東京大学史料編纂所

75.フランス・連合王国所在日本関係史料の調査

二〇〇九年二月三日から十六日にかけて、連合王国・フランスに出張し、日本関係史料の調査・撮影をおこなった。本調査には、学術振興会二国間交流事業共同研究(日仏)「幕末・維新期の日仏関係史-フランス人実業家・知識人の史料研究を中心として-」(研究代表者:東京外国語大学吉田ゆり子教授)および科学研究費補助金基盤研究(A)「東アジアの国際環境と中国・ロシア所在日本関係史料の総合的研究」(研究代表者:保谷)・同基盤研究(B)「江戸初期と幕末維新期における鉄砲技術の伝統と革新に関する総合的研究」(研究代表者:国立歴史民俗博物館山本光正教授)の経費を用いた。
以下、調査内容の概要を掲げる。
一、 パリ外国宣教会文書室(パリ市)
日本および琉球に派遣された宣教師からの報告書翰類のファイルをデジタル撮影した。史料は薄様のレター用紙に細字でびっしりと両面ペン書きされたものが多く、インクが退色しているため、デジタル画像で拡大しなければ解読できない状態のものがほとんどである。書翰は年代順に紙バサミで小分けにされ、さらにいくつかのボックスに入れて整理されていた。また、当初の整理段階のものと思われるが、紙面には鉛筆で通し番号が付されている。
今回の調査では、琉球ファイル(Vol.568、Japon)の全てと、日本ファイル(Vol.569,Japon)の途中まで撮影を完了した。琉球ファイルは、一八四四年から一八六〇年までの一四七〇頁。日本ファイルは、一八四四年から一八六五年末までの一五三三頁分であり、一八七〇年代初頭までに限れば、ほぼ同分量が残されているものと思われる。
 次に、調査協力をいただいたパトリック・ベイヴェール教授(フランス国立科学研究センター)のご教示を得、同教授がカッレ准教授と調査・翻刻したフリューリー・エラール関係文書を閲覧し、翻刻の提供をうけた。このファイルは、外国宣教会文書室のメルメ・カションの個人ファイル(Mermet)の中に近年のコピーの形で収められていたもので、どのような経緯でファイルされたかは不明だという。
 この仏文ファイルの内容については、別途報告する必要があるが、慶応二年二月九日のフリューリー・エラール宛老中書翰をはじめ、最幕末の重要史料群が含まれている。とくに大事だと思われるものは、慶応二年八月十一日に締結されたいわゆる六〇〇万ドル借款の協定書(Convention pour un Emprunt de six millions de dollars)と、小栗上野介とのやりとり、見返りとなった銅の引渡し記録など、一連の関係史料(仏文)が残されている点である。本史料については、早急に目録化し、翻訳して内容を明らかにする必要がある。
二、 連合王国・国立文書館(リッチモンド市)
 イギリスの国立文書館では、幕末外国関係文書の編纂に必要となるプリント類の収集をおこなった(Confidential Print)。東禅寺事件関係・ポサドニック号事件関係・開市開港延期談判使節(竹内使節団)関係である。
 そのほか、外務省史料(FO)、海軍省史料(ADM)、ラッセル文書やハモンド文書(PROのうち)の中から、これまで調査漏れのものや編纂に関係する部分を閲覧し、必要なものを複製もしくはデジタル画像で収集した。
 とくにロシア関係の外務省史料を閲覧し、ポサドニック号事件をめぐるサンクトペテルブルグ駐在公使(Napier)との往復公信に目を通した。以下目録と内容を摘記する。
No.226 draft, Russell to Napier, 1861.11.12(FO65/572)
江戸からのポサドニック号対馬占拠の報に接し、ロシア政府へ領土的野心がないことを確認するとともに、条約列強間で(当該地域での)領土不拡張の協約を結ぶ用意があると通告することを命じたもの。
No.389 Napier to Russell, 1861.11.19(FO65/580)
一件についてロシアのゴルチャコフ外相を詰問すると、外相は即座にロシアに対馬領有の意思はないと否定、ただし詳細は海軍の報告と皇帝の判断を得て回答するとした。ネイピアは以下のようにも述べて英国の関与について意見している。
They have already acquired, without giving a shot, an immense territory and exclusive possession of a great arterial rivers on the main land. They hold the greater part of the island Sahalin, and will certainly wrest the whole from the Japanese. This is not disguised by Prince Gortchakoff. The present moment seems peculiarly appropriate for resistance to this insidious policy.
No.394 Confidential, Napier to Russell, 1861.11.23(ibid.)
オランダ公使から、対馬占拠事件を報じた15日付のオランダ公報(抜粋添付)を見せられ、事件に対するオランダ政府の関心を伝えられた。さらにパーマストンとコンスタンチン大公との2年前のやりとりを思い出し、ロシアは領土ではなく、軍事拠点の形成を狙っており、ロシアを追い出さないと対馬も5年後は海軍基地だ。
No.398 Napier to Russell, 1861.11.29(ibid.)
昨日再度外相へ申し入れ。外相は、領有はあり得ない、もう終わったことだ、コンスタンチン大公が戻り次第に皇帝へ上奏すると回答した。
No.439 Napier to Russell, 1861.12.27(FO65/581)
ゴルチャコフ外相との交渉結果を報告している。アジア局長イグナチエフも同席。ゴルチャコフは英国海軍司令官ホープのビリレフ宛書翰を入手し、読み上げている。基本的にすでに終わった問題だとしつつ、英国の対馬測量を非難して、英国が対馬を領有しないと宣言することを要求した。これに対しネイピアは決してないと述べ、協約にも言及するが話しはここまでとなった。
三、 大英図書館(ロンドン市)
主に日本関係の地図類、古写真類、さらに19世紀半ばの軍事技術、銃砲技術に関する書籍を調査し閲覧した。
(保谷 徹)


『東京大学史料編纂所報』第44号