東京大学史料編纂所

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刊行物紹介

大日本史料 第五編之三十四

 本冊には、後深草天皇の建長二年(一二五〇)十一月から十二月までと年末雑載に関する史料を収録した。
 前冊の八月二十七日条に、鎌倉幕府執権北条時頼の妻の妊娠により祈精が行われた記事が見えたが、本冊に入って、時頼が妻の平産のために祈祷を行った記事が、十二月五日条、八日条、十八日条に見える。また着帯に関する記事は十二月十三日条に見える。この際の加持を修したのは鶴岡八幡宮寺別当隆弁であったが、隆弁は園城寺の興行と龍華会の執行のために九月四日に上洛していた(前冊の同日条)。その龍華会の記事は本冊に入って十一月五日条に見え、また十二月五日条には、時頼が妻の着帯の加持を隆弁に修させるために使を京に送った記事が見える。隆弁の上洛に関しては「隆弁法印西上記」と呼ばれる史料が遺っており、前冊の九月四日条や本冊の十一月五日条でも用いているが、同記は隆弁が龍華会の後に鎌倉に下る路次に関しても詳しい記事を遺しているので、十二月五日条の隆弁の鎌倉帰還に掛けて附収した。時頼の妻の平産を祈る記事が頻繁に見える一方で、すでに時頼の子(後の時輔)を産んでいた三河局は他所に移った(十二月二十三日の第三条)。時頼の妻が産むことになる子が時宗であるが、時宗の出生に関する記事は建長三年五月十五日の条に収めることになる。
 寛元四年(一二四六)の時頼の執権就任に前後する政変により失脚した入道前摂政藤原道家は、建長二年十一月に惣処分を行った。長大な惣処分状は三五頁に亘り、さらに個別の譲状二通が付随する。惣処分状は大きく「寺院」と「家地文書庄薗事」の二つの項目に分かれる。「寺院」の項目ではまず東福寺を掲げ、その伽藍堂宇と本尊、供僧以下の人員、寺領、末寺を列挙する。ついで惣社成就宮の社屋と社領・神人寄人、阿弥陀堂最勝金剛院の堂宇・本尊とその検校以下の人員・院領(および八条禅尼寄進領)、円堂宝光院の堂宇と本尊・供僧が掲げられるが、これらは東福寺と一括して扱われている。次に観音堂普門院の堂宇と本尊、報恩院の堂宇と本尊、供僧以下の人員、院領、光明峯寺の堂宇と本尊、寺領が掲げられて「寺院」の項目が終わる。「家地文書庄薗事」の項目は、宣仁門院(道家孫、教実女)、近衛北政所(道家女)、九条禅尼(教実室)、尚侍殿(道家女)の順にそれぞれに配分する家地・所領が列挙され、ここまでは料紙を改めずに書き続けられているが、尚侍殿分の後は奥に余白を残して料紙を改め、前摂政(実経、道家男)、右大臣(忠家、道家孫、教実男)、姫君分についてはそれぞれ料紙を改めて、配分する家地・所領を列記している。以上が「家地文書庄薗事」に相当する部分で、その後に「以前条々」から始まる識語が記されるが、識語は料紙の端に相当の余白をあけて書き始められ、かつ「家地文書庄薗事」の最後の項目である姫君分の最後の一行が、識語を記した料紙との継目にかけて書かれている。識語の奥にさらに「予依手振、仮他筆、守此状、努力々々不可違犯/建長二年十一月日愚老(花押)」と記されている。ここに配分状本文が道家の自筆ではなく他筆であると記されているが、現状の表装では配分状の冒頭に置かれている別紙には「執筆仁基法印」と記されている。仁基は持明院基宗の孫、法印宗全の子で(第十冊四九三頁、嘉禎元年雑載、婚姻、疾病、生死の条)、寛元元年(一二四三)十二月六日に道家の子法助が仁和寺観音院において道深法親王より伝法灌頂を受けた際には、兄の信遍とともに讃衆を勤めている(第十七冊一二・一六・二五頁、同日条)。惣処分状とは別に、右大臣(忠家)宛てと九条禅尼宛ての個別の譲状が遺されている。本文は惣処分状の該当部分とほとんど同じで、惣処分状と共通する本文の奥に「建長二年十一月日」の日付と「沙門(花押)」(道家)、「比丘尼(花押)」(道家室藤原掄子)の署判を加えた形で譲状が作成されている。右大臣(忠家)分については惣処分状の中でも料紙が前後と区分されているが、九条禅尼分について惣処分状の中では料紙が分けられず、前後の記述と連続している。二通遺されている譲状のうち九条禅尼分は案文であるが、右大臣(忠家)分は正文であり、筆跡を惣処分状と比較すると同筆と認められる。
 十二月二日の第一条には、粉河寺領紀伊丹生屋村と高野山領同国名手荘との境界相論を裁定する官宣旨を収めた。この相論については宝治二年(一二四八)九月六日に記録所勘状が作成されており(第二十六冊所収の同日の第二条)、官宣旨は記録所勘状を受けたものであるが、記録所勘状が作成されてからそれを受けた官宣旨が発給されるまでに二年余の歳月が流れたことになる。
 本冊に伝記史料を収めた者としては、大納言兼右近衛大将正二位源通忠(十一月二十四日の第二条)、前参議正二位藤原公頼(同日の第三条)、豐受大神宮禰宜正四位上度會行茂(十一月二十九日の第二条)、非参議従三位藤原実躬(十二月是月の第二条)がいる。なお前冊に前周防守従五位下塩谷親朝の卒去に関する記事と伝記史料を収めた(十月十四日条)が、本冊には、親朝の郎従等が若宮大路において騒動し、幕府が宇都宮泰綱に鎮定させた記事が見える(十一月十一日条)。
 年末雑載は、神社、仏寺、公家、諸家、疾病・生死、学芸、荘園・所領、検注、年貢・公事、寄進、相博、譲与・処分、去渡、売買・流質、文書目録、雑の各条に分けて関係する史料を収録した。
(目次八頁、本文三九一頁、本体価格九、一〇〇円)
担当者 近藤成一・本郷和人・西田友広


『東京大学史料編纂所報』第46号p.37-38