモ絵図 一鋪
「○(題箋)
 モロラン
 ヱトモ 繪圖」
*モロラン・ヱトモ分界絵図 一鋪
「×(題箋)
 モロラン
 ヱトモ 分界繪圖」
モロラン領・ヱトモ領・ホロヘツ領・ウス領を彩色で区別。分界線は朱で
引き、「ヱトモ・モロラン境」は、「従是東南部美濃守陣屋附被下地、従是西
箱館奉行御預地」と注記あり。西のモロラン領内には、「調役以下御役宅」
のほか、「在住ヤシキ」、台場一か所があり、東のヱトモ領内には、南部陣屋
のほか、会所一か所、台場二か所が認められる。
*印鑑写 内容は写一点。
「(包紙ウハ書)沖ノ口
  御番所印鑑  三枚
        『(朱書)内ヱトモ・ホロヘツ
         ヲシヤマンヘ江壱枚
         ツヽ差遣候ゆへ
         写を以差上候
         事』        」
*万延元年十一月 諸書物請取目録 竪一冊
「ヲシヤマンヘ引渡目録 壱冊」はじめ、計十七点(十七冊)。河津三郎
太郎・鈴木尚太郎・橋本悌蔵が連印している(井上元七郎は「廻浦御用ニ付
無印形」)。
*材木幷合船免判雛形 竪一冊
*場所々々ヲムシヤ申渡ヶ條書 竪一冊
申渡の条々十二か条。
*万延元年閏三月 東地ヱトモ・ホロヘツ・ヲシヤマンヘ引渡惣目録 竪一

「   引渡惣目録
 一演説書           壱冊
 一場所々制札写        壱冊
 一ヱトモ引渡諸書物      壱帙
 一ホロヘツ引渡諸書物     壱帙
 一ヲシヤマンヘ引渡諸書物   壱帙
 一場所々々ヲムシヤ申渡案   壱冊
 一場所請負證文継添證文共   弐冊『(下札)追而可引渡候』
 一場所々々別段上納金請證文写 壱冊『(下札)追而可引渡候』
 一沖ノ口御番所判鑑      三枚
 一材木幷合船免判雛形     壱冊
 一場所々々繪図面       三枚『(下札)内壱枚ヲシヤマンヘ繪図追而引渡
                   可申候』
 右之通引渡候、以上
   申壬三月     河津三郎太郎印
            井上元七郎印
            鈴木尚太郎印
            橋本悌蔵印 」
*安政四年九月 場所々々制札写 竪一冊
箱館奉行掟書三か条写。
*万延元年閏三月 御請書写 竪一冊
「引渡惣目録」に記載された書類についての請書で、上山半右衛門が捺印
したもの。表紙の朱書には、「西之内四枚袋綴ニ乄、上書御請書与相認メ、
二ノ間三畳目江相進ミ、定役永嶋省三を以差出候処、松岡徳次郎取次、河津
三郎太郎江相出し、致落手候旨挨拶有之、組頭幷御勘定共引取候事」とある。
*(万延元年閏三月) 手續書 竪一冊
表紙朱書に、「閏三月 定役永嶋省三ゟ為心得相渡候寫」とあり。箱館奉
行所での礼式を図解を添えて示した書類。
⑬ 包紙入一括
(包紙ウハ書)
「(朱書)『ヱ』
 印      『九通
  御渡諸書物 繪図二
        口達二』
            」
*万延元年四月 口達 切紙状一通
(畑地二か所につき)「右者、ホロヘツ場所之内字ラヱバ川両縁ニおゐて、
在住之向御開拓之御趣意相弁、自力を以追々取開候畑地ニ有之、同所之儀者
地味も相應ニ相見候間、此上追々切添開發有之候様致し度、此段為心得令口
達候
 申四月」
*同月 口達 切紙状一通
「一ホロヘツ領内ニ是迄在住之向三人有之候處、支度次第引拂候積有之候
 一同領内ノホリヘツ山おゐて硫黄製造方、箱館産物會所より前金相下、取
懸り居候処、尓来引請人相立、其役場江硫黄山冥加為相収、取出し候硫
黄者産物會所江為積取候積、委細者モロラン調役より夫々可及内談候
  申四月」
*絵図包紙
「(包紙ウハ書)モロラン境界繪圖 一枚
 ホロヘツ
 シラヲイ境界繪圖 一枚」
*モロラン境界繪圖 一鋪
*ホロヘツ繪圖   一鋪
題箋「△ホロヘツ繪圖」
*引渡目録写 文久元年四月 竪一冊
「    引渡目録
一レフンケ領  但ネツヌシヤゟ  海岸五里七丁八間
        ヲフケシ迄    道程六里四丁余
(二か条略)
右者、被下地先般於場所一領分堺相成候ニ付、仮ニ引渡、伺之上追而可及
差図旨、申達置候処、今般安藤對馬守殿御差図相濟候間、書面之通改而引
渡候、以上
酉四月      河津三郎太郎印
        蝦夷地廻浦御用ニ付無印形
         井上元七郎
         鈴木尚太郎印
         橋本悌蔵印」
*御請書写 文久元年四月 竪一冊
四月二十三日付で小野寺傳八より差し出した請書。前掲、河津らの引渡目
録に対応。
*御請書写 万延元年十月 竪一冊
(前略)
「右者、美濃守被下地、御別紙境界絵図面之通被成御引渡、奉請取候、尤ア
ブタ領之内御分界相成候ニ付、右御境筋仮ニ被成御引渡、御伺之上追而御
差図御座候段被仰渡、承知奉畏候、以上
        御名家来
 申十月     加嶋 薪印
         高橋直之進印」
*御請書写 万延元年十月 竪一冊
「    御請書
一レフンケ場所境界繪図面        壱枚
一同場所會所其外建家ヶ所書       壱冊
   但會所繪図面添
一同場所東西境幷壱里塚ヶ所書      壱冊
一同場所支配人共外名前書        壱冊
一同場所乙名小使名前幷家数人別書    壱冊
一同場所漁船其外調書          壱冊
一レフンケ場所小荷駄馬員数書      壱冊
一同場所急注進早馬番人土人名前書    壱冊
一同場所ヲムシヤ其外年中土人江為取品書 壱冊
一同場所孤獨幷極老土人名前書      壱冊
一同場所膃肭臍漁事取扱手續書      壱冊
一同場所膃肭臍漁事レバ乗組土人名前書  壱冊
一同場所軽物幷北蝦夷地廻小皮類土人ゟ
 買入書直段取調書           壱冊
一同場所去未年出産物積出高調書     壱冊
一同場所産物土人ゟ買入直段書      壱冊
一同場所土人共ト諸品賣渡直段書     壱冊
一同場所會所印鑑            壱冊
 右之通被成御引渡、奉請取候、以上
         御名家来
   申十月     小野寺傳八印」
*御請書写 万延元年十月 竪一冊
「  御請書
            去未年
一金八拾弐両弐分     運上金
    内訳
   金拾九両弐分
     是者、フレナイ領請負運上高金七拾五両之所、御料地御運上金御引
去相成候分
   金拾八両      ヱトモ
    是者、ヱトモ・モロラン請負運上高金弐拾弐両弐分之所、前同断
   金四拾四両     ホロヘツ
    但御分界相成候ニ付、請負證文者追而御引渡之積
           當申年分夏御取立
一金四拾壱両壱分     運上金
    内訳
   金九両三分     フレナイ
   金九両       ヱトモ
   金弐拾弐両弐分   ホロヘツ
  合金百弐拾三両三分
右者、美濃守為陣屋附被下候蝦夷地場所々々運上金、去未年分幷當申年御取
立之分共、書面之通被成御引渡、奉請取候、尤御分界相成、當時御伺中ニ付、
仮ニ被成御引渡、追而御差図御座候旨被仰渡、承知奉畏候、以上
 申      南部美濃守家来
十月      小野寺傳八印」
*御請書写 万延元年十月 竪一冊
「  御請書
一地所御引渡目録                壱冊
一同場所境界絵図                壱枚
一御演説書                   壱冊
一レフンケ場所東西境幷壱里塚ヶ所書       壱冊
一ヲシヤマンべゟ西地山道人足継立方ニ付請證文写 壱冊
一伐木之儀ニ付尋書写              壱冊
一シユフト川筋土人飯料漁事一件
熟談連印書面写                壱冊
一シツカリ繰込農夫家数・人別幷
新開反別調書                 壱冊
一風俗相改候土人江為取品書           壱冊
右之通被成御引渡、奉請取候、以上
         御名家来
一土人共撫育品御渡方請負人御請證文寫 壱冊
一場所繪図・境界繪図共        四枚
一地所御引渡目録           壱冊
右之通被成御引渡、奉請取候、以上
        御名家来
  申四月     伊東吉代見印
          宮澤貫兵衛印」
*御請書写 万延元年四月 竪一冊
ヱトモ領・ホロヘツ領の地所引渡し。「別紙境界繪図面之通」とあり。
*別段上納金仕訳書写 万延元年十月 竪一冊
*正金引渡目録写 万延元年十月 竪一冊
前掲の運上金請書に対応。河津以下四名の箱館支配向が発給。
*別段上納金請證文写 万延元年十月 竪一冊
フレナイ請負人は和田屋茂兵衛、モロラン・ホロヘツ請負人は恵比寿屋半
兵衛で、十月二十九日付箱館奉行所宛。
*諸書物返納目録写 万延元年十一月 竪一冊
「  諸書物返納目録
一ヲシヤマンヘ引渡目録         壱冊
一同會所番屋蔵々幷會所附建家ヶ所附   壱冊
  會所繪図面添
一同アフタ場所境之儀ニ付申合書写    壱冊
一同支配人・番人名前書         壱冊
一同乙名小使名前幷家数人別書      壱冊
一膃肭臍漁事手續書           壱冊
一ヲムシヤ幷五節句其外年中土人江
 為取品書               壱冊
一急注進早馬早走番人土人名前書     壱冊
一船々員数書              壱冊
一同軽物買入直段書           壱冊
一出産物買入金直段書          壱冊
一同土人江賣渡品直段書         壱冊
一去年中産物積出高調書         壱冊
一善光寺持観音堂地所書         壱冊
一ヲシヤマンべ川木流し賃銭       壱冊
一ヲシヤマンべゟクロマツナイ迄新道橋銭
 請取鑑札引替之儀ニ付請證文幷鑑札写  壱冊
右被下地上地被仰出候ニ付、返納仕候、以上
            南部美濃守内
 申十一月十八日      小野寺傳八」
*土人撫育方請負人共請證文写 安政三年二月 竪一冊
東西請負人惣代山田屋文右衛門・栖原六右衛門・伊達林右衛門より箱館奉
行所宛。三か条の「右被仰渡之趣、東西請負人共江不洩様可申達旨、承知奉
畏候」。
*地所引渡目録写 万延元年四月 竪一冊
ヱトモ領・ホロヘツ領の引渡。河津・鈴木の連名で発給。
*追演説書写 万延元年四月 竪一冊
ホロヘツ御備米の備蓄命令。河津・鈴木の連名。
*追演説書写 万延元年四月 竪一冊
「    追演説書
一モロラン・ヱトモ両領ニ相成候処、海岸幷澗内共、土人共漁事之儀者都而
入會ニ有之候
但出稼人も同断入會之積、尤荷物之儀者、一同取集積出候間、都而モ
ロラン詰役人相改候事
一土人撫育方之儀ニ付而者、會所支配人・通詞・番人等都而流用之積有之候
一土人撫育筋之儀者、領々ニ而取斗可申儀ニ候得共、是迄請負入用を以一同
江取纒、為差遣候品々者、立會之上為取斗候積、尤時宜次第臨機之取斗も
可有之事
一砂原渡海船之儀者、是迄之通モロラン詰役人相改候事
一是迄役々通行之節者、三賄ニ而七拾五文為請取来候処、引渡相濟候上者、
其所ニ付御用無之候節者、役々幷在住之向共、人馬者御定賃銭、賄代之儀
 申十月       加嶋 薪印
           高橋直之進印」
*御請書写 万延元年四月 竪一冊
非常御用意のホロヘツ御備米、七十二石余の請取。「追而國許ゟ廻米を以
箱館表ニおゐて上納可仕候」とある。
*御請書写 万延元年四月 竪一冊
「    御請書
一追御演説書             弐冊
者上弐百文、帯刀以上百五拾文、下百弐拾五文為相拂候事
一土人共給料渡方之儀、先達而演説いたし置候得共、右者去ル辰年請負人共
願之趣も有之、御直差配之廉厚相心得候上者、役々立會、直ニ為相渡候、
依之別紙請負人共請書写引渡申候
一ヱトモ・ホロヘツ共寺院無之、文化度以来ウス善光寺持場ニ有之候処、去
ル巳年持場之唱無之積申渡候得共、未タ別段寺院取建も無之候間、番人・
土人等埋葬所其外佛事之儀者、同寺ゟ相越、回向仕来候
一追々演説いたし候通候得共、尚難相分儀、其外臨時取斗方等差向候儀者、
モロラン詰調役江可承合候
右之通令演説候、以上
  申四月               河津三郎太郎印
                    鈴木尚太郎印」
*書物引渡目録写 万延元年四月 竪一冊
前掲請書に対応。河津・鈴木連名で発給。
⑭ 包紙入一括
包紙ウハ書「レブンゲ諸書物拾六通・繪圖一枚」。
*レフンケ場所會所繪図面 一鋪
*去未年レフンケ場所出産物積出高取調書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所軽物幷北蝦夷地廻小皮類土人ゟ買入直段取調書 万延元年十
月 竪一冊
*レフンケ場所膃肭臍漁事レバ乗組土人名前書 万延元年十月 竪一冊
*膃肭臍漁事取扱方手續書 万延元年十月 竪一冊
「一膃肭臍漁事方出精いたし候様可致、尤昔者澤山ニ取獲候得共、近年ゟ一
向無之、年々献上向差支之儀も侭有之候間、…精々心懸ヶ候様可致事
(中略)
右膃肭臍取獲差出候節、詰合立會之上、腹を去り塩ニ漬、箱入ニいたし、
即刻箱館江差出、タケリ者素干にいたし、乾立次第差出候間、是又箱館
江差立候
    但献上品柄ニ付、立會幷取獲扱之者共一同、汚穢を相改候事」
*レフンケ場所孤獨幷極老土人名前書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所急注進早馬乗早走番人・土人名前書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所ヲムシヤ其外年中土人江為取候品書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所漁船其外調書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所小荷駄馬員数書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所支配人其外名前書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ場所乙名・小使名前幷家数人別調書 万延元年十月 竪一冊
三十四軒・計百五十一名。
*レフンケ場所諸書物引渡目録写 万延元年十月 竪一冊
十七点書上。河津・井上・安間・向山・鈴木・橋本の連印で発給。
*レフンケ場所會所其外建家ヶ所書 但會所繪図面添 万延元年十月 竪一

*レフンケ場所出産物土人ゟ買入直段書 万延元年十月 竪一冊
*土人共江諸品賣渡方直段書 万延元年十月 竪一冊
*レフンケ會所印鑑写 万延元年十月 竪一冊
⑯ 御書 一通
 大膳から八戸弥六郎ほかへ。監物用向済につき。
⑰ 書翰 一束
 御内御用書付、書付類の束。内容は嫡子供連れ(十万石の嫡子は五万石の
供連れのところ、津軽嫡子が多かった云々)石川順仙→加嶋舎様宛、春日井
→加嶋様宛など。
⑱ 書翰 一束
 公儀御礼式の図など、江戸城中での作法に関して記したものなど。
⑲ 書翰 一束
 東勘解由・新渡戸丹波書翰、内容は同前の系統か。蝦夷地警衛と直接は関
係せず。
和2529 松前箱館雑記 竪全二十五冊
本所に謄写本二十五冊の架蔵あり(2041.16-2)。
*附録 北蝦夷地之部 上中下三冊 安政二年~同五年
(表紙)
「(題箋)『松前      北蝦夷地
  箱館雑記附録 之部  上』  」
山丹交易勘定の記事数点をふくむ。
(横山伊徳・保谷 徹・杉本史子・箱石 大・小野 将・佐藤雄介)


『東京大学史料編纂所報』第49号