東京大学史料編纂所

2. 秋田県内所在史料の調査・撮影

二〇一二年三月五日から八日にかけ秋田県内に出張し、同県内所在の史料
について調査・撮影をおこなった。秋田県公文書館ではすでに『秋田藩家蔵
文書』全冊の撮影を終えているが、今年度は同書に写が収録されている文書
のうち、現在公文書館が所蔵する原文書を中心に撮影した。
岩屋家文書もまた『秋田藩家蔵文書』に写が収録されているが、いくつか
の冊に分散して収められていることもあり、それらの原本は秋田藩による修
史事業を考えるうえで貴重な史料となりうる(詳しくは金子拓『記憶の歴史
学』参照)。二〇〇七年度に一度マイクロカメラにて撮影をおこなったが、
今回デジタルカメラにて再撮影した。また、婚姻などを介して岩屋家に入っ
たと思われる幕内家の文書も今回撮影した。
仁賀保家文書は出羽由利郡の国人仁賀保氏に伝来した文書である。現在に
かほ市所蔵。仁賀保家は幕府旗本として慶長七年に一時常陸国に移される
が、元和年間に旧領仁賀保に一万石を給され、幕末に至っている。
①秋田県公文書館所蔵史料(【 】内は秋田藩家蔵文書収録冊次)
○大窪文書
 佐竹義宣官途状 天正一七年霜月一八日 【四】
 南義種名字状 天正一五年六月九日 【四】
 東義喬書状 元亀二年六月一六日 【四】
 東義喬書状 九月三日 【四】
 和田昭為書状 六月二六日 【四】
 石川昭光書状 二月一〇日 【四】
 道堅(石川昭光)書状 九月三日 【四】
 東義喬知行宛行状 永禄一二年一二月七日 【三一】
 東義賢知行宛行状 慶長一六年八月八日 【三一】
 南義安一字状 享保九年閏四月二〇日 【三一】
 南義以一字状 明和四年一〇月一四日 【三一】
○佐藤家文書
 佐竹義重書状(佐藤雅楽允宛) 閏極月朔日 【二四】
 佐竹義重書状(佐藤太隅守宛) 一〇月二一日 【二四】
 佐竹義重書状(梅江斎宛) 九月一〇日 【二四】
 佐竹義宣書状(佐藤太隅守宛) (天正一八年)八月一三日 【二四】
 明徹(岩城重隆)黒印状(佐藤大隅守宛) 永禄一二年六月一〇日 【二四】
 岩城常隆判物(佐藤大隅守宛) 天正一五年終月一四日 【二四】
 岩城常隆判物(佐藤太隅守宛) 天正一五年師走一四日 【二四】
 岩城常隆書状(佐藤雅楽允宛) 一二月二九日 【二四】
 伊達輝宗判物(佐藤大隅守宛) 天正四年一二月二三日 【二四】
 佐竹義隆書状(佐藤源右衛門尉宛) 七月二〇日 【三五】
 岩城常隆書状(佐藤雅楽允宛) (年月日なし) 【三五】
 岩城常隆書状(佐太宛) (年月日なし) 【三五】
 岩城常隆書状(佐太宛) (年月日なし) 【三五】
 岩城常隆書状(佐太・同雅楽宛) 八月一二日 【三五】
 岩城常隆書状(閑斎宛) 天正一二年一二月二四日 【三五】
 岩城常隆書状(大すミうち宛) 極月五日 【三五】
 岩城貞隆覚書 一二月二三日 【三五】
 岩城貞隆書状(佐藤太隅宛) 霜月二日 【三五】
 岩城貞隆書状(佐藤太隅守宛) (慶長七年)一〇月六日 【三五】
 岩城貞隆黒印状(佐藤雅楽允宛) 慶長一五年四月一一日 【三五】
 岩城貞隆判物(佐藤雅楽允宛) 慶長一六年三月一六日 【三五】
 岩城貞隆朱印状(太隅宛) 慶長一二年八月七日 【三五】
 岩城貞隆書状(雅楽允宛) 閏二月二九日 【三五】
 岩城貞隆書状(佐雅楽允他宛) 一二月一五日 【三五】
 岩城貞隆書状(佐源右衛門宛) 一二月九日 【三五】
 岩城貞隆書状(佐藤源右衛門宛) 八月二七日 【三五】
 岩城貞隆書状(佐藤太隅宛) (慶長元年)七月二四日 【三五】
 北義憲知行宛行状(佐藤大隅守宛) 文禄五年四月二三日 【三五】
 北義憲知行宛行状(佐藤大隅守宛) 文禄五年卯月二三日 【三五】
○平沢尚忠氏所蔵文書
 佐竹義重起請文 永禄七年八月九日
 佐竹義重判物 同右
○秋田県公文書館所蔵文書(郷土資料)
 佐竹義隆知行宛行状 慶安四年一二月二三日 【三八】
○秋田県公文書館所蔵文書(佐竹文庫)
 斯波某知行宛行状 応安八年四月一日
 蘆雪斎意汲判物(大窪右典厩宛) 天正一六年一〇月吉日 【四三】
 佐竹義重官途状(大窪右馬助宛) 一二月九日 【四三】
 佐竹義宣書状(蘆名主計宛) (慶長一九年)二月九日 【三七】
 多賀谷重経書状 一二月九日 【三〇】
 梅津憲忠書状(小場小伝次宛) 八月一三日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 五月一五日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 一二月一五日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 六月二七日
 梅津憲忠書状(小場小伝次宛) 七月七日
 梅津憲忠書状(小場小伝次宛) 四月一五日
 梅津憲忠書状(小場小伝次宛) 四月一九日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 二月二九日
 梅津憲忠書状(小場小伝次宛) 四月二八日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 五月七日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 五月一九日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 一一月二八日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 一〇月九日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 一二月九日
 梅津憲忠書状(小場源左衛門宛) 九月一六日
 佐竹義処書状(御おくかた宛) 年月日なし
 佐竹義重感状写(佐藤雅楽丞宛) 八月八日
 佐竹義宣官途状写(川崎善左衛門宛) 天正一七年四月二三日
 佐竹義久感状写(河崎善左衛門宛) 天正一七年一一月六日
 佐竹義久感状写(河崎善左衛門宛) 天正一七年一一月七日
 佐竹義久感状写(河崎善左衛門宛) 天正一七年一一月八日
 佐竹義隆書状(梅津半右衛門宛) 二月二〇日
 古代書付写(桜田喜兵衛提出) 一巻
 雑書上(御記録所中村光得が家譜編纂過程で収集した文書の写) 一冊
○岩屋家文書
細目は所報四三号参照。
○幕内家文書
 岩城貞隆所領宛行状 (慶長五年カ)九月二七日 【四八】
 岩城貞隆書状 九月五日 【四八】
 岩城貞隆書状(追而書) 九月一七日 【五三】
 佐竹義宣青印状 慶長一九年九月二七日 【五三】
○仁賀保家文書資料(久津見茂美氏旧蔵)
 豊臣秀吉朱印状(仁賀保兵庫助宛) 天正一八年一二月二四日
 豊臣秀吉知行目録(同右) 天正一八年一二月二四日
 豊臣秀吉朱印状(祢井五郎右衛門尉宛)天正一八年一二月二四日
 豊臣秀吉朱印状(打越宮内少輔宛) 天正一八年一二月二四日
 豊臣秀吉知行目録(同右) 天正一八年一二月二四日
 豊臣秀吉朱印状(由利五人宛) 文禄五年三月二六日
 豊臣秀吉朱印状(仁賀保兵庫助殿) 一二月二五日
 徳川家光黒印状(仁賀保蔵人宛) 五月四日
 徳川家康朱印状(仁賀保兵庫頭宛) (慶長五年)五月三日
 徳川家康黒印状(仁賀部兵庫頭・小介川孫次郎宛)(慶長五年)七月七日
 徳川家康黒印状(仁賀保兵庫頭宛) 五月一六日
 徳川家康朱印状(仁賀保兵庫頭宛) 一二月二五日
 徳川家康黒印状(仁賀保兵庫助宛) 一一月二四日
 徳川家光黒印状(仁加保蔵人宛) 一二月二八日
 徳川家康朱印状(小介川孫次郎・仁賀保兵庫頭宛)
  (慶長五年)六月一〇日
 徳川家康書状(仁賀保兵庫頭宛) (慶長五年)八月二一日
 仁賀保家系図
 仁賀保挙誠知行書付(寅之助・竹千代丸宛) 元和二年三月一六日
 同右(竹千代丸母宛) 同右
 同右(内膳・内記宛) 元和九年七月一九日
 同右(同右) 元和九年一一月八日
 同右(青山伯耆守他宛) 同右
 来国俊預状 元和九年一〇月一三日
 仁賀保内膳・内記願書案 寛永三年閏四月二日
 知行目録(仁賀保蔵人宛) 寛永三年一二月晦日
 知行目録写 正保二年六月
 知行目録写(内記分) 年未詳
 籏指物出シ幕馬印船印合印 一冊
 長谷川家略系譜(寛政五年) 一冊
 仁賀保家系譜 一冊
 仁賀保家(誠次)系譜 一冊
 由利十二頭記(寛政元年写) 一冊
 山根館碑銘并序 一綴
 古来之覚書(慶長期の仁賀保家に関する覚書) 六通
 羽州由利十二頭記附由利郡惣高掟帳(天明二年写) 一冊
 御法名其外覚書 一冊
 仁賀保孫九郎由緒書 一冊
 仁賀保誠成覚書 一冊
 打越氏系図 一巻
研究の主旨をご理解いただき、所蔵史料調査・撮影の許可を与えられ、
種々便宜をお図りいただいた秋田県公文書館・同館加藤昌宏氏、岩屋朝徳氏、
にかほ市教育委員会、同市象潟郷土資料館齋藤一樹氏・土田秀喜氏に感謝申
し上げる。
(及川 亘・金子 拓・黒嶋 敏・高橋典幸)


『東京大学史料編纂所報』第47号