東京大学史料編纂所

10.佼成図書文書館所蔵史料の調査・撮影

二〇一二年四月二五日、佼成図書文書館(東京都杉並区)へ出張し、所蔵
史料を調査し、全巻ないし巻首・巻末のデジタル撮影を行った。御高配を
賜った館長長沼克宗氏、お世話頂いた清水道記氏ほか関係各位に篤く御礼申
し上げる。以下、簡単な書誌を掲げる。単位はセンチメートル。なお、萩原
寺旧蔵聖教と思しき分については、厚谷和雄より奥書等の釈文を提供され
た。
(全巻撮影)
【一二四二】愛染王法 (古一一四/貴一−六A)
※巻子一軸。千光寺本『覚禅鈔』の僚巻。『所報』四五号六一頁参照。前回
はブローニー・フィルムによる撮影で、今回はデジタルで再撮影。
【一四〇三】五秘蜜法 (古一一七/貴一−六A)
※巻子一軸。千光寺本『覚禅鈔』の僚巻。『所報』四六号七一頁参照。ただし、
端裏「□(五)秘密法 一交□(了)」と訂正。
【一一一九】国分寺表白 (古一一八/貴一−六A)
※巻子一軸。『所報』四六号七〇頁参照。貞慶作『舎利講式』(五段)。細部
の異同は略すが、山田昭全・清水宥聖編『貞慶講式集』一七頁10行目「竟莫
不彼思」より始まり、冒頭一紙を欠く。
【一一二〇】表白切 (古八二/貴一−五E)
※巻子一軸。箱蓋ウハ書「表白切 藤原時代」、蓋裏書「昭和四十二年七月
十一日、古香堂文庫主 飯塚文治郎(朱丸印)『飯塚/之印』」、小口貼紙「別
口第三十五号/藤原時代/表白切/長承□□/(朱長方印、ラベル貼附によ
り見えず)『古香□□□(堂文庫)』」。後補の表紙・軸付紙あり。後補表紙直
書「藤原時代/表白切」、ラベル「№35号」。本紙楮紙打紙、二紙。法量縦二
七・七×①二三・三、②一八・八。具注暦料紙の余白(界線のみで文字なし)
の紙背を用いる。具注暦の罫幅二・二、界高(上より計測)三・四、九・五、
一二・五、一五・七、二六・九。一字金輪御修法巻数(長承三年七月廿五日、
寬信)で、大正大蔵経本『覚禅鈔』五八四頁上・中段と同一内容。ただし、「裏
書云」として保延六年四月十四日内親王殿下御祈との異同注記がある。内
容・筆跡および具注暦の体裁(界幅約二・〇、界高二三・五と、高さに関し
ては一致)から、おそらくは天理図書館所蔵『〔文治五年具注暦〕』(湯浅吉
美「天理図書館蔵『文禄元年具注暦』調査報告─実は四百年遡る具注暦─」
〔『暦と天文の古代中世史』吉川弘文館、二〇〇九年〕)と一具であろう(『勧
修寺論輯』八、五二頁も参照)。
【一二六四】三十七尊三昧形 (古二三四/貴一−七B)
※巻子一軸。箱蓋ウハ書「三十七尊三昧形 南北朝時代」、蓋裏書「昭和三
十三年三月 古香堂主(朱方印)『飯塚/古香』」、小口貼紙「第一百十六号
/南北朝時代/三十七尊三昧形」、底貼紙墨印「古香堂文庫/飯塚文治郎」。
濃茶色表紙、後補貼題箋「三十七尊三昧形」、白書「保」、墨書「十二」とあ
り。軸あり。本紙楮紙打紙、九紙。法量、縦二六・五×横:表紙一八・〇、
①三七・二、②三七・八、③三七・九、④三七・八、⑤三七・八、⑥三七・
八、⑦三七・八、⑧三七・七、⑨三四・五(直に軸付)。本紙第一紙端裏「三
十七尊三昧形」。前欠で、円相内に菩薩名・種字・三昧形の墨画図像・名称
を記したものを、金剛手菩薩から金剛界如来の二二図を並べる。図は細部を
別紙に描き、切り抜いて貼り付ける。奥書「御本云、/至徳二年〈歳次/乙
丑〉六月廿一日辛亥〈婁宿/金曜〉於高野山一心院北谷/蓮花定院奉伝受畢、 
照海〈行年/四十二〉」。照海は『大日本史料』第六編之四五、三〇五頁およ
び同四八、二八五頁の聖教奥書に見える人物。『大正新修大蔵経』図像に書
物として同一のものは含まれていない。
【一四〇二】後加持真言 (古四八六/貴一−一〇A)
※巻子一軸。箱蓋ウハ書「後加持真言 鎌倉時代」、蓋裏書「昭和三十三年
三月 古香堂文庫(朱方印)『飯塚/古香』」、小口貼紙「第一百三十二号/
鎌倉時代/後加持真言/(朱方印)『古香/□□』」。紺色表紙、後補貼題箋「後
加持真言」、下端貼紙「九」。軸あり。本紙漉返紙、二二紙。法量、縦二九・
五×横:表紙一九・七、補紙七・五、①三・七(罫二行を引く白紙で空白部
分より切り取ってきたものか)、②五〇・七(本文書出し)、③五一・〇、④
五一・一、⑤五一・六、⑥五一・三、⑦五〇・六、⑧五一・二、⑨五一・一、
⑩五一・一、⑪五五・三、⑫四九・七、⑬五一・三、⑭五一・〇、⑮五一・
六、⑯五一・二、⑰五一・一、⑱五〇・八、⑲五一・二、⑳四六・一、㉑三
八・三、㉒三六・一、後補軸付紙四・八。天二地一の罫界線あり。罫幅標準
一・九。界高(上より計測)二・〇、三・八、二七・七。朱点あり。前欠で、
支度の中途(天治二年二月〔二十脱カ〕七日:大正大蔵経本『覚禅鈔』六五
五頁中段「聖天壇」の次行。同六三一頁中段も参照)より始まる。内容は法
華法次第で、曼荼羅図(文字中心)・壇図・敷曼荼羅図・字輪観などを含む。
末尾に巻数(天治二年三月廿五日:同六五〇頁中下段。六五五頁下段も参
照)。裏書なし。奥書「写本云、/文永十一年四月廿日、於神護寺慈尊院交
点了、 聖済/弘安五年七月十四日、於毘沙門谷奉伝受了、/同十五日、於
塔辻子、以聖済阿闍梨本書写了、/慈尊院本被求失故也、同夜於灯下交合了、
/同九年八月十九日、於毘沙門谷重奉伝受了、」。東寺観智院金剛蔵聖教『法
華護摩次第』(二六五箱一八号)に同じ本奥書があり、文保三年貞誉の書写
である。おそらく寛信の注進せるもの。
(巻首・巻末のみ撮影)
【一三九五】具支灌頂儀式 (古二〇二/貴一−七A)
※巻子一軸。箱蓋ウハ書「具支灌頂儀式 南北朝時代」、蓋裏書「昭和四十
二年七月十四日/古香堂文庫主人 飯塚文治郎(朱方印)『飯塚/古香』」、
小口貼紙「第一百六十二号/南北朝時代/具支灌頂儀式/(朱方印)『古香
/□□』」。箱中に旧軸木あり(合わせ軸)。後補表紙直書「具支灌頂儀式」、
本紙第一紙内題「具支灌頂儀式」。同じく第一紙裏に後掲の延文元年の奥書
を写す。本紙鳥の子紙、二〇紙。法量、縦二九・〇×横:表紙二一・七、①
五二・一、②五二・〇、③五一・七、④五一・九、⑤五一・八、⑥五一・八、
⑦五一・八、⑧五一・八、⑨五一・七、⑩五一・六、⑪五一・八、⑫五一・
五、⑬五一・七、⑭五一・五、⑮五一・七、⑯五一・七、⑰五一・六、⑱五
一・五、⑲五一・一、⑳四九・七、軸付補紙三四・〇。朱点あり。朱筆奥書
「御本記云、/平治元年十一月六日、於勝倶胝院書写畢、金剛仏子ゝゝ/
延( 元杲)命院僧都私記也、/弘安四年正月廿五日、於酉酉寺中正院、以覚( 親快)洞院法印
/御房御本令書写、自拭老眼移点畢、金剛資頼ー(瑜)/永仁六年四月廿二日、於
根来寺書写畢、/金剛仏子良殿〈生ゝ/卅五〉/元応元年後七月十一日、以
根来寺五〔智〕坊御本/以他筆書写了、 金剛仏子快承〈生ゝ/六十〉/延元々年
〈丙子〉五月九日、於高蔵寺、師主御本賜/令書写了、 金剛仏子宗恵〈生ゝ
/卅六〉」。
【一四二六】千手愛法 (古一三六/貴一−六A)
※巻子一軸。『所報』四六号七一頁参照。
【一四八四】法式次第書 (古一七三/貴一−六D)
※巻子一軸。箱蓋ウハ書「法式次第書 鎌倉時代」、蓋裏書「昭和四十二年
七月/古香堂文庫主人 飯塚文治郎(朱方印、印文不明)」、小口貼紙「第三
八七号/鎌倉時代/法式次第書/(朱長方印、ラベル貼附により見えず)『古
香□□□(堂文庫)』」。茶色表紙、後補貼題箋「法式次第書 弘安年号」。軸
あり。全体の八割程度に裏書あり。天二本地一本の罫界線あり。罫幅二・〇、
界高各一・三、二二・三。本紙楮紙打紙、一八紙。法量、縦二八・四×横:
表紙二二・〇、①四四・三、②四四・〇、③四四・二、④四四・二、⑤四四・
三、⑥四四・二、⑦四四・三、⑧四四・三、⑨四四・二、⑩四四・三、⑪四
四・四、⑫四四・二、⑬四四・三、⑭四四・三、⑮四四・三、⑯四四・四、
⑰四四・〇、⑱四三・八、後補軸付紙:一八・三。内容は灌頂次第で、安貞
二年(一二二八)四月二十三日に蓮蔵院法眼〈実深〉が遍智院にて修した際
の指図などを含み、同年四月十五日の職衆請定あり。奥書「寛元三年九月十
六日、於醍醐北尾宿房、以深沙御本書/写交合畢、 金剛仏子全成/右此書
上下両巻事、淡路阿闍梨〈成真〉以遍( 成賢)智院御口決所抄/也、治承記之口伝而
已、件闍梨者本遍智院御弟子、後ニハ報(憲深)/恩院御弟子也、/文保二年卯月九日、
以角寺修真房本書写交合畢、/求法弟子賢尓/于時正中二年〈乙丑〉十二月
十八日書写畢、頼ー尊/元弘二年〈庚申〉卯月廿七日、於四恩院以師主上人御
本書/写交合之畢、 末資慶弘/(異筆)「一交畢、」」。
(以下、萩原寺旧蔵聖教ならん。)
【一〇六〇】釈論 (古二九四−一~七/貴一−七E)
※綴葉装七冊。後補帙入り。帙表紙裏貼紙「第二百二十八号/足利時代/釈
論/(七部)/(朱長方印)『古香堂文庫』」。やや虫損あり。
(1)表紙直書外題「釈論第一聴鈔〈定〉/(右下)祐澄」。内題「釈論第
一聞書〈文中元年九月十四日 俊〉」。後闕、奥書なし。法量二五・六×一六・
〇。
(2)表紙直書外題「釈論第二聴抄〈定〉/(右下)祐澄」。内題「釈論第
二聴鈔〈建徳三年正月十六日夜/中性院御義談始之、〉俊」。奥書「于時宝徳
三年〈辛未、〉正月晦日、於根来寺大伝法院別院/文殊院之西部屋、令書写
之畢、日域無双之悪筆、実ニ/雖多憚、当稽古之間、不雪後恥移之者也、仍
後覧之/輩(梵字a)等之明一返可有廻向而已、 執筆澄祐〈生年/廿三
歳、〉」。法量二五・三×一六・二。
(3)表紙直書外題「釈論第三聴鈔〈定〉/(右下)祐澄」。内題「釈論第
三聞書〈私定〉 〈同二月七日初之、〉」。奥書「宝徳二年弥生之比、於起
〔紀〕州根来寺谷/新坊書了、雖有悪筆憚、佑当用闕、不顧後/見之嘲、為稽古写之
處也、比興々々、/永琳房〈生年/廿二、〉」。法量二五・七×一六・〇。
(4)表紙直書外題「釈論第五聴鈔〈定〉/(右下)祐澄」。内題「釈論第
五巻聞書〈文中元年十月十八日始之、〉」。尾題「釈論第五巻聴鈔」。奥書「御
本云/応永二年十月十八日清書之畢、是者定俊房/聞書草案ノ本ニテ書之
畢、文言文章狼藉也、/聖融〈生年/廿三、〉/宝徳二年八月上之八日、於
根来寺文殊院西部屋書之畢、/雖有悪筆憚、且当用依闕、且父母後生為成仏、
又三界六道/平等利益故也、願後見人光明真〔言脱カ〕廻向可有者也、比興々々、/右
筆永琳房〈生年/廿二、〉」。法量二五・五×一五・七。
(5)表紙直書外題「釈論第六聴鈔〈定〉/(右下)祐澄」。内題「釈論第
六聞書〈私〉 〈文中元年十月廿九日夜始之、〉」。奥書なし。法量二五・三×
一五・七。
(6)表紙直書外題「釈論第七聴鈔〈下〉/(右下)真宗房」。内題「釈論
第七聴抄下」。奥書「延徳四年三月四日、於根来寺五坊夏之報恩講、依為配
文伝写畢、願/以書写余薫、結助成之筆主同逆縁而已、 俊宣房〈二十/五
才、〉」。法量二五・〇×一五・九。
(7)表紙直書外題「釈論第八九十聴鈔〈定〉/(右下)祐澄」。内題「釈
摩訶衍論第八聴鈔〈文中元年十一月十三日初之、〉」。文末「釈論第十巻聴抄
畢」。奥書「宝徳三年初月六日申尅、於根来寺文殊院西部/屋書了、為是偏
利益衆生、或又当用也、後見学侶/為筆者可唱光明真言一反者歟、/右筆永
琳房〈生年/廿三、〉」。法量二五・四、一五・八。
【一三一二~一四】伝受口筆 (古二九六-一~三/貴一-七E)
※綴葉装三冊。後補帙入り。帙表紙裏貼紙「第二百五十一号/足利時代/一、
伝受口筆/一、菩提心論愚草/一、般若心経秘鍵愚草/(朱長方印)『古香
堂文庫』」。
(1)表紙直書外題「伝受口筆〈西院/五度〉/(右下)慶恵」。内題「十
八道念誦次第〈西院〉至徳元年〈甲子、〉霜月十二日始之、」。奥書「享徳四
年〈乙亥、〉五月十七日、於地蔵寺書写了、/  第三住 仏子慶恵〈四十
/四才、〉」。法量二六・〇×一六・四。押界あり。
(2)表紙直書外題「菩提心論愚草第二/(右下)勢尊」。内題「菩提心論
愚草第二」。奥書「文明十一年〈己亥、〉十月廿二日、於紀州根来寺石曳孝任
坊跡、/雖為悪筆、当用闕候間令書写畢、/是偏為先師良尊聖霊証大也、
後見輩/五字明一返可有廻向者也、 仮名 勢尊/実名 慶祐」。法量二四・
八×一六・〇。
(3)表紙直書外題「般若心経秘鍵愚草〈上〉/(右下)勢尊」。内題未確認。
奥書「本云/建治三年七月四日記畢、伝法会談義之次、逐日馳筆多〔了カ〕、/文章
狼藉、義理踈簡歟、俟〔後脱カ〕賢刊〔刪〕定而已、 金剛仏子頼厳〈生年/五十二云々、〉/
(改丁)于時文明十四年卯月十九日、於根来寺、於石曳良泉坊仁/書写畢、
是偏未来弘通、為別〔利〕益衆生也、/  金剛仏子勢尊」。法量二五・四×一六・
一。
【一三二七~二九】百法聞書 (古二九二−一~三/貴一−七E)
※綴葉装七冊。後補帙入り。帙表紙裏貼紙「第二百十二号/足利時代/百法
聞書/(朱長方印)『古香堂文庫』」。
(1)表紙直書外題「百法聞書第一二/(右下)秀円房」、別筆で中央に「文
亀三年於根来寺心住院書之、」。内題「百法問答聞書第一」。後闕。法量二五・
三×一六・三。
(2)表紙直書外題「百法問答〈第二〉/(右下)勢尊」。内題・奥書なし。
法量二五・一×一六・五。
(3)表紙直書外題「百□第四/(右下)秀円房」。内題なし。奥書「文亀
三年卯月廿日、於根来寺中小路窪之坊書写畢、/ 讃州秀円房」。法量二五・
五×一六・四。押界あり。
以下は(3)としてまとめられているもののうち。
〔4〕表紙直書外題「百法問答〈第四〉/勢尊」。内題・奥書なし。法量二五・
一×一六・二。
〔5〕表紙直書外題「百法第六/(右下)秀円房」。内題なし。尾題「百法
問答鈔第六」。奥書なし。法量二五・五×一六・二。押界あり。
〔6〕表紙直書外題「百法第七/(右下)秀円房」。内題・奥書なし。法量
二五・四×一六・二。押界あり。後欠か。
〔7〕表紙直書外題「百法第九/(右下)秀円房」。内題なし。尾題「百法
問答鈔第九」。奥書「文亀三天五月廿三日、中小路窪之坊、於下之間遍(マゝ)屋書
写畢、為/平等別〔利〕益也、讃州秀円房」。法量二五・五×一六・三。押界あり。
(菊地大樹・谷 昭佳・高山さやか・藤原重雄)


『東京大学史料編纂所報』第48号