大日本古文書 家わけ第十九 醍醐寺文書之十五

本冊には、前冊に引き続いて、醍醐寺文書(醍醐寺所蔵)の第二十一函六十一号から第二十三函六十三号に相当する文書を、整理番号の順に収めた。本冊における文書番号は第三三三二号から第三六〇七号までである。
 本冊所収文書の年代は、南北朝・室町時代のものが大半を占めているが、一部は鎌倉時代もしくは江戸時代に及ぶ。また、案文ではあるが、内容としては平安時代のものも含まれている(第三三九六号「権大僧都禅仁宝物進上状案」)。
 第二十一函に相当する文書は、南北朝時代の所領・所職関係の文書、法流相承関係の文書を中心とし、そのほか後七日御修法関係の文書などからなる。第三三四四号・第三三四五号は尾張熱田社座主職および座主領関係、第三三六一号~第三三六三号は美濃帷荘関係、第三三六七~第三三六九号および第三三七~第三三七五号は鎌倉明王院別当職およびその替地としての飛騨広瀬郷の関係文書である。
 第二十二函に相当する文書は、南北朝・室町時代の書状類を中心とし、内容は多岐にわたっている。第三四〇七号・第三四〇八号は、鎌倉時代の筑後高良荘をめぐる相論文書、第三四三一号~第三四三六号は満済の書状、第三四七四号~第三四八〇号は天文三年の頼瑜への僧正贈官をめぐる大伝法院僧の書状、第三五二二号~第三五三八号は室町時代の文安年間前後と推測される等持寺八講関係の書状である。
 第二十三函に相当する文書は、鎌倉・南北朝・室町時代の所領関係の文書を中心とする。なかでも、第三六〇七号「伊勢泊浦小里村訴訟文書案」は、南北朝時代の三宝院領泊浦をめぐる悪党事件の関連文書三十三通を書き上げたものであり、正文の存在が知られずこの文書案のみに収められるものが多く、注目される。
 なお、第二十三函は未了であり、次冊へ続くものである。
(例言三頁、目次三一頁、本文三四七頁、花押・印章一覧六丁、本体価格九、三〇〇円)
担当者 高橋慎一朗

『東京大学史料編纂所報』第47号 p.41