東京大学史料編纂所

77.イェール大学バイネキ稀覯書図書館所蔵日本文書コレクション調査

二○○九年三月に、イェール大学(Yale University)に出張した折、三月二三日~二五日、同大学バイネキ稀覯書図書館(Beinecke Rear Book and Manuscripts Library)において、昨年度に続き、日本文書コレクション(Japanese Manuscript Collection: Japanese MSS)の調査を行った。朝河貫一蒐集史料であるJapanese MMSについては、『東京大学史料編纂所報』四三号(二○○八年一○月)の「イェール大学バイネキ稀覯書図書館所蔵日本文書コレクション調査」(一一三~一二七頁)を参照されたい。
○Japanese Manuscript Collection-2
4 満済准后日記 Japanese MSS D4 Manzaizhugonikki 洋装本 五冊
 袋綴装用に仮綴じされていた和本一五冊分を、数冊分ずつ、天辺・地辺・ノドを調整切除して、五冊の洋装本に装訂す。国文学研究資料館編目録に、「(写・刊)写、(冊数)5冊、(刊写年時)」(四三頁)とあり。
(1)第一冊 Japanese MSS D4-1           洋装本 一冊
 袋綴装用に仮綴じされていた第一冊~第三冊を、合綴し洋装本とする。縦二七・一㎝、横一八・八㎝(横は表紙の地辺の長さ。以下の各冊同じ)。写本(以下の各冊同じ)。濃茶色クロース装(以下の各冊同じ)。新補背表紙題「満濟准后日記 〈起應永三十年正月/盡同三十二年十二月〉一-三」。新補表紙見返しに蔵書票(ヘッダー:’YALE UNIVERSITY/ LIBRARY’。以下同じ)に鉛筆書’Beinecke Library / Japanese / MSS / D4 / 1-3’(/は改行を示す)、ペン書’1907’ あり。表裏の新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙(表裏空)をおく(以下の各冊同じ)。さらに、巻首の洋紙の遊紙の次に、和紙の遊紙(表裏空)二丁をおき、巻末の洋紙の遊紙の前に和紙の遊紙(表裏空)を一丁おく。
①原袋綴装第一冊
 縦二六・六㎝、横一八・五㎝(以下の各冊同じ)。明治一九年謄写(本文第二丁書写奥書参照。以下の各冊同じ)。目録及び巻一を収む。仮綴装の総紙数五九枚。仮表紙一丁、扉一丁、本文五六丁、巻末遊紙一丁(空)、楮紙(以下、同じ)。仮表紙は、天の中央に旧蔵書票の剥がし残りあり(蔵書票天辺裏に糊)。旧蔵書票に、タイプで’Man-Zai zhu・go niki’とあり、それを鉛筆で抹消。巻首洋紙遊紙裏に、仮表紙表に貼られていた旧蔵書票の影(縦三・五糎、横五・二糎)が残る。ただし、洋紙遊紙の次の和紙遊紙には旧蔵書票の影が写っていない。したがって、巻首洋紙遊紙裏と旧蔵書票が貼られている仮表紙表が接していた時期があること、巻首の和紙遊紙は洋装本に改装される最終段階に挿入されたものであることがわかる。実際、和紙遊紙は、仮表紙・扉及び本文の和紙料紙とは紙質が異なることが、肉眼観察でもわかる。仮表紙に打付書で題「満濟准后日記〈起應永三十年正月/盡    十二月〉一」あり。仮表紙表の右下に、鉛筆書’Beinecke / Library / Japanese / MSS / D4 / 1-5’(5は数字を消したあとに上書き)あり。題の上方に鉛筆書き「Mansai」あり。扉表に題「満濟准后日記 一」あり。扉裏は空。
 本文第一丁表~第二丁表に、次の目録あり。
満濟准后日記  原三十七巻 拾五本
   目録
  第一本  第一巻  〈起應永三十年正月/盡同    十二月〉
  第二本  第二巻  〈起同三十一年正月/盡同    六月〉
       第三巻  〈起同    七月/盡同   十二月〉
  第三本  第四巻  〈起同三十二年正月/盡同    正月〉
       第五巻  〈起同    十月/盡同   十二月〉
第四本  第六巻  〈起同三十三年正月/盡同    六月〉
       第七巻  〈起同    七月/盡同   十二月〉
  第五本  第八巻  〈起同三十四年正月/盡同    三月〉
       第九巻  〈起同    四月/盡同    八月〉
       第十巻  〈起同    九月/盡同   十二月〉
  第六本  第十一巻 〈起正長元年 正月《應永三十五年/四月改元》/盡同   三月〉
  (以下、第一丁裏)
       第十二巻 〈起正長元年 四月/盡同    六月〉
       第十三巻 〈起同    七月/盡同    十月〉
  第七本  第十四巻 〈起永享元年 正月《正長二年/九月改元》/盡同    三月〉
       第十五巻 〈起同    四月/盡同    四月〉
       第十六巻 〈起同    十月/盡同   十二月〉
  第八本  第十七巻 〈起同二年  正月/盡同    三月〉
       第十八巻 〈起同    四月/盡同    六月〉
  第九本  第十九巻 〈起同    七月/盡同    九月〉
       第二十巻 〈起同    十月/盡同   十二月〉
  第十本  第二十一巻〈起同三年  正月/盡同    三月〉
       第二十二巻〈起同    四月/盡同    六月〉
  第十一本 第二十三巻〈起同    七月/盡同    九月〉
       第二十四巻〈起同    十月/盡同   十二月〉
  (以下、第二丁表)
第十二本 第二十五巻〈起同四年  正月/盡同    三月〉
  第十三本 第二十六巻〈起同    四月/盡同    九月〉
       第二十七巻〈起同    十月/盡同   十二月〉
  第十四本 第二十八巻〈起同五年  正月/盡同    三月〉
       第二十九巻〈起同    四月/盡同    六月〉
  第十五本 第三十巻 〈起同    七月/盡同    九月〉
       第三十一巻〈起同    十月/(追筆)「盡同   十二月」〉
        (行間細字補書)
       (朱書)「已下朱書ノ分謄寫未完」
       (墨書)「永享五年十月マテハ地誌課ノ謄写ニ係ル十一月以後
        ハ明治廿八年三月史誌編纂掛残務ニ於テ補写ス」
       (朱書)「第三十二巻 同六月春」
       第三十三巻 同  夏
       第三十四巻 同  秋
       第三十五巻 同  冬
       第三十六巻 同七年春
       第三十七巻 同  夏」
  (以下、第二丁裏)
  (左端)右満濟准后日記十五本謀其年次検閲之使姑従
      現存本作目録猶竢他日謄寫完全宜再訂之也
        明治丙戌(十九年)三月   地誌課
 本文第三丁表、書出し「應永卅年癸卯/   正月」。本文は、半丁一○行、一行二二字(以下の各巻、同じ)。本文中に、朱句点、朱校正注(謄写の際に読み取れなかった字句の朱注を含む)あり。第四二丁の五月廿七日条に朱書貼紙「上文.馬場作薄馬場」あり。本文第五六丁の次に巻末遊紙一丁あり。
②原袋綴装第二冊
 巻二及び巻三を収む。仮綴装の総紙数七二丁。仮表紙、一丁。巻二、四○丁。巻三、三○丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起應永三十一年正月/盡    十二月〉二」あり。仮表紙見返しは空。本文に朱校正注あり。
1 巻二
扉一丁、本文三九丁(巻末遊紙ナシ)。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅一年正月ヨリ/六月ニ至ル〉二」。扉裏空。本文第一丁書出し「應永卅一年」。第一四丁表に朱書貼紙「金院上文作金院或/仝院」あり。
2 巻三
扉一丁、本文二九丁。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅一年七月ヨリ/十二月ニ至ル〉三」。扉裏空。本文第一丁書出し「應永卅一年」。第一四丁表に朱書貼紙「金院上文作金院或/仝院」あり。
③原袋綴装第三冊
 巻四及び巻五を収む。仮綴装の総紙数七九丁。仮表紙一丁。巻四、三六丁。巻五、三三丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起應永三十二年正月/盡    十二月〉三」あり。本文に朱句点・朱校正注あり。
1 巻四
扉一丁、本文五三丁。仮表紙見返しは空。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅二年/正月ヨリ九月ニ至ル〉四」。本文第一丁書出し「應永卅二年」。
2 巻五
中扉一丁、本文二二丁。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅二年十月ヨリ/十二月ニ至ル〉五」。扉裏空。本文第一丁書出し「應永卅三年」。朱校正注あり。
(2)第二冊 Japanese MSS D4-2           洋装本 一冊
袋綴装用に仮綴じされていた第四冊~第六冊を、合綴し洋装本とする。縦二七・一㎝、横一九・○㎝。新補背表紙題「満濟准后日記 〈起應永三十三年正月/至正長元年十月〉四-六」。背表紙の裏打ち紙には、英語表記を伴う「株式会社東京芝浦製作所」の名の見える紙が使用されている。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書’Beinecke Library / Japanese / MSS / D4 / 4-6’(/は改行を示す)、ペン書’1907’ あり。表裏の新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙(表裏空)をおく。
④原袋綴装第四冊
 巻六及び巻七を収む。仮綴装の総紙数九二枚。仮表紙一丁。巻六、四六丁。巻七、四四丁。巻末遊紙一丁(表裏共に汚れなし)。仮表紙は、天の中央に旧蔵書票の剥がし残りあり。巻首洋紙遊紙裏に、仮表紙表に貼られていた旧蔵書票の影(縦三・六糎、横四・九糎)が残る。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起應永三十三年正月/盡    十二月〉四」あり。仮表紙表の右下に、鉛筆書’Beinecke / Library / Japanese / MSS / D4 / 4-1’あり。題の上方に鉛筆書き「Mansai」あり。本文に朱校正注あり。
6 巻六
扉一丁、本文四五丁。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅三年正月ヨリ/六月ニ至ル〉六」あり。扉裏は空。本文第一丁表、書出し「應永卅三年/正月」。
2 巻七
扉一丁、本文四三丁。現状は、巻首に乱丁ありて、本文第一丁の次に扉を配す。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅三年/七月ヨリ十二月ニ至ル〉 七」。扉裏空。本文第一丁書出し「應永卅三年/七月。朱校正注あり。
⑤原袋綴装第五冊
 巻八、巻九及び巻十を収む。仮綴装の総紙数一一六枚。仮表紙一丁。巻八、四五丁。巻九、三五丁。巻十、三五丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起應永三十四年正月/盡    十二月〉五」あり。本文に朱校正注あり。
1 巻八
扉一丁、本文四四丁。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅四年/正月ヨリ三月ニ/至ル〉八」あり。扉裏に応永三十四年の月の大小の注記あり。本文第一丁表、書出し「應永卅四〈丁/未〉年/正月」。
2 巻九
扉一丁、本文三四丁。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅四年/四月ヨリ八月/ニ至ル〉九」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「應永卅四〈丁/未〉年/四月」。本文第七丁表の四月廿二日条に貼紙「□キウケン 〈道経借為巻帙/之巻字典/説文解字〉」あり。
3 巻十
 扉一庁、本文三四丁、扉に題「満濟准后日記〈應永卅四年/九月ヨリ十二月/ニ至ル〉十」。本文第一丁表書き出し「應永卅四〈丁/未〉年/九月」。
⑥原袋綴装第六冊
巻十一、巻十二及び巻十三を収む。仮綴装の総紙数一一二枚。仮表紙一丁。巻十一、三一丁。巻十二、二二丁。巻十三、四六丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起正長元年正月/盡    十月〉六」あり。本文に朱校正注あり。
1 巻十一
扉一丁、本文三○丁。扉表に題「満濟准后日記〈應永卅五年/正月ヨリ三月/ニ至ル〉十一」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「應永卅五〈戊/申〉年/正月」。
2 巻十二
扉一庁、本文二一丁。扉に題「満濟准后日記〈應永卅四年/四月ヨリ六月/ニ至ル《四月廿七日改/正長元》〉十二」あり。扉裏空。本文第一丁表書き出し「應永卅五〈戊/申〉年/四月」。
3 巻十三
扉一庁、本文四五丁。扉に題「満濟准后日記〈應永卅五年/七月ヨリ十月/ニ至ル〉十三」あり。扉裏空。本文第一丁表書き出し「應永卅五〈戊/申〉年/七月」。
(3)第三冊 Japanese MSS D4-3           洋装本 一冊
袋綴装用に仮綴じされていた第七冊~第九冊を、合綴し洋装本とする。縦二七・一㎝、横一九・一㎝。新補背表紙題「満濟准后日記 〈自永享元年正月/至同二年十二月〉七-九」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書’Beinecke Library / Japanese / MSS / D4 / 7-9’、ペン書’1907’ あり。表裏の新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙(表裏空)をおく。巻首新補遊紙に鉛筆書’Man Zai Zhu-go nikki’あり。巻首新補遊紙裏に、第七冊仮表紙表にあった蔵書票の影あり(縦三.七糎、横五・二糎)
⑦原袋綴装第七冊
 巻十四、巻十五及び巻十六を含む。仮綴装の総紙数一七二枚。仮表紙一丁、巻十四、六九丁。巻十五、七四丁。巻十六、二九丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起永享元年正月/盡   十二月〉七」、題の上に鉛筆書’Mansai’あり。仮表紙天辺中央に旧蔵書票の剥がし残りにタイプ書’Man-Zai Ahu-go nikki’ありて、鉛筆で抹消さる。仮表紙右下に鉛筆書’Beinecke/Library/Japanese/MSS/D4/
7-9’(「3」を消して「7」上書)あり。本文に朱校正注あり。
1 巻十四
扉一丁、遊紙一丁、本文六七丁。扉表に題「満濟准后日記〈正長二年/正月ヨリ三月/ニ至ル〉十四」あり。扉裏空。扉の次の遊紙の表に正長二年の月の大小の注記あり(裏空)。本文第一丁表、書出し「正長二〈己/酉〉年/正月」。
2 巻十五
扉一庁、本文七三丁。扉に題「満濟准后日記〈正長二年/四月ヨリ九月/ニ至ル《九月五日改/永享》〉十五」あり。扉裏空。本文第一丁表書き出し「正長二年/四月」。
3 巻十六
中扉一庁、本文二八丁。扉に題「満濟准后日記〈永享元年/十月ヨリ十二月/ニ至ル〉十六」。扉裏空。本文第一丁表書き出し「永享元年/十月」。
⑧原袋綴装第八冊
 巻十七及び巻十八を収む。仮綴装の総紙数八○枚。仮表紙一丁。巻十七、四六丁。巻十八、三三丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起永享二年正月/盡   六月〉八」。本文に朱校正注あり。
1 巻十七
扉一丁、本文四五丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享二年/正月ヨリ三月/ニ至ル〉十七」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享二〈庚/戌〉年/正月」。
2 巻十八
扉一丁、本文三二丁、扉表に打付書で題「満濟准后日記〈永享二年/四月ヨリ六月/ニ至ル〉十八」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享二〈庚/戌〉年/四月」。
⑨原袋綴装第九冊
 巻十九及び巻二十を収む。仮綴装の総紙数六九枚。仮表紙一丁。巻十九、三二丁。巻二十、三五丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起永享二年七月/盡   十二月〉九」あり。本文に朱校正注あり。
1 巻十九
扉一丁、本文三一丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享二年/七月ヨリ九月/ニ至ル〉十九」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享二〈庚/戌〉年/七月」。
2 巻二十
 扉一丁、本文三四丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享二年/十月ヨリ十二月/ニ至ル〉廿」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享二〈庚/戌〉年/十月」。
(4)第四冊 Japanese MSS D4-4           洋装本 一冊
袋綴装用に仮綴じされていた第一○冊~第一二冊を、合綴し洋装本とする。縦二七・一㎝、横一九・一㎝。新補背表紙題「満濟准后日記 〈自永享三年正月/至同四年三月〉一○-一二」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書’Beinecke Library / Japanese / MSS / D4 / 10-12’(「10」は「4」を抹消の上に書す)、ペン書’1907’ あり。表裏の新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙(表裏空)をおく。巻首新補遊紙裏に、第一○冊仮表紙表にあった蔵書票の影あり(縦三.七糎、横五・四糎)。
⑩原袋綴装第一○冊
 巻二十一及び巻二十二を収む。仮綴装の総紙数九六丁。仮表紙一丁。巻二十一、四六丁。巻二十二、四八丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起永享三年正月/盡   六月〉十」あり。本文に朱校正注あり。
1 巻二十一
扉一丁、本文三一丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享三年/正月ヨリ三月/ニ至ル〉廿一」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享三〈辛/亥〉年/正月」。本文第七丁の袋の中に、書き損じ料紙一丁ありて、現状で天地逆に「板倉佐渡守抱陸尺/其方共儀右五人之内文六伊右衛門長四郎長四郎義遂任」の墨書あり。
2 巻二十二
扉一丁、本文四七丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享三年/四月ヨリ六月/ニ至ル〉廿二」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享三〈辛/亥〉年/四月」。
⑪原袋綴装第一一冊
 巻二十三及び巻二十四を収む。仮綴の総紙数九六丁。仮表紙一丁。巻二十三、五九丁。巻二十四、三四丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起永享三年七月/盡   十二月〉十一」あり。巻末遊紙は、汚れの様子から、もとは第一一冊巻末に使用されていたものではないことがわかる。あるいは、第一一冊の仮綴の裏表紙か。本文に朱校正注あり。
1 巻二十三
扉一丁、本文五八丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享三年/七月ヨリ九月/ニ至ル〉廿三」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享三〈辛/亥〉年/七月」。
2 巻二十四
扉一丁、本文三三丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享三年/十月ヨリ十二月/ニ至ル〉廿四」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享三〈辛/亥〉年/十月」。
⑫原袋綴装第一二冊
 巻二十五を収む。仮表紙一丁、扉一丁、本文七四丁、巻末遊紙一丁。仮表紙に打付書で外題「満濟准后日記〈起永享四年正月/盡   三月〉十二」あり。扉表に題「満濟准后日記〈永享四年/正月ヨリ三月/ニ至ル〉廿五」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享四〈壬/午〉年/正月」。本文に朱校正注あり。
(5)第五冊Japanese MSS D4-5           洋装本 一冊
袋綴装用に仮綴じされていた第一三冊~第一五冊を、合綴し洋装本とする。縦二七・一㎝、横一九・一㎝。新補背表紙題「満濟准后日記 〈自永享四年四月/至同五年十二月〉一三-一五」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書’Beinecke Library / Japanese / MSS / D4 / 13-15’(「13」は「5」を抹消の上に書す)、ペン書’1907’ あり。表裏の新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙(表裏空)をおく。
⑬原袋綴装第一三冊
 巻二十六及び巻二十七を収む。仮綴装の総紙数一一二丁。仮表紙一丁、巻二十六、八○丁。巻二十七、三○丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に外題「満濟准后日記〈起永享四年四月/盡   十二月〉十三」あり。本文に朱校正注あり。
1 巻二十六
 扉一丁、本文八○丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享四年/四月ヨリ九月/ニ至ル〉廿六」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享四〈壬/午〉年/四月」。
2 巻二十七
 扉一丁、本文三○丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享四年/十月ヨリ十二月/ニ至ル〉廿七」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享四〈壬/午〉年/十月」。本文第三○丁表右端に、原本の欠損の状態を写す。
⑭原袋綴装第一四冊
 巻二十八及び巻二十九を収む。仮綴装の総紙数七二丁。仮表紙一丁、巻二十八、三五丁。巻二十九、三五丁。巻末遊紙一丁。仮表紙に外題「満濟准后日記〈起永享五年正月/盡   六月〉十四」あり。本文に朱校正注あり。
1 巻二十八
 扉一丁、本文三五丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享五年/正月ヨリ三月/ニ至ル〉廿八」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享五〈癸/丑〉年/正月」。
2 巻二十九
扉一丁、本文三五丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享五年/四月ヨリ六月/ニ至ル〉廿九」あり。扉裏空。本文第一丁表、書出し「永享五〈癸/丑〉年/四月」。
⑮原袋綴装第一五冊
 巻三十及び巻三十一を収む。仮綴装の総紙数八八丁。仮表紙一丁。巻三十、三四丁。巻三十一、八六丁(第五三丁以下は後補)
仮表紙に外題「満濟准后日記〈起永享五年七月/盡   十二月〉十五」あり。扉なし。
1 巻三十
扉なし。本文三五丁。本文第一丁表に、書出し「永享五〈癸/丑〉年/七月」あり。本文に朱校正注あり。
2 巻三十一(補写部分を含む)
 扉一丁。本文一六丁。扉表に題「満濟准后日記〈永享五年/十月廿九日マテ〉三十一」あり。扉裏空。本文第一丁表に、書き出し「永享五〈癸/丑〉年/十月」あり。本文第二丁裏の永享五年十月四日条に朱書附箋「若公下文善光トアリ」あり。本文第五○丁表~五一丁表に、左記の書写跋文あり(本文第五一丁裏は空)。
  満濟准后日記原三十七冊醍醐三寶院ノ藏本ニシテ准后
  當年手書ノ日録ナリ三寶院列祖次第云准三后満濟今
  小路儀同三司師冬公息將軍義満公御猶子永和四年二
  月誕生應永六年三月六日叙法印年〈二十/二才〉同十六年三月廿
  二日轉大僧正〈年卅/九才〉 〈コノ歳先後ノ年序ヲ推参スルニ當ニ/卅二才ナルヘシ蓋本書偶之ヲ誤ルカ〉同三十五年
  四月廿日准三后宣下〈年五/十一〉ト記シ東寺過去帳云法身院
  准后満濟永享七六十二入滅三寶院門主東寺一長者ト
  アリ其年代ヲ推スニ入滅五十八才ナルヘシ當時鹿苑院相國
  ノ猶子ニ列シ偏諱ヲ賜ハリ遂ニ准三后ニ至レハ其名望素
  ヨリ著シ特ニ普廣院将軍ハ初メ天台坐主タリシ日ヨリ満濟
  准后ノ長者タルヲ以テ自カラ其薫陶ヲ少カラサリシナルヘク
  故ニ入テ幕統ヲ繼クニ及テモ陰ニ機務ノ下問モアリシカ其
  手録中往々普通史籍ノ見及ハサル事ヲモ載セ或ハ江湖流
  傳ノ疑團ヲ解クモ少カラス珍重スヘキナリ修史局曾テ本
  院ヨリ之ヲ借タルヲ聞ク然レトモ其重貸ヲ許サス且此書其
  手書草體卒略式或反古ノ背ニ書スルアリ或ハ特ニ字畫ヲ
  省キタル言广ノ護摩タル酉酉ノ醍醐タル類アリ尋常寫手ノ
  著筆スヘカラサル者因テ八等屬松平次郎ヲ史局ニ派遣シ就テ
  コレラ繕寫セシム然レトモ且考且寫頗艱辛閲□ヽ數月漸ク
  三十一巻ノ半ニ過キ殆ト竣功ニ及ハントスル際主務ノ最モ繁
  劇ナルニ會ヒ遽ニ派遣ヲ停ム因テ姑ク現存本ヲ整頓シ目
  次ヲ作リ巻首ニ置キ其謄寫ノ顛末ヲ巻尾ニ略記シ以テ
  他日續寫完□ヽ功ノ期ヲ竢ツト云
   明治十九年丙戌三月    地理局地誌課(印ナシ)
 本文第五二丁~第八六丁に、永享五年十・十一・十二月記を書す。本文第五二丁表の中央に題「日記〈永享五/癸丑〉十 十一 十二」あり。本文第五二丁裏空。本文第五三丁より半丁一○行二一字詰。本文第五三丁(中扉)表の書出し「十月」。十月記は、巻三十一の十月記と重複す。本文第五三丁表第一行下方に朱書附箋「廿九日マテ重複 多少/異同アリ參照ヲ要ス」あり。本文第五四丁裏の永享五年十月十日条の「産生 穏」の上方に朱書附箋「上文穏上安字アリ」。本文第五三丁以下の筆致は、第五一丁までの筆致と異なり(やや行書体風)、また本文第五三丁以下の料紙は本文第五二丁以前の料紙と異なる。本文第八六丁の次は、表裏空の巻末遊紙にして、紙質は本文第五三丁~第八六丁と異なる。
○考察
 本写本は、洋装本に改装されているが、改装以前の仮綴の袋綴装の写本の状態を観察すると、醍醐寺三宝院所蔵「満済准后日記」を写した東京大学史料編纂所所蔵謄写本(二○七三-四三-一~一八)の第一冊より第一五冊までの一五冊三一巻と兄弟本であることがわかる。史料編纂所本は松平次郎謄写であるが(第一五冊、巻三十一、永享五年十月記末の明治一九年地理局地誌課書写跋)、二○○九年三月の現地調査においては謄写本のコピーを持参しなかったので、Japanese MSS本の筆致と史料編纂所本の筆致の比較を行うことはできなかった。しかしながら、巻・冊の編成、本文の字配りが一致し、第一冊の総目録(第三十一巻の永享五年十月~十二月記の補写に関する行間書入が一致する)、第一五冊の巻三十一の永享五年十月記末に記された明治十九年三月地理局地誌課書写跋(Japanese MSS 本には一部誤写訂正がある)と明治二八年三月史誌編纂掛残務により補写された永享五年十~十一月記も一致する。したがって、史料編纂所本とJapanese MSS本は兄弟本であるとみてよい。ただし、史料編纂所本は、第一冊巻頭に、「濟」の読み方(ザイ)の照会に対する明治四十年二月七日醍醐寺三寶院門跡執事回答状が貼り込まれ、また第一六冊~第一八冊に巻三二~巻三七(永享六年正月~永享七年六月)の補写が加えられている。Japanese MSS本第一冊の総目録の第三十一巻の永享五年十月~十二月記の補写に関する行間書入の朱書「已下朱書ノ分謄写未完」とその左傍の墨書「永享五年十月マテハ地誌課ノ謄写ニ係ル十一月以後/ハ明治廿八年三月史誌編纂掛残務ニ於テ補写ス」は、それぞれ筆致が異なり転写したものではない。謄写未完を記す朱書注記は、同じく朱書されている第三十二巻~第三十七巻の目録とあわせて、明治一九年三月の松平次郎による謄写中断時の記入、左傍の墨書注記は明治二八年の補写時の記入とみてよい。
 これらの様態から、Japanese MSS本は、地理局地誌課から史誌編纂掛に移管され、明治二九年の史料編纂掛設置後に史料編纂掛(一九二九年より史料編纂所)が承継した、三宝院本の謄写本の副本であると考えられる。満済准后日記Japanese MSS本は、朝河貫一の一九○六~○七年の第一回日本帰国における図書・古典籍収集において、史料編纂掛が協力した際に、史料編纂掛から朝河に寄贈された書庫未登録の副本であったと考えられる。今後のJapanese MSSの詳細調査により朝河の収集活動の詳細が明らかになる過程で、同様の事例、すなわち史料編纂掛や同掛の掛員からの寄贈品が明らかになるかもしれない。
(石上英一)


『東京大学史料編纂所報』第44号