東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本史料第三編之二十九

 本冊には、鳥羽天皇保安三年正月から四月までの史料を収めた。
 残存史料による制約から、主な事柄として数えうる事項は少ないが、法隆寺一切経書写の発願(三月二十三日第二条)、法勝寺小塔院供養(四月二十三日条)、白河法皇賀茂社御幸(四月十六日条)などがあり、学芸分野として、無動寺歌合(二月二十日条)、『六波羅蜜寺縁起』の撰述(三月十八日条)、藤原清衡が中尊寺に建立した一堂は紺紙金銀字交書一切経を納めるための経蔵とされる(四月十四日第一条、『平安遺文』二〇五九・六〇号参照)。法隆寺一切経については、承徳、永久、保安から大治六年頃にかけてと、段階的に書写事業が営まれており、法隆寺現蔵分は『法隆寺の至宝 昭和資財帳』七(小学館、一九九七年)に目録化され、年紀ある奥書は図版を掲載し、諸方に所蔵されている分をも含めて、宮﨑健司『日本古代の写経と社会』(塙書房、二〇〇六年)などの集成が試みられ、本冊では保安三年の年紀のある分をまとめて掲出し、他は各年の雑載・題跋に収めることとする。
 また恒例の行事として、叙位(正月六日条)、後七日御修法(正月八日条)、女叙位(正月十三日条)、除目(正月二十三日条)、朝覲行幸(二月十日条)、賭弓(三月二十五日条)などがあり、通例の史料に加えて関連記事の収載に努めた。公家日記の逸文探索の手がかりともなろう。
 本冊に事蹟を収めた者は、已講湛秀(正月十五日条)、祭主神祇伯大中臣親定(正月二十八日条)、中宮大進藤原尹通(四月二日条)、左大史小槻盛仲(四月五日条)、権大納言源顕通(四月八日条)、権大納言源雅俊(四月十二日条)、大乗院阿闍梨良雅(四月十四日の第二条)であり、全体でも大きな分量を占めた。
 湛秀は、真成房と号した興福寺の学僧で、凝然の法相宗相承の系譜に掲げられている。説法にも秀でており、諸方の法会に招かれ優美と賞せられた。出自は明らかでなく、浅臈とする大衆の訴えにより維摩会竪義の請を召し返される事件もあった。また往生にあたっての心得を説く『臨終行儀注記』の著者とされる(古写本での収録が叶わなかったが、高野山大学図書館寄託の仮名書き本を参考に校訂を加えた)。
 大中臣親定は、寛治五年(一〇八八)より三十二年の長きにわたって祭主の任にあった。天仁元年(一一〇八)の大嘗会に際して天神寿詞(あまつかみのよごと)奏上の賞により従三位に叙されたが、三位に昇ったのは曽祖父輔親以来である。輔親の営んだ岩出館を継承し、岩出祭主とも号した。その岩出には堂を建て、関連の文芸史料がある。祭主としての活動を示す史料を諸項目にわたるように収録した。藤波家文書研究会編『大中臣祭主藤波家の 歴史』(続群書類従完成会、一九九三年)も参照。
 藤原尹通は南家の出で、文章生・得業生として鳥羽天皇の東宮時代から蔵人となり、検非違使を兼ね、受領を歴任し中宮大進となった。安芸国司であった間に署判を加えた文書も残り、これまでにも指摘があるように、高田郡関連の文書群には正文であるか疑点は残るものの、何らかの根拠のあるものとみられる。
 小槻盛仲は、左大史祐俊の息で、左大史また五位に叙せられた大夫史として、記録・文書での所見も多い。官歴を示すものに加えて、具体的な先例を述べている勘申の記事などを中心に収録し、太政官符などの文書原本・案文は既刊冊にて未収のものを加えた。
 つづけて顕通・雅俊と、村上源氏の甥・叔父の関係にある二人の権大納言が薨去する。系図等で内容の重複があるものの、異なった史料を掲出するようにした。顕通は父雅実よりも早世し、実子雅通は弟雅定の養子となって家を継いでいる。公事に参仕し、白河院や中宮璋子に扈従する記事は多数あるが、とくに堀河天皇崩御の際に近似した様子を伝える史料を再録した。雅俊は長きにわたり公卿として宮廷にあったため所見も多く、主に第二編未刊部分や第三編未収記事を掲出した。また往生人とされ、京極(押小路)の邸宅に建てた九体阿弥陀堂は世に知られたもののようである。一方で俊寛の祖父として『平家物語』に芳しくない評も載る。
 良雅は真言宗小野流の僧侶で、鳥羽僧正範俊の弟子として、厳覚(保安二年閏五月八日寂、二十七冊参照)とは同日同壇で伝法灌頂を受けている。範俊は厳覚を嫡としたが、厳覚より御室へと勧修寺流の秘事が伝わることを案じ、大事は良雅へ伝授して、良雅より三宝院流の定海へ伝わったとも主張される。とくに太元帥法の相承では重要な位置にあり、鳥羽天皇即位に際して範俊の推挙により太元帥法の阿闍梨となっているが、その相承や入滅後の伝流について相論があり、全体像を伝える単独の明快な史料に欠くが、やや多めに諸史料から引載している。太元帥法に関する良雅の聖教は、地蔵院流の重書とされた台皮籠の中に収められるが、その目録や口決についても掲出した。
 本冊では、必ずしも十全な内容でない薨卒伝の連絡按文に貴重な紙幅を割くことになり、データベースの存在を前提とした出版物刊行へと修正が必要な段階に至っている。次年保安四年以降分における課題である。また『中右記』や儀式書などの公家史料については、田島公を代表者とする科学研究費にて蒐集した画像データを諸本校合に用いることが中心となり、インターネットを介して他機関からの公開画像を参照することも多く、書籍で提供すべき情報の質についても変化しつつあろう。
(目次四頁、本文四〇一頁、本体価格九、四〇〇円)
担当者田島公・藤原重雄


『東京大学史料編纂所報』第49号p.33-34